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BUTTERFLY KNIGHT

【第三章】

「っはー、改めて見るとやっぱすげえ街だったな」
「ふふ、確かに大通りはね」
いま、エドワードとダリアはノーズレンの大通りを抜けて、帰路に着く所だった。サンモンツェル邸に来てからろくに街を回ることもできていなかったため、オーギュに羽を伸ばすよう言われ、ダリアの案内で観光することになったのだ。もちろん、ダリアの体の負担にならない程度の軽い散策程度だ。
 ノーズレンに来た当初は、郊外にあるサンモンツェル邸までたどり着くことで精一杯でろくに大通りを見学することもできなかったが、こうして一つ一つダリアに説明を受けながら歩いてみると整頓された街並み以外にも新しい発見があって、素直に楽しかった。少しだけ出ている屋台で売られている菓子も、この地域独自のもので見ているだけでも楽しい。ちょっとした観光地なだけあって様々な地域の人も歩いている。いくつか立ち並んだ宿も、活気に満ちていた。
「エリック、あそこの坂の上に大きな屋敷の屋根が見えるでしょ?」
「あー、あの緑の屋根の家か?」
「そ」
 ダリアの指さす方向へ顔を向けると、確かに他の家々とは大きさや外装の違う、大きな屋敷がわずかに覗いていた。
「あそこは、テグシュペリエ邸よ」
「テグシュペリエ邸?」
また、聞いたことのない苗字だ。だが、いかにも仰々しい名前だ。ダリアの家の苗字を聞いた時と同じ感覚が蘇る。なんだか偉そう、という感覚だ。ダリアはエドワードのそんな気持ちを知ってか知らずか、苦笑しながらエドワードに説明してくれた。
「ノーズレンでも有名な商家なの、そこまで歴史の古い家ではないんだけど、ここ四十年くらいでかなり台頭してきたわ」
「成金ってやつか」
「しっ、誰かに聞かれて目を付けられたらやっかいよ」
「ここでその話題持ち掛けてきたのダリアの方だろ」
「いいから聞いて」
 ダリアが、内緒話をするようにこそこそと耳打ちしてきた。確かにここは人通りも大通りほどではない。エドワードは素直にダリアに耳を傾けた。
「テグシュペリエ家はね、教会にとってもかなり懇意のある家なの。かなりの額を寄付してるみたい。なんでもテグシュペリエ家の主人がオルギニ教の熱心な信者だって話よ。紋章にもオルギニの絵が描かれてるくらいなの。だから、オルギニ教に入信すればテグシュペリエ家と繋がりがもてるかもしれないって、他の商家や事業の拡大化を狙う起業家もオルギニ教に入信したり、教会への寄付を始めてるの」
オルギニ教というのは、オルギニアデカンサスを神からの贈り物だと信じている宗教のことだ。だいたい五十年くらい前に確立されたらしい。なるほど、ここの地域限定の小さな宗教が徐々に拡大し、今現在ではかなり信者が多いのも頷ける。教会が三つ建設されている理由も、テグシュペリエ家という力のある商家が、布教に一役買っているというのが理由か。
「サンモンツェル家は、今はオルギニ教の信者ってわけではないんだよな」
「うん、おじい様とおばあ様は信者だったんだけど、お父さんは錬金術に精通してたからあまり宗教とかには興味がなくて。小さい頃から教会にも通ってなかったみたい。でも慈善事業はしていたわ。今はもう、していないけれど」
「それもそうだな、錬金術師は科学者だ。神だのなんだのって曖昧なもの、信じる奴はほとんどいない」
「うん。だからうちとテグシュペリエ家との関係はあまりよくないの。だから余計に、他の商家や資産家からの風当たりも強くて」
「宗教ってのは基本的には人を幸せにするもんじゃないのかよ?  なんでこう、一度金や権力が絡むと厄介になるんだ。どこの街も同じでやんなるな……」
 はあ、とやるせないため息をつく。ダリアが肩をすくめて笑った。
「教会もお金が無きゃやっていけないもん、仕方ないことよ」
「随分と教会を肩に持つな」
