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 ダリアが、手にしていた花束をテーブルの上に置いた。エドワードとぶつかったときにダリアが落とした数本の赤い花だ。名前はオルギニというらしい。そういえば、ダリアが石の塀から落ちてきた時も、彼女はバッグにつめたそれを大事そうに抱えていた。
「あ、エリックさん」
「あ、はい」
 思わず背がぴんと伸びる。幼馴染を除いて歳が近そうな同年代の少女と接することにあまり慣れてはいないのだ。これがアルフォンスであれば直ぐに仲良くなれそうなものだが、今ここに弟はいない。それにエドワードはいわば研究者であるサンモンツェル卿のお手伝いさん、という立ち位置だ。ここに連れて来られるまでの道中とは違い、彼の目の前で彼の娘であるダリアになれなれしい態度を取ってしまうのはどうにも気が引けた。そんなエドワードの真意を知ってか知らずか、ダリアはくすっと笑ってエドワードを手招きした。
「屋敷の部屋を案内するから、来て」
 いいのかとサンモンツェル卿を伺えば、彼は何やら熱心な様子でダリアが机に置いた花を並べ、あらゆる角度から観察していた。目が皿のように血走っている。
「ね? 一度集中しちゃうと何を言ってもダメなの、たぶんあと数十分はエリックさんのこと意識しないと思うから、その間に」
「……わかった、頼む」
どうやら彼も、エドワードと同じく生粋の研究者のようだ。親近感が湧くと同時に、なんだか弟を思い出して会いたくなる。弟も、今のダリアと同じようにエドワードが集中している時に邪魔しないよう静かにしていてくれていたものだ。今アルフォンスはどうしているだろうか、ここにいる間は弟と連絡は取るなと命じられているのでアルフォンスの動向を知ることができない。エドワードが戻ってくるまでしばらくイーストシティに滞在し、新しく出版された文献を解読しておくからとアルフォンスは言っていたが、旅を始めてから長らく常に共に行動していたため、右隣にいつもの存在がいないとやはり寂しさが膨らむ。
引き離すような命を下したマスタングを憎らしく思う。彼の考えていることはなんだ。一体なぜエドワードをここに送ったんだ。ここで何かをさせようと目論んでいるんだ。何か裏があるに違いはないだろうが、その裏がまだわからない。しかし何にせよ、まずは屋敷の全容を知ることが大事だ。もしかしたらマスタングの真意が掴めるかもしれない。エドワードはダリアの後を追い、質素な居間を後にした。




***




「で、ここが今紹介することのできる最後の部屋よ」
「で、でけえ」
「そうね、広さだけはあるのよ」
 最後の部屋を紹介されて、エドワードはあんぐりと口を開けた。広々とした天上についているのは、いわゆるシャンデリアというやつだろうか。壁には、少し色あせたバラの花と蔦の模様が描かれている。同じ柄のカーテンも厚く、遠目からでも高そうな生地を使っているということがわかる。敷かれた大きなカーペットも、少し埃っぽいが肌触りも質感もいい。家具も、デザインが凝ったものもシンプルなのもまんべんなく置かれているが、どの出で立ちであっても豪華絢爛そのものだった。いかにもお金持ちの道楽と思われそうな部屋だが、意外にも統一感がある。一言で言えば、品のよい洒落た部屋だ。
「なんていうか、今までの部屋とは雲泥の差だな」
「正直ね」
「あー、いや」
「ふふ、いいのよ、その通りだから。この部屋のものだけは何があっても一つも売ってないし、毎日掃除もしてるの……お父さんが」
正直に言って、ダリアに紹介されてきたいくつかの部屋はお世辞にも綺麗とは言えなかった。傾いた財政を戻すためか、カーテンや家具、家に伝わる伝統品まで、金になりそうなものは全て売り捌いてしまったらしい。カーテンの代わりに、薄いシーツで窓から中が見えないようにされている部屋もあった。これには驚いた。やはり掃除もまともにする時間がないのか、放置されて埃がかぶり蜘蛛の巣にまみれた部屋もいくつかあった。そのため、結局エドワードに用意された部屋も簡易ベッドが置かれた客間だ。それでも一番いい部屋を宛がってくれたのは有難い。壊れた家具や工具の倉庫となっている部屋もある。豪邸とは名ばかりの惨状だ。ダリア曰く、これでもまだ見せられる部屋だけを紹介したということらしいが。
