Who killed Cock Robin?
I, said the Sparrow,
with my bow and arrow,
I killed Cock Robin.
誰が駒鳥を 殺したの
それは私と スズメは言う
私の弓で 私の矢羽で
私が殺した 駒鳥を
Who saw him die?
I, said the Fly,
with my little eye,
I saw him die.
誰が見つけたの 死んだのを見つけたの
それは私と ハエは言う
私の眼で 小さな眼で
私が見つけた 死骸を見つけた
嵐のような土砂降りの日の、真夜中だった。
Who killed Cock Robin?
今日は、とても天気がいい日だ。
朝日も昇り切った休日。気持ちよく目覚めた朝。
ここのところずっと雨模様だったので、こうも天気がいいと心が和む。庭に生えた雑草を抜き土を整えながら、鼻歌を奏でる。そんな時だ。後ろから急に声をかけられたのは。
「エディ」
「わぁっ」
驚いて前のめりになってしまったため、まだ白かった軍手は瞬時に泥にまみれた。買ったばかりの軍手だったというのに。少しの苛立ちが募り、怒鳴りながら振り向く。
「いきなり話しかけてくんな、びっくりすんだろ!」
「おはよう」
後ろからのっそりと現れた男にそのまま抱きつかれ、いつものように遠慮なく体重を乗せられ、ぐえっと呻く。まったく、加減というものを知らない奴だ。
声をかけられるまで、少しも気配を感じなかった。この男──ロイ・マスタングが軍を退いてから数か月経つが、こういうところは以前と全く変わらない。もうそろそろ、無意識のうつに忍び足をするような癖は抜けてもいい頃だと思うのだが、いつまでたってもマスタングは軍人気質だ。
「重いっつってんだろっ、アンタはもう、朝っぱらから!」
「エディ」
甘ったるく、小柄な少年にへばりつく三十路間近の青年。傍から見れば異様な光景だろうが、それを咎めるものはここにはいない。ここにあるのはさんさんと降りかかる太陽と、こじんまりとした白い一軒家と、芝生生い茂る青々と舌庭と、遠くに建つ隣の家。通行人もほぼ見かけない。ここは、二人だけの小さな空間だった。
「だからエディって呼ぶな。まだ朝飯食ってないんだろ?いいからキッチンに行ってろ、これ終わったら直ぐ行くから」
「いやだ」
駄々っ子のように即座に否定され、エドワードの額に青筋が浮きあがった。いい年こいてこの男は、と怒鳴りそうになる心を落ち着かせ、無言のまま男を引き剥がしにかかる。しかしそれで引き下がるようなマスタングではない。童顔の、それこそ歳若く見える丹精な顔に瞳が生き生きと覗き込んでくる。剃り忘れた数日間分の髭なんて忘れてしまうぐらい、この清潔で小奇麗な顔に(エドワードはあまり認めたくないが)何人の女が騙されたことか。東洋の血が色濃いオリエンタルな顔立ちに、当時のマスタングの女性のモテっぷりを思い出して眉を顰める。
決して嫉妬しているというわけではないが。決して。
「おはよう、エディ」
キラキラさせやがって、とエドワードは完璧に押し黙った。二人で暮らすようになってから数か月経つとは言え、このようないわゆる満面の笑みを惜しげもなく与えられることにエドワードは未だ慣れないでいた。軍人であったころの彼は、時々これ見よがしに口角を吊り上げるくらいで、いつも指揮官としての顔を崩すことはなかったから。
「……お、はよ」
エドワードが返事をするまで、マスタングは体を離してはくれない。それがわかっているエドワードは、口を尖らせながらぼそぼそと挨拶を返した。
途端に、ふわっと下がったマスタングの眉尻に背筋がざわざわする。だめだ、やはりこんな空気は耐えられない。嬉しそうに大きく頷いた男にさらにぎゅうっと抱きしめられ、額に口付けるように顔を埋められれば我慢の限界が来た。
「~~~おらっ、いけっつってんだろ!」
身体を捩じる勢いでマスタングの腕からなんとか抜け出し、蹴り飛ばすようにその身体を押しのけた。砂糖の詰まったお菓子を無理矢理口に詰められるような、とろりと甘い空気。朝っぱらからこんな空気醸し出されたら胸焼けが止まらなくなってしまう。
未練がましくエドワードを見つめるマスタングの瞳を黙殺し、ぐいぐいとベランダまで大きな体を押し退ける。妙なことをしてくる男が悪いのだ。