エドワードの脳裏に思い浮かんでいたのは、少し前に訪れたことのあるリオールという街だった。あそこでも勘違い教祖様とやらが信者の心を巧みに惑わし、権力と力を得て街の人々を操り世界を掌握しようとしていた。宗教とは名ばかりのとんだペテン野郎だった。そんなこともあってか、エドワードは宗教というものに関しては、あまりいいイメージを持っていなかった。もちろん、誰が何を信じるのかは自由だとは思うし、弟にもそうたしなめられるだろうが。
「だって、あたしはよくして貰ってるもん。教会員としては通ったことはないけど、物心ついた時から、修道女の人たちとは仲良くさせて貰ってたし」
「そういうもんか」
「それに、お母様だって小さい頃は教会で育ったもん」
 そうなのだ、リリィの父親と母親はリリィが生まれる前に離婚しており、リリィは母親に引き取られたが、様々な事情が重なって幼い頃は教会で育ったらしい。その後リリィは母親が亡くなったため、六歳頃に父親に引き取られ、サンモンツェル邸でダリアの父親と共に錬金術の勉強を受けながら生活していたらしい。父親が伏してからは若くして父の後を継ぎ、サンモンツェル邸に仕える錬金術師となったのだ。
二人で喋りながら歩いていると、最終目的地に着いた。ダリアの家の付近の教会、ダリアが石の壁から飛び降りてきた所だ。石伝いに壁を歩き正面に回ると正式な入口が見えた。そこでは、長いスカートのような白い服を着た女性が一人、箒で地面を掃いていた。
「アリッサ、アリッサ」
「あらぁ、こんにちはダリア」
ダリアが声をかけると、やけに間延びした声が帰ってきた。振り向いた女性は、エドワードよりも一回り以上は年嵩に見えた。背も高い。金色の髪はくせっ毛なのか、くるりと外を向いている。服装を見るに、この教会を運営している修道女の一人なのだろう。確かリオールでも、その教会で働く人々は皆同じ格好をしていた。
二人でその女性の元へ行く。アリッサと呼ばれた女性は人の良さそうな笑みを浮かべ、ダリアの側まで歩み寄ってきた。
「どうしたの? この前来たばかりじゃない、珍しいのねぇ」
「うん、あのね、今教会の中を見せてもらっても大丈夫?」
「あら、なぁに? もちろんよ。ええっと……」
アリッサと呼ばれた女性はくるりとエドワードに視線をよこしてきた。少しだけ垂れた愛嬌のある目がエドワードを捉える。エドワードはダリアに紹介される前に、慌てて自分の偽名を名乗ろうとしたのだが。
「あら、あらあらぁ」
「えっ、あ、あの」
その前にぐいぐいと女性に近くによられ、少しだけ足が下がってしまった。女性は物おじしない性格なのか狼狽えるエドワードにさらににじり寄り、上から下まで眺めてからにこっと子どものような笑みを浮かべ、ダリアの肘をこつりと小突いた。
「ダリアったらぁ、いつのまにこんな可愛いらしい恋人が?」
 予想などしていなかった台詞に、二人して呆けてしまった。先に声を上げたのはダリアの方だ。
「な、なに言ってるのアリッサ! 違うよ!」
「なぁに? 慌てちゃってぇ、ダリアがこんな可愛い子と一緒に歩いてるなんて、初めてみたわよ?」
「違うってば! この人はお父さんの研究の手伝いをしてくれてる人よ! ね、エリック」
「え、あ」
「そうよね?」
「お、おう!」
 ものすごい剣幕のダリアに腕を引かれ同意を促され、エドワードは自分からアリッサの台詞を訂正する暇なく大きく頷いた。こういったからかいに慣れていないのか真っ赤な顔をしているダリアだったが、それと同じくらいエドワードの方も赤くなってしまっていた。幼馴染の話題になると、エドワードの所属している東方司令部の面々にいつも付き合ってるのか? とからかわれるので慣れてはいたが、幼馴染以外の女の子との関係を疑われたことはエドワードにとって初めてだったのでどういう顔をすればいいのかわからなかったのだ。
「ええと、アリッサ、さん? エリック・マクレーガンです、よろしく。縁あってダリアの父親の研究の手伝いをしていて」