しかし、最後のこの部屋は今までのどの部屋に比べてもまともだった。まるで、栄華を誇っていた当時の姿をそのまま現存させているような。
「……よくここで、団欒してたって話を聞いたわ」
「聞いた?」
「うん、あんまり記憶にないの、お母様が死んじゃったのはあたしが一歳の時だから」
 母親がはやくに亡くなったのは知っていたが、実際に話を聞くのは初めてだった。まさかそんなに早い時期に亡くなっていたとは。
「あそこにある暖炉の傍で。だからなのかな、お母様はこの部屋が一番大好きだった。だから、お父さんは最後にベッドを持ってきて、ここでお母様を看取ったんだって」
 ダリアを見る。彼女は真っすぐに、部屋の奥にある暖炉を見つめていた。
「物心ついた頃には、もう使用人とかもほとんど居なかったの。でもお父さんは仕えてくれた人たちをみんな大事にしてて、屋敷を去る人にかなりの額を支払ったんだって。そのせいで元々すり減ってた財産もカツカツよ。ほんと、お父さんってお人よしなの」
 困ったように肩を竦めるダリアだが、その表情は誇らしげだ。
「お父さんはお母様との思い出を大事にしてるから、どんなに遅く寝ても毎朝はやく起きて、ここの部屋の掃除をしてる。どんなに貧しくなっても、この部屋のものは絶対に売らない。お母様との思い出が詰まってるから」
 ダリアの瞳は、遠い思い出を辿っているようだった。父親のことは慣れ親しんだ『お父さん』と呼び、母親のことを資産家の娘に相応しく『お母様』と呼んでいるのは記憶量の差だろうか。共に生きてきた家族と、話でしか聞いたことのない家族。母の記憶はしっかりとあるエドワードだったが、父親の記憶は、ダリアと同じく乏しいものだ。自分を見下ろす冷たい瞳、家を出ていく姿。そしてデスクにかじりついて何かを研究していた背中。思い出せることと言えばそれくらいだった。
「サンモンツェル、さんは」
「ダリアでいいよ、暫く一緒に生活することになるんだから、お嬢様とかも無しね。もうそんなんじゃないから」
「じゃあオレのことも、エ……エリックで」
「うん、わかった」
 慣れない名前にまたもや一瞬詰まってしまったが、ダリアはそれをエドワードの照れととったらしい。エドワードの緊張をほぐすためかくすくすと微笑み、ふざけて鼻をかく仕草をしてみせてくれた。お互いの出会いは決していいものとは言えなかったが、ダリアに嫌な感情はわかない。むしろ、気遣いのできる良識のある娘だと思う。最初から敵意をむき出しにされたことが不思議なくらいだった。
「ダリアは、目の色がなんとなく……不思議だよな」
「うん、よく言われるわ。もともと色彩が濃いからなんだけど、こう、光の当たり具合によっていろんな色が混じるの。お母様の色を受け継いだのね」
 見て、と指を刺された先の壁に、何枚か肖像画がかけられていた。
「右から二番目がお母様、その隣がお父さんよ」
「ダリアの絵は?」
「もう絵師に頼むお金もなかったの。でもそれは別にいいのよ。見て、お父さんが金色の髪で黒い目、オリエンタルの血がちょっと混じってるらしいの」
 オーギュの絵は、今よりだいぶ若い頃の絵らしい。堂々とした出で立ちで、今のくたびれた面影はなかった。
「お母様は、茶色の髪に深い青い目。でも、あたしと一緒で光によっていろんな色が混ざる不思議な瞳だったみたい。あたしはいいとこ取りね。あ、でも顔はお母様にそっくりなのよ」
肖像画に描かれたダリアの母親は、確かにダリアにかなり似ていた。いいとこ取り、と笑ったダリアの表情は誇らしげだ。
「あたしの名前ね、お父さんが付けてくれたのよ。お父さんあんな見た目だけど、花言葉とか気にするほうでね。ダリアの花言葉は、華麗で、優美で、感謝なんだって。あたしが生まれて来たことに感謝してるってよく言ってくれるの」
「ダリアは、オーギュさんのことが大好きなんだな」
「もちろんよ、親だもの」
両親を心の底から愛しているのだろう。細められた目を見ればわかる。
「ねえ、エリックはいくつなの?」