「ここにいられても邪魔だから」
そう言い捨て、再び庭先に戻る。背中に感じる熱い視線は完璧に無視し、しっしっと手でお邪魔無視を追い払い庭いじりを再開する。暫くするとマスタングは諦めたのか、すごすごとキッチンへ帰って行った。
日差しが、さんさんと降り注いでくる、眩しい。
汗ばむ手で額を拭って空を見上げる。今日はとても天気がいい。昨日までずっと雨模様だった心の中に、静かな光が差し込んでくる。
雨が降りやむ昨日の晩まで、マスタングはずっと沈んでいた。外にも出ず、エドワードの傍で毎日を過ごしていた。雨の日は湿気たマッチ、「無能」と呼ばれ、部下にからかわれていた懐かしい日々を思い出し目を細める。もう、遠い昔のようだ。
ダメだ、思い出すときりがない。とりあえず今日はできるところまでやってしまおう。エドワードが改めて地面に座り込もうとした時、ふいに家の方から大きな物音がした。
ああ、まただ。マスタングが食器か何かを落としたのだろう。朝寝ぼけたマスタングが、用意していたカップをひっくり返したことだってあるのだ。
指先は器用なくせに、家事だけは不器用な男だ。軍を退いた今、よく家事を手伝おうとはしてくれるのだがうまくいったためしがない。
仕方がない、庭の土いじりは午後からだ。エドワードは必死にエドワードの名前を連呼する男に大きくため息を零しながら、軍手を庭先に放り出して家の中へ向かった。
午前からのひと作業に疲れたものの、いつものようにリビングで昼食の用意をしていると、ふいに玄関のチャイムが鳴った。
珍しい、今日は誰かが来る予定なんてなかったはずなのだが。誰だろうか、急ぎ足で玄関へ向かう。一週間ほど開けてなかった玄関の扉の鍵を外せば、軽い音を立て開いた扉の向こうでちらちらと光る金髪。もしやとひょこっと顔を出せば、そこには見知った顔があった。
「久しぶり、エドワード君」
「……中尉」
ほっと肩から力が抜けた。
今日は仕事日のはずなのに。
「どうしたんだよ、今日仕事は?」
「午後から休みを取ったの。予定があって夕方には戻らなくちゃならないんだけど。連絡もなしにごめんなさいね。ちょっとお話したいことがあって」
「いいや嬉しいよ、入って」
本当に申し訳なさそうに謝る女性に苦笑しつつ、家の中へと案内する。普段は玄関だけでお暇する彼女は、一カ月ぶりにこの家に足を踏み入れた。
今日の彼女の私服はとてもカジュアルで、それでいて大人の女性としての雰囲気を醸し出している。黒のタートルネックに、薄桃色のカーディガン。仕事場ではきちんと束ねられている髪は、さらりと肩から落ちている。常に身にまとっている青の軍服を脱ぐと、やはり雰囲気はガラリと変わる。と言えども、背筋がぴんと伸び、足取りもしっかりしているだけあって、やはり都会を歩いている普通の女性と雰囲気は違う。仕事で慣れ親しんだ仕草というのは変わらないものだ。それはマスタングも同じだけれど。
「連絡くれればよかったのに」
「ちょっと忙しくて、電話する暇がなくて」
見え空いた嘘に肩を竦ませる。
きっと、そのままのエドワード達の生活が見たかったのだろう。
彼女がここを訪れるのは、ほぼ一ヶ月ぶりだ。ちらちらとあちらこちらを見渡し、言葉を探しあぐねているホークアイに笑って見せる。積み上げられた荷物や汚らしい廊下の惨状は、目に余るものだろう。
「だいぶ酷いだろ、いや、掃除する暇があまりなくってさ。っていうかしてもしても、増えるし……」
げんなりとする。男所帯で働くホークアイはエドワードの一言で全てを察し、小さく苦笑してくれた。
「わかるわ」
「やっぱり司令部も酷いの?」
「意外と片付いてはいるわね。主にファルマン准尉とフュリー曹長のお陰で」
「ああ、あの二人はなあ」
懐かしい名前に、綺麗好きの二人の男性の顔を思い浮かべた。エドワードがよく司令部に通っていた頃も、彼等の机の上だけはとても整頓されて、綺麗だったものだ。
「ただ、私の部屋が酷くて」
「え、中尉の部屋が?」
「もちろん」
「中尉って、部屋綺麗にしてるイメージだったんだけど」
「特に今はね、毎日軍務に追われて、家に帰って掃除する暇もないわ」
「あー……うん」
「幻滅しないでくれる?」
「何言ってんだよ、当たり前じゃん」