「えっ、お手伝い? ってことはすごいのね。お嬢ちゃん、錬金術得意なのねぇ」
「お、お嬢ちゃん?」
またもや予想外の言葉にエドワードの声は上ずってしまった。しかしそれはダリアも同じだった。ここ暫く性別を間違えられることはなかったため否定が遅れてしまう。
「な、なに言ってるのアリッサ、さっきあたしとエリックが恋人だどうのとか言ってたじゃないの! エリックは男の子よ!」
「あらぁ? でも、こんなに髪が長くて、可愛いのに?」
「かっ、かわ」
「そりゃぱっと見……うーん、女の子に見えないこともないけど」
「おい、ダリア!」
ごめん、と頭を掻いたダリアが、「アリッサは天然なの」と耳打ちしてきたので、ひくつきそうになるこめかみを抑え、エドワードは頷いた。だろうな。
「あらあらぁ、男の子だったのね、ごめんなさいね、ぼく」
「……ぼ、ぼく」
女に間違えられたこともさることながら、自分よりも背の高い女性が少々膝を曲げ、小首を傾けながらエドワードと目線を合わせようとしてくるものだから、エドワードは何とも言えない怒りと恥ずかしさに力が抜け、項垂れてしまった。だが、アリッサの台詞にダリアがついに堪えきれないとでもいうように吹き出したので、逆に冷静になりどうにか感情の爆発を抑えることができた。もちろん、アリッサではなくダリアを思い切り睨むのは忘れなかったが。
「ちょっとエリックあたしを睨まないでよ……アリッサ、エリックはあたしの一個下よ」
「え、あ、あらぁそうだったの、ごめんなさいねぇ、もっと小さな男の子なのかと……」
 アリッサの裏のない台詞に、ついにダリアが声を出して笑った。えくぼがいつも以上に深いのは、本当に大笑いしている証だ。しゅんと萎れてしまったアリッサの表情は本当に申し訳なさそうで、エドワードは怒りの矛先を彼女に向けることができなかった。どうやらアリッサは思ったことを言うタイプで、悪気があるわけではないということがわかるだけに暴れるわけにもいかない。エドワードは一つ大きく深呼吸して、荒ぶる感情をこれまたなんとか抑え込んだ。握りしめた拳がギシギシを唸っているが、渾身の力で黙殺する。見なくとも自分の額には青筋が立っているだろうが。ごほんと大きく咳払いする。
「あー、ええとアリッサさん、そういうわけだから教会の中見せて貰ってもいいか? ちょっとオルギニアデカンサスについても色々知りたくて。教会に保管されてる資料とかもできたら読みたいんだけど」
「ええ、どうぞ入って入って。でも、うちにある資料に関しては全部サンモンツェルさんにお願いされて、複写して渡してあるのよ?」
「それはわかってる、でも他に何かないか一応確認させてほしいだけだ」
「それならわかったわ。あらあらぁ、サンモンツェルさんは、元気な子をお家に招いたのねぇ。賑やかで楽しそうだわ」
 微妙にかみ合わない会話にエドワードは渋面になってしまった。
「おいダリア、笑いすぎだぞお前!」
「だって、面白くて……!」
 今度はエドワードの方がまだ笑っているダリアの腕を引っ張った。そんな二人を慈愛に満ちた瞳で見つめながらにこにこしているアリッサには目を瞑り、促されるまま大きな門をくぐった。と、右手に小さな花畑があった。赤い色の、蝶の形をした花が密集している。サンモンツェル邸でこの五日間ずっと睨めっこをしていた、オルギニアデカンサスの花そのものだ。そういえばサンモンツェル邸にある花は、あと二輪しかない。
「これ、オルギニアデカンサスだよな?」
「ええ、そうよぉ」
「本当に、栽培量もそこまで多くないんだな」
「ええ、ええそうなのよ。なんたって神聖なものですからねぇ」
 なんだか、言葉に重みが感じられないのは気のせいだろうか。アリッサの言葉使いのせいか、それとも込められた感情か。アリッサという女性は、定期的に教会に内緒でダリアにオルギニアデカンサスを数輪ほど提供してくれる女性なのだそうだ。ダリアと初めて会った日に、ダリアが人のいない礼拝時にこっそり教会の裏手の石垣から飛び降りてきたのもそれが理由だ。花を素手で持たずカバンに詰めていたのも、人に見られないようにするためだったらしい。