「この前十五歳になった。ダリアは?」
「ええ、十五歳なの? てっきり十二歳くらいなのかと……」
いきなりの禁句に、エドワードの怒りは瞬時に怒髪天を貫きそうになった。小さいと言われることはしょっちゅうだが、同年代の少女に十二歳扱いされることは少々くるものがあった。
「じゅうにっ……おい今チビっていったか、今チビっていったか?」
「ふふ、ごめんごめん、それ禁句だったのね」
 しかし、朗らかに笑ったダリアに怒りを削がれてしまった。これが幼馴染であれば慣れ親しんだよしみで怒り狂うこともできたのだが、相手が少女だと思うとどうにも反応が鈍ってしまう。これまで旅でいろいろなところを訪れてきたが、こうして同年代の少女と並んで会話をするということがほとんどなかったため慣れない──意図的に、避けていたから。
「そういうダリアは何歳なんだよ!」
「えっへん。あたしはこの前十六歳になったばっかだよ。エリックより一個だけお姉さんね」
胸を張りこちらを流し見てくるダリアは、鍛え上げられ固い筋肉のついたエドワードとは違い、華奢で、丸くて、声が高くて、どこからどう見ても女の性を持つ人間だった。
エドワードと大して背は変わらないが、やはり体の厚みは男であるエドワードのほうがありそうだ。出会った時に重ねた手のひらも、柔らかくて触れれば壊れてしまいそうで戸惑った。エドワードが普段触れることを強制されているあの硬く冷たい手のひらとは、大違いだった。
 女性は苦手だった。エドワードと同年代の少女は、嫌でもエドワードに現実を突き付けてくる。自分が、男に搾取されるだけの生き物として扱われているという事実を。
今まで異性に対して、ドキドキとした甘酸っぱい感情を抱いたことなんて一度もなかった。もともと異性にかまけている暇なんてなかったし、それ以前にそんな感情芽生える前にマスタングに根こそぎ引っこ抜かれてしまった。マスタングに抱かれ、甲高い嬌声をあげながら、いつも自分が女にでもなったような錯覚に陥った。みっともなく足を開かされ、本来の用途では使われるはずのない蕾を貫かれ、奥深くを抉られて、獣のように仰け反り、善がるだけの自分。 
けれども旅を重ねるほど度胸も経験もつき、それに伴い子供だった身体も男性として形成されていった。鏡を見た時のエドワードの体は多少薄さは残るが立派な少年だった。激しい旅の連続で体には傷がつき、しっかりとした喉仏も最近目立つようになってきた。子供の頃と違って、もう誰も、エドワードを女だと勘違いする奴はいない。
だというのに、エドワードはいつも圧倒的な雄であるマスタングに組み敷かれ、女のように喘がされる。
『君は、私だけの女だ』
 マスタングはよくこのセリフを口にする。その通りだと思った。エドワードは、マスタングの欲を解消するための女だった。マスタングはエドワードが誰と付き合っても構わないと言っていたが、エドワードはこの先、自分が異性と付き合うことはできないだろうと確信していた。異性だけではなく、きっと同性が相手でも。
マスタングに触れられた時以外で、性的な衝動を覚えることは一切ない。マスタングの部下にふざけていかがわしい雑誌を見せられた時も、見ず知らずの男女が草むらで親密にしているシーンを見かけても、興奮よりも気分の悪さが先だっていつも顔を背けてしまう。自分には縁のない、入り込めない世界だと思った。朝の処理で冷水シャワーを浴びてもどうにもならない時以外で、自身の性器を弄ることもほとんどない。元々性欲が薄い方なのだろうか、それとも精神的なものなのだろうか。病院で正式な検査を受けたことはないのでなんとも言えないが、きっと後者なのだろうと思う。マスタングに初めて犯された時、エドワードは恐怖と苦痛を味わった。そして歯向かうことさえせずに彼の望む女でいれば、弟を守れると何度も自分に言い聞かせ、脱力と諦めに支配された。だからきっと、エドワードの男性としての矜持も、未来も、あの時彼に奪われてしまったのだ。
「エリックは、なんでお父さんの研究を手伝ってくれるの?」
「……なんでって?」
 急に現実に戻されてはっとした。どろどろとした感情に覆われていた自分を思い出し、かぶりを振って動揺を隠した。