無能であったとしても、やはり彼らのリーダー。突然の不在は手痛かったようだ。
「アイツ、一応役に立ってたんだね」
「ああ見えて指揮官だったもの」
「腐ってもな」
「腐ってもね」
辛辣な言葉をさらりと返してくれるホークアイと顔を見合わせて、お互い苦く笑む。
「オレから見れば腐って潰れたトマトだ」
「私から見てもそうだったわ。そのダメダメなトマト殿は、お外かしら?」
「ううん、二階で引きこもってる」
人の気もしらないで毎日呑気なもんだよ、と、共に暮らしている大人の悪口を堂々と語る。どうせわかるまい。
「今朝もアイツ鍋のスープ零してさ。朝から床がスープだらけで……オレがキレたら二階にこもりやがって…あんにゃろ」
今朝のひと騒動に苛々としつつ、リビングに到着する。お土産よ、と瑞々しい果物とお茶菓子を手渡され、有難さになんだか泣きそうになった。日々を追われ家を出ることもままならない中、なかなか新鮮な果実を手に入れる機会がないのだ。忙しい合間を縫って、こんな郊外の辺鄙なところまで定期的に尋ねてきてくれるホークアイの優しさが染みる。
「で、エドワード君、ここでの生活は慣れたかしら?」
「まあ、ぼちぼちね。こんな隅っこでもなかなか快適だよ。定期的に医者も来てくれるし、みんなが手伝ってくれたから」
「体のほうはもう大丈夫なの?」
「へーき」
「そう?それにしては顔色があまりよくないわね」
「家事と育児に終われてね」
ワガママででかい息子が一人いるからさ、と肩をすくめる。ホークアイが笑った。彼女も、司令部でサボリ癖のあるワガママででかい男の子守をしていた一人だ。しかも、エドワードの同居人と全く同じ人物の。大変さはわかるだろう。
「逃げ足だけははやいのよね」
「あ、わかる」
「何度銃をあの頭に突きつけそうになったことか」
「はは、オレ時々包丁向けちゃう」
「わかるわ」
わかるの!?と驚けばええ、と真顔で頷いた。今まで以上に真剣な表情だ。
「私の時はナイフだったわね」
詳しく聞きたい?と自分を見下ろすホークアイは、口元は笑っているが瞳はギラギラと怒りに燃えていた。何があったのかはあまり聞きたくなかった。
「や、やめとくよ……」
どれほどマスタングの直属の副官という任務が大変だったのかを垣間見てしまい、エドワードは調子に乗っていた悪口はもうやめて、リビングに案内した。
小さな丸いテーブルに、白い皿を置く。二人なのだからこのぐらいの大きさでいいだろうと、他でもないホークアイが選んでくれたテーブルだ。彼女の見立て通りちょうどいい大きさだった。もう一人の不器用な住人が、寝起きにテーブルの角に足をぶつけて呻くこともない。
「紅茶でいい?」
「あら、ありがとう」
ティーカップに茶葉を入れ、お湯を沸かす。今までずっと旅を続けていたエドワードにとって、自宅で他人のために紅茶を入れるという行為は滅多にしないことだったので最初は配分やら蒸し時間やらの加減がわからず苦労したものだが、もう慣れた。
「エドワード君の入れてくれる紅茶は、なんでも美味しいわ」
「なにいってんだよ、中尉が入れたほうが絶対美味しいって」
世辞でもなく、心の底から思っていることだ。東方司令部を訪れれば彼女はどんな時でも必ず出迎えてくれた。あてどない旅、進展のない毎日、そして疲労に消沈してるエドワードに彼女は直ぐ気づいて、エドワード君、美味しい紅茶が入ったわ、そう言いながら温かな紅茶を入れてくれた。大人たちが好む珈琲とは違って、ほんのり甘く柔らかな香り。また、いつも紅茶の傍らにちょこんと置かれていたのは砂糖の固まり3粒分。エドワードが一番好む配分量だ。エドワードのためにストックしておいたであろう、いくつかの菓子も忘れない。エドワードは、ホークアイが入れてくれた紅茶が一番好きだった。いつも優しくしてくれた彼女の存在が、どれだけエドワードの心に安らぎを与えてくれていたことか。
「エドワード君、さっそくで悪いんだけど」
うん、と口の中で返事をする。
「アイツ、呼ぼうか」
「お願いできるかしら」
予定があって帰らなくてはいけないと言っていた。はやめのほうがいい。リンゴの皮を剥いていた手を止めナイフを置く。もう少しだけ二人の時間を楽しみたかったが、なにせ相手は日々仕事に追われている身、あまり拘束してはいけない。戸惑うことなく、キッチンからリビングの扉へ向かう。
