
別に苦痛に歪む顔が好きなわけでは決してない。むしろ好きなのは泣き顔だ。
しかし彼女は滅多なことでなかないので、涙を流させるためには必然的に痛みが必要になる。
人間誰であろうと苦痛には弱いもので、大の大人(もちろん私も含む)ですら悲鳴をおさえることは難しい。だからやはり、歯を食いしばって悲鳴を押し殺そうとするこの少女は、とても強いのだろう。
そんなところも、愛しいと思うのだけれど。
赦せライラック
彼女が暴れるせいでうまく扱えない。もう3度ほど、彼女は気絶を繰り返している。
いや、本当はもう少し多かったような気もするが、正確な回数はきちんと数えてないので本当のところはわからない。しかし、重要なのは彼女の気絶回数などではない。彼女が痛みのあまり死んでしまないかということだ。
今は、ちょうど先ほど再び意識が戻ったばかりで、歯を食いしばって激痛に耐えている。
しかし、断続的にその身体は痙攣を繰り返しているので、また闇の中に落ちていくのは時間の問題だろう。さらにいうと、その美しい金色の目は大きく見開かれたままどこぞを向いていて、こちらを映してはくれない。本当ならその眼に入り込んでやりたいのだけれど、これ以上彼女にそんなことを頼んだとしてもできやしないだろう。
というよりも、こちらの声が彼女の耳に届いているかどうかもあやしい。
「エドワード、あと少しだ。頑張ってくれ」
「ぁ、ああ………ぎっィ、…ひっ………」
ああ、耳に残る悲鳴が心地いい。彼女の声はどんなに雄叫びのような声であってもその美しさを損なわない。どうなっているのか。本当に彼女は自分と同じ人間なのか。私には天から舞い降りてきた天使にしか見えない。その神秘的な声を聞きたくて、さらに腕に力を込める。
「―――ァ、あァあアア゛あ゛アァ゛ッ」
ぶし、と彼女の右足から新鮮な液体があふれ出す。赤い赤いそれに、ぞくぞくと身体の奥底から沸き上がってくるのは確かな快感だ。本当に、彼女には赤い色が似合う。今この部屋で彼女は何も身に着けていないので、普段着ていた赤いコートもない。床は冷たい石で、壁だって灰色におおわれている。そうしたのは自分なのだが、やはり彼女に似合う色が一つもないのは少しさびしい。
だから、こうして彼女の身体から赤色が噴き出るたびに、その黄金の絹のような髪にそれが付着して輝きを失うたびに、ああ、いい色だと感動するのだ。それが自分勝手な思いだということは重々承知しているが、自分がわざと苦痛を長引かせてしまうのはあまりにも美しすぎる彼女にも責任はあると思う。
「ァ、あ、ぐ、………ァ、」
「ああ、エドワード。綺麗だよ」
うっそりと彼女の頬を撫でながら、もう片方の指先をぱちんと擦る。
とたんに上がった火花が彼女の右足の切れ目を焼き尽くし、彼女はあまりの衝撃に悶絶して白目を向いて気絶した。4度目だ。
その瞬間彼女の脚から噴き出す赤がなくなり、それに一抹の寂しさを覚える。
人体を切るためには、それ専用の刃物などがあるのだろう。しかし、そんなもの買ってしまったら簡単に足がつく。マスタングは、この二人の空間を誰にも邪魔されたくなかった。
それを避けるためには自分でなんとかするしかない。何度も実験を繰り返して、自ら鋭く大きな刃物を錬成した。鉱物系は専門外だったが、彼女のためになんとかこしらえた。
前に作ったものは刃こぼれしてしまい使いものにならなくなったので、いっそのこと今度はもう少し頑丈なものをつくろうと思ってできたものがこれだ。
切れ味はなかなかいい。前よりも彼女の苦痛が和らいでいるかどうかは疑問だが、刃こぼれしてなかなか切れないものよりもこちらのほうが断然いいだろう。