「今まで来た人はうちにお金がないから去っていったわ。当たり前だけど。お給金も払えないんじゃ手伝う意味がないもの。でもさっきお父さんから聞いたけど、エリック、そういうのではないんでしょう?」
ダリアが、金を受け取るでもなく、単に知り合いの紹介で手伝いに来たエドワードに不安を感じるのは当然だ。エドワードは金に困っているわけではない。国から研究費用として巨額の金を与えられている。
こういった質問に対する答えは既に出来上がっていた。サンモンツェル卿にも、エドワードが彼を手伝う理由は説明してあった。しかしエドワードは、できるならば真っすぐな瞳をしたこのダリアという少女に、大きな嘘はつきたくなかった。
「……オレも、小さい頃母親が死んだんだ」
「え……」
「父親は物心ついた頃から行方不明でさ。ずっと弟と、たった一人の家族と、二人で生きてきた」
「そうだったんだ……」
「ああ。それで弟が十歳の頃に」
 言葉に詰まった。子どもの無知ゆえにエドワードが大罪を犯してしまったのはエドワードが十一歳の時だった。兄である癖に大事な弟までも巻き添えにして、人として、錬金術師として最大の禁忌を犯した。
「原因不明の、難しい病にかかっちまったんだ。医学ではどうもできなくて、だから弟の身体を前のように戻すために、前と同じ体にするために、錬金術でその方法を探してる」
 罪の証である右手を、握りしめる。手袋に覆われた機械が、ぎしりと強く軋んだ。
「だから、サンモンツェル卿がダリアの病気を治すための研究をしてるって話を聞いた時、もしかしたら何かオレたちの、弟の体を元に戻すための道標になるんじゃないかって思った」
 右手を開く。感覚はあるが本物のように動く手のひら。けれどもエドワードの弟は、身体全てを持っていかれた。感覚もなく、眠ることも食べることもできやしない。エドワードがここにいる間、弟はずっと一人で夜を過ごさなければいけない。
「話に食らい付いた理由はこれだ。オレはオレの勝手で手伝いたいって思ったんだ……わりぃ、ダリアを助ける手助けをしたかったとかいう理由じゃない。でも、少しでも研究に貢献できれば」
「エリックの弟さんを助ける方法に近づくかもしれないってことね。そして、あたしも」
 頷く。話せることは限られてはいるが、エドワードが研究に参加することによって、目の前にいる少女の治療にも貢献できれば。それも本心だった。
「そっか」
相手のことよりも、自分の家族を優先するような発言をしたエドワードにダリアは嫌な顔一つしなかった。それどころかむしろ晴れ晴れとした顔をしていた。
「わかった、教えてくれてありがとう。父さんの研究をよろしくお願いします」
 ぺこりと丁寧なお辞儀をされて、エドワードもつい頭を下げてしまった。
「えっあっ、いや、こちらこそ……」
「あはは、なんだかあたしたち頭下げてばっかり」
「はは、そうだな」
自然とエドワードは笑顔になった。ダリアの笑みに偽りが感じられないからだ。
「……あのね、あたしもね、錬金術が使えたら手伝ってるのにっていつも思うの。でもダメだった。あたし、本当に錬金術の才能がないの。お母様とお父さんの血を引いてるはずなのに、そこは二人から全く受け継げなかったみたい」
 父親と母親の血。ということは父親だけでなく、母親も錬金術師だったのだろうか。
「身体だって弱いし。お父さんに迷惑かけてばっかりで。普段は元気に動けるから、時々自分が病人であること忘れそうになるんだけどね」
そう、病気だ。一見すると元気そうに見えるのだが、マスタングに渡された資料には原因不明の臓器不全に悩まされていると書かれてあった。
「エリック、見て」
ダリアが躊躇なく少しだけ袖をめくった。エドワードは目に入ってきた光景に声を失った。細い腕の内側は、皮膚が盛り上がり膿んでいるように青黒く変色していた。まるで、内側から腐っているような。
「気持ち悪いもの見せてごめん。でも話しておこうと思って。ここの地域では、結構見かける病気なの。年配の方がほとんどかかるわね。私がかかったのは生まれてすぐだけど。治療法も確立されていなくて、原因もわからない。亡くなった方を見たことがあるの、この痣がどこかに浮き出てきたらすぐに体全体に広がって、異臭がする体液が漏れ始め、体のありとあらゆる臓器が機能を止める。まるで内側から腐っていくみたいにね」