「だらしなくてさぁ、髭もそってねえから覚悟しといて」
「大丈夫よ、予想通りだから問題ないわ。ありがとう」
さらりと酷いことを言ってのけるホークアイに苦笑しつつ、廊下を進み、階段へ向かう。
「おい」
下から二階まで響くように、声を張り上げる。本でも読んでいたら厄介だ。何かに熱中していると、エドワード同様マスタングも誰の声にも気がつかない時がある。さて、今日はどうだろうか。
「おい、いつまで拗ねてんだよ、おりてこい」
二階の扉が開かれたのは、割と直ぐだった。場所から把握するに、どうせ寝室にでもいたのだろう。エドワードと言い合うたびにマスタングがこもる場所だ。案の定、ひょこっと階段の上からエドワードを見降ろす顔は、まだ軽く強張っていた。
「なんだその間抜け面」
端正込めて作ったシチューを不注意で床にぶちまけられたら誰だって怒る。手を出さなかったことを褒めて貰いたいぐらいだ。ホークアイのいうように、包丁でもナイフでも取り出してやればよかった。
「あのさ、もー別に怒ってねえから」
「エディ……」
「だからエディって呼ぶな。菓子とかも用意してるからさっさと来れば……ロイ」
言いたいことだけを言い、背を向ける。マスタングは顔色をぱっと明るくさせた。感極まった男がパタパタと階段を降りてくる。まったく現金な奴め。
エドワードに名前を呼ばれることがそんなにも嬉しいのだろうか、マスタングの下についていた頃は彼の名ではなく、いつも階級を呼んでいた。それも関係あるのかもしれない。いや、それか菓子目的か。一緒に住むようになってから初めて知ったことだが、マスタングは結構な甘党だった。後ろから近づいてくる足音を背後に、リビングに戻る。ホークアイは同じ位置から動かず、じっと座っていた。
「ごめんな待たせて。いまくるから」
「いいのよ、気にしないで」
ホークアイが顔を動かし、扉を見た。
すっと、扉から覗いた黒髪と、リビングに踏み出された釣り目のネコの形をしたスリッパ。理由はエドワードに似ているからだそうだ。知るか。こっぱずかしいったらありゃしない。靴を履けと何度言っても、マスタングは常に履きたくないの一点張りだった。家の中にいる時ぐらい靴を脱ぎたいと昔言っていた通り、今でも常にスリッパだ。こんなに面倒臭がりだとは知らなかった。この男の妙な頑固さだけは、軍から身を退いても変わらない。
「なに呆けてんだ、早く入れよ」
まさか、客がいるとは思っていなかったのだろう。ネコスリッパを履いた成人男性は黒い瞳を極限まで見開き扉から体を覗かせ、固まった。あまりの表情に失笑がこみ上げてくる。
「ほら、お客さんにご挨拶しろよ」
ホークアイの視線から逃れるように慌てて扉の影にさっと姿を隠したマスタングだったが、残念ながら広い肩が扉からはみ出してしまっている。隠れられていない。あまりにも間抜けだ。
「ばっかだなアンタ……」
こんなの司令部では見られなかった光景だ。マスタングはいつも青い軍服を翻して立っていた。てきぱきと指示をこなし、指揮官としての腕を思う存分に振るっていた。そんな男が、軍を退いた今こんなに呆けた人間になっているだなんて。ベッドにもいかずソファで寝こける時もあるのだ、もしかしたら彼は今が一番幸せなのかもしれない。なんのしがらみもなくなった彼は、とても自由そうに見えた。
「ほら、なんか言うことあるだろこの人に……ロイ!」
未だに顔を隠したままのマスタングは、少しだけ強く投げつけられた言葉についに観念したらしい。
そろそろと、扉から再び出てきた黒々とした瞳が、エドワードを捉え、次にホークアイを捉え、またエドワードに戻された。追いすがるように。
「だ、れぇ?」
不安定な声が響く。
そろそろとエドワードに視線をよこしたマスタングは、エドワードが返答する気がないことを悟ると、再び同じ台詞を繰り返した。
「だ、れ?だれ……」
マスタングは不安なのか、扉をぎゅっと掴んでいた。声色は、確かに低く張りの効いた大人のもの。しかし、図体のでかい大人にしては幼く、舌ったらずな声。たどたどしいとも言える。
エドワードは足を組みなおし、「誰だと思う?」と聞きなおした。
鋭い瞳にびくりと肩を揺らしたマスタングは、直ぐにふるふると首を振った。
道理を知らぬ、小さな赤子のように。