ふと、冷静になって彼女の顔を見る。顔面蒼白となった彼女の瞳は閉じられ、そこから透明なものがあふれでていた。いつのまに、涙を流していたのだろうか。たぶん気絶する時だろうか。零れ落ちる瞬間を見ることができなかった悔しさに、ふつふつと自分と彼女に対して怒りがわいてきた。
「エドワード、起きなさい」
起きて、もう一度目を開いたまま涙を流してもらいたくて、気絶してもなお痙攣し、喉から小さな悲鳴をほとばらせている彼女の頬を柔らかく叩く。当たり前だが、起きない。何度も何度もその柔らかい頬を叩いているうちに、ふいに口づけたくなった。
彼女の脚に力を乗せるのをやめ、両手で彼女の頬を包み込み、柔らかく潤んだ唇に口付ける。ふわりとした幸福感に、心がいっぱいになった。どうしてだか、甘い。彼女の唾液はこの世に存在している全ての砂糖よりも甘い。極上の甘美だ。舌をねじ込み、しばらくそこに留まらせる。このまま死ぬまでこうしていたい。そんな欲求がみるみるうちに身体からあふれ出した。でも、彼女の唾液もすすりたい。二律背反とした感情に揺さぶられながらも、後者を選んだ。
何度も何度もその柔らかい舌をむさぼり、己の唾液を注ぎ込む。彼女は気絶しているので自分から舌を動かしてはくれないので、これでもかというくらいに口内をむさぼる。
「は、ぁ、エド、エドワード………」
我ながら、切ない声がでるものだと思う。でも、それほどまでに君に夢中なんだ。どれだけ君の中に入り込みかき回しても、満たされることは決してない。まるで、タチの悪い麻薬だ。
どのぐらいそうしていたのだろうか。ふいに彼女の身体が大きくびくりと動いた。彼女の舌が自然と逃げるように動き出す。もう少しこれを楽しみたかったけど、しょうがない。彼女が起きてしまったんだから。今は、涙を流す瞳をこの目に収めることのほうが先決だ。キスは、後からいくらでもできる。
「おはよう、エドワード」
「ん、ァ………ぐっぅ!」
彼女が覚醒する前に刃物を手に取り、半分まで切り落とした脚に食い込ませる。
「あと一回で終わらせてあげるから、おとなしくしていなさい」
「あ、あァ、ああ………ひっ」
「いくよ」
「や、ィや………ァあ」
可愛らしく小さく首を振る彼女にもう一度口付けてから、もはや暴れることすらできない身体を押さえつけ、食い込ませた刃物に力を込める。そして、全体重を乗せて落とした。ずごっという重い音がして、刃物の先が地面に当たった衝撃に、腕がしびれる。
「――――――ッ!!」
重い衝撃に一度目を見開いた彼女は、熱い血しぶきが飛び散った瞬間、喉の奥から声にならない絶叫を迸らせた。顎に手をそえ、むりやりこちらを向かせる。焦点の合わない瞳は案の定こちらを向いてはくれなかったが、その瞳から滝のように溢れだす涙を見れたことで、満足した。
赤いしぶきは早く止めないと、出血多量で命を落とす。涙を流す頬に口付けた後、マスタングは本日最後となる自らの錬金術を使った。
勢いよく燃え上がった切口は、あっというまに墨のように黒焦げになった。これでも雑菌もはいらないだろう。もしかしたら今までで一番きれいな焼き跡になったかもしれない。さすがに二回目ではこちらもなれたということか。
「エドワード、よく頑張った、えらいよ」
「――――ア、ァ、ぁあ」
再び意識を飛ばした少女の頭を何度も撫でてやる。これから一週間は痛みでまともに会話もできないかもしれない。しかし、これでもう彼女は自分から逃げられなくなったということに対する喜びのほうが大きいので、それぐらいは我慢しようかと思う。
「これでもう、私から逃げることはできないな」