淡々と話すダリアは、冷静だった。エドワードからは、冷静そうに見えた。
「最初は痛みに泣き叫びながら、最後は泣き叫ぶこともできなくなるほど身体が憔悴して死ぬの」
「……今、ダリアは、大丈夫なのか」
愚かな質問だと思った。だが聞かずにはいられなかった。
「うん、大丈夫。この痣も痛そうに見えるんだけど、あんまり痛くないの。実は数年前から広がってないし。ただ、やっぱり心臓が苦しくなったりとか、体の中の臓器がなかなか動いてくれないな、ってなる時があるわ。どこの臓器が悪いのかはもうわかんないんだけど。こんなんでも年々、進行はしてるみたい」
困っちゃうよね、とダリアは苦く笑いながら頭をかいた。壮絶な話だと思った。エドワードは何も言えなかった。下手な慰めなどダリアは求めていないと思ったからだ。
「まあだからこそ、他の地域では見られない宗教も確立したのかもしれないわね」
「宗教って……さっきの教会のか?」
「うん、そう」
ダリアが腕を隠し、そばに置いていた一輪の花を花瓶に活けた。先ほどの痣は、あっと言う間に服に隠れて見えなくなった。自身の死が、直ぐ傍の未来にあるかもしれない。その恐怖はどれほどのものなのだろうか。エドワードはアルフォンスの鎧姿を思い出した。鎧に魂を定着させた歪な体。肉体は無い、そこにあるのは魂だけだ。いつ血印が消え、魂が鎧から剥がれてしまうかもわからない。夜眠る前に、もし朝起きた時アルフォンスが物言わぬ鎧になっていたらどうしようという不安感にかられることがある。そんなことになれば、きっとエドワードは発狂する。しかし、人間は睡眠をとらなければ生きていけない。だから、どんなに恐ろしくともエドワードは夜に目を閉じるのだ。アルフォンスの隣で。諦めず、明日に向かうために。
「お母様、見て。お母様が気に入ってた花、今日も貰ってきたよ」
肖像画に話しかけるダリアの横顔を覗き見る。表情は柔らかい。ダリアの母は、自身と同じ病気を患う娘に何を思いながら息を引き取ったのだろうか。そしてダリアという少女は、この小さな体の内側にどのくらいの葛藤を抱えているのだろうか。エドワードはダリアという少女のことをよく知らないが、きっとその身には、エドワードが計り知れないほどの強さがあるのだろうと思った。
「……なぁ、ここの地域では何を信仰の対象にしてるんだ?」
「あっそっか、エリックは知らないのね。これよ」
ダリアが指をさしたのは、エドワードが予想もしていなかったものだった。
「ここでは花が信仰の対象なのか? 確か、それのことオルギニって言ってたよな?」
「よく覚えてたわね、正式名称はオルギニアデカンサス、っていうの。昔の言葉で『蝶』って意味らしいわ」
「蝶……か」
 なるほどな、と納得する。花瓶に生けられた数輪の赤い花の形は少々独特だった。左右に開いた花びらが二枚ずつ。上部にある花びらが少し大きく下部にある花びらが少し小さめだ。ぴょんと真ん中から飛び出している花井も二つ。そして、花弁には歪な丸い模様も備わっている。言われてみれば蝶の形や柄によく似ている。
「可愛い形してるでしょう? 花は成長すればするほど赤くなるの。この模様も大きくなって、ある程度の大きさになったらあとは枯れ時」
「模様で枯れる時期までわかるのか」
「うん、丸の形に近づいたら……そうね、満月がちょっと欠けたぐらいの大きさになったらもう成長は終わりね」
「すげえな」
 小さな花びらに触れなんとなく形状を確認する、なんとも育てやすい花だと思った。
「それでね、エリック」
「ん?」
ダリアが振り向いた。真っ直ぐにエドワードを見据える透明な瞳は、窓から差し込む光に照らされて、七色に瞬いていた。
「もしかしたらこの花がね、あたしや……エリックの弟さんを助けてくれる何かになるかもしれないの」

 

 

​*第二章中略→第三章へ​
 

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