本来であれば、オルギニアデカンサスが人に配られることはほとんどない。例え信者であっても、だ。なんたって、オルギニアデカンサスは神からの贈り物で、つまり神の身体そのものなのだから。しかし、アリッサはサンモンツェル家の厳しい財政や、オーギュの行っているダリアの病気への研究を憂い、こうして時々無料で花を摘んで渡してくれるそうだ。忙しく教会にはあまり通えていなかったらしいが、熱心なオルギニ教徒だったダリアの母親に倣いオーギュもリリィと結婚してからはオルギニ教へと入信し、リリィが亡くなった頃脱退した。しかしそれ以降もオーギュは教会への慈善事業には手を出していて、ダリアも父親に連れられここで孤児の子どもたちと遊び、アリッサとの付き合いもその頃からだという。慈善事業から手を引いた今でもダリアの方は花を貰いに来たり、こうして遊びにくることもあるそうだ。
「でもねぇ、これでも他の教会に比べたら量は多い方なのよ?」
「……なあ、なんでオルギニアデカンサスは教会の庭にしか生えないんだ」
「うーん、神様の御業、って言ったら信じるかしら?」
オルギニアデカンサスの茎を優しく撫でるアリッサが、端的に答えた。にこやかな笑みに偽りはないとは思うが、言葉使いとは関係なくやはりどこか心がこもっていないようにも感じられた。
「全然信じらんねぇな、うさんくせえし」
「ちょっと、エリック」
 ダリアのたしなめに、アリッサがいいのよとほほ笑み、こてんと小首を傾げた。エドワードはアリッサの横顔を眺めた。本音ではあるがアリッサの心情を探るべく怒らせるためにわざと言ってみたものの、やはり彼女の表情の優し気な笑みは崩れなかった。それに、慈しみ以外の変化も見受けられない。
「うーん、錬金術師の人は、やっぱりこういうのは信じないものなのねぇ」
三十歳は過ぎていると聞いているが、オルギニアデカンサスを背後に首を傾げる姿は年端もゆかない少女のようだった。
「正直に話すとねぇ、私にもわからないのよ。ただ、化学の力でも、なんでこの子たちが教会の庭に生えているのか今でもわからないし……願ってるとやっぱり生えちゃうんだから、不思議なのよねぇ。私、教会の孤児として育ったから、オルギニ教に入信したのも、ここで働くようになったのも、自然だったの。だけど、本当に心からこの宗教を信じてるかって聞かれると、ちょ~~っと、答えられない時もあるのよねぇ」
「それって、いろいろと大丈夫なのか?」
 確か彼女はここの教会の、いわゆる修道女というやつだ。神を心から信じ仕える者だ。そんな人間がこんな神に背くような発言をしていいものなのだろうかとエドワードが若干呆れていると、うーんと腕を組んだアリッサに本人ではなくダリアが慌てた。
「アリッサ、ダメだよそんなこと言ったら」
「あらぁなんで? 大丈夫よ、今ここには誰もいないもの。観光客が集まるのは第一教会だし、ここは町はずれの第三教会よ?」
「そういう問題じゃなくてね、アリッサ」
「いいのよぉ、三人だけの秘密ね? さぁ、中に入りましょうか、そんなに大きな教会じゃないけど、内装はとっても綺麗なのよ? エリック君。ね、ダリア」
 白いスカートをぱんとはらい、何事もなかったかのように教会の扉へ向かったアリッサに、エドワードはダリアと顔を見合わせた。ダリアが肩をすくめ、アリッサの後を追いかける。こそこそ話のように顔を近づけ、内緒ね、と唇に指をあてたアリッサに、もちろん、とダリアが何度も頷いている。
仲睦まじい二人だ。本当に仲がよさそうに見えた。幼い頃から母親のいないダリアにとって、アリッサは姉のような存在なのだろうか。エドワードはちらりとオルギニアデカンサスの花を見てから、扉の前で待っている二人の後を追いかけた。

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