忌々しかった右足もなくなり、彼女はいま両手両足のどれもなくなった状態だ。満足に歩くことも、まともに這うこともできないだろう。
片足で逃げ出そうとしている姿を見た時は、心底肝が冷えた。
機械鎧の右腕左脚は簡単に外せたとして、生身の左腕と右脚をとってしまうのはさすがに可哀想だと思った。しかし、左腕があったら錬成陣は描けてしまう。描けるような道具は一切渡さないなどの最善は尽くしていたが、もし逃げられたらどうしようかと悩んでいた時に起こした、彼女の一回目の逃亡劇。
自らの血を使って描かれた錬成陣。私が側にいない時はしゃべれないように猿轡を噛ませ鎖で繋いでいたというのに、どこで切ったのだか。もし寸前で発見できなければ逃げられてしまっていたに違いない。
さすがに左腕を切られた今、二回目の逃亡を図るとは思ってもいなかった。なにせ、あれだけの痛みにあわされたのだから。
しかし、彼女の精神はまさに鋼だった。どんなに虐げられても、決して諦めないその孤高な心。
侮っていたわけではないが、まさかここまでとは。
全てを捥ぎとられて、彼女は何を思うのだろうか。何もできない恐怖に絶望するだろうか。それとも、諦めずに私を睨み付けるのだろうか。
絶望し、崩壊し、全てを私にゆだねてほしい。私だけを見て、私だけのものになってほしい。そう思う心は確かに本物で、それ以外は考えられない。しかし、もし彼女がまだ諦めなかったら。まだ外の世界に思いを馳せ、私のそばから羽ばたこうともがいたら。私は変わらない彼女に歓喜し、喜ぶのだろうか。
「っ、………」
そんなことをつらつら思っていると、ふいに彼女の瞳が震えた。はやい目覚めに、鼓動が高鳴る。
もう、君の腕も脚も、全てなくなったよ。君は、私から離れることはできないよ。これからはずっと二人だけで生きていこう。
はやく、思いのたけを彼女に伝えたくて、彼女の頬を撫でた。
ゆっくりと見開かれた金色に瞳に捕えられて、身体が震える。一度も合わなかった焦点がやっとあった。まだ痛みに呻き身体も痙攣しているが、その瞳はいつも通り真っ直ぐに、自分を捕えた。ああ、エドワードが私を見ている。私だけを見ている。それがとてつもなく嬉しい。
「もう、きみの腕も脚も、全てなくなったよ」
甘い声で、優しい事実を告げてやる。
「君は、もう私から離れることはできない」
やっと、二人だけの世界になった。
「これからは、ずっと二人で―――」
生きていこう、その言葉を言う前に頬になにか熱い飛沫が飛んできた。
思わず拭ったそれを見ると、血の混ざった、唾。
まじまじと彼女を見やる。
血の混じった涎を垂らして、涙も垂れ流しで、痩せこけて、蒼白で、痙攣していて、苦痛に歪んだ顔は、明らかな怯えと恐怖に彩られている。けれど。
そこに、絶望は、なかった。
爛々とした金色の瞳が、マスタングを射抜く。
「だれ、が、……ァ、っぐ」
声をまともに出したことで脚が痛んだのか、のけぞるように彼女が地面に頭を擦り付ける。扇情的なその姿に、喉が鳴る。
「で、め、なん……っ、っ、かと」
かは、と血の入り混じった呼気を放ちながら、少女が唸った。
「くたば、れ………ッ」
獣のような眼光は、確かに自分を貫いて。
ああ、この金色の天使は、まだ自分を見失わない。
確かな熱持って、私を恐怖し、蔑み、憎んでくる。
それの、なんと美しいことか。
この時、私が確かに感じた感情は、間違いなく、喜びで。
ああ。
「………愛してるよ、エドワード」
彼女が狂うのが先か、私が彼女に狂うのが先か。
どちらにしろ、私は彼女を手放すことが、一生できないだろう。
こんなにも愛おしくて、愛おしくて、愛おしくて。狂おしくて。
だってこれは、私の人生で、生まれて初めての
初恋、なんだ。