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「エドワード、ほれ」
汽車を待つホームで、見送りに来てくれたピットに手渡された物に、エドワードはあまり驚かなかった。
「なんだよ、あんまり驚いてねえな」
「ピットなら、拾っててくれるって思ってたからな」
「よく言うぜ、あの後アルフォンスに詰め寄られてこっちは大変だったんだぞ」
「ははっ」
すこし色褪せた赤いゴム。それをぎゅっと握りしめる。
「昨日、悪かったな」
「アルフォンスに聞いたぜ、まさか朝帰りしてくるとは」
「い、いろいろあったんだよ!」
あの後、二人で抱き合ったまま眠ってしまったのだ。散々泣いて疲れたのか、子供のようにぐっすりと。それでも、爆睡してしまったエドワードの変わりに、マスタングがアルフォンスに連絡をいれてくれていたらしいが。
「昨日の軍人、大佐だっけ、あれだろお前の好きなやつ」
「そ、……うだけど」
ごにょごにょと言葉を濁すエドワードに、ピットはにっと歯を見せた。
喫茶店でピットと話しているところを見られてはいたらしいが、まさかあそこで恋人だと思われていたなんて。
おかげで、あの時の会話の内容を洗いざらい吐くことになってしまった。ピットに髪がのびたなと言われてほどいてみせ、好きな人のために伸ばしているのかと揶揄られてピットの頬をつねったことも。
それで確信したらしいピットに、顔が真っ赤になるまでからかわれたことも。
しかも、エドワードがピットと道ばたで再会した時、キスをしていたと勘違いされていただなんて。誤解を解くのに苦労した。
「怯えてたけど、なんとかなったんだな?」
「怯えてた?」
「ああ、あの人さ、お前引きずってくとき、めちゃくちゃ怯えてたから」
だから大丈夫だと思って追いかけなかったんだけど。あっでも馬にも蹴られたくなかったってのもあるけど、と、あっけらかんと言う友人に、エドワードは絶句した。
「お前、本当に鋭いというか……オレに似てんな」
「やめろよ、気色わるいっ」
「あ、なんだって!?」
「もう背だってお前より高いからな、似てるとこなんてねえよ。血気盛んなお前と違って俺は大人だし!」
「はあ!?どこ見ていってんだ、オレのほうが大人だろうが!」
「もう誕生日きてお前より歳上になりましたー、はやく大人になれよ、おこさま」
「てめぇ!」
「いい加減にしなよ二人とも!ほんと仲いいんだから」
終わりそうにない言いあいにすっと割り込んできたアルフォンスに、エドワードもピットも口を揃えた。
「「仲よくない!」」
「あっほら兄さん大佐来たよ、行ってきたら」
アルフォンスの言葉に振り向くと、そこには息を切らしこちらに駆け寄る大人の姿が。
「大佐」
驚いたように声を上げたエドワードは、そんなマスタングのもとへ直ぐに駆け寄った。









「なあアルフォンス」
エドワードの背を見送りながらかけられた声に、アルフォンスはぎしりと首を動かした。
「俺はエドワードとは似てるけど、他人だ。性別だって違う。同じじゃない。だから、エドワードのこと一番理解してんのは、他でもない弟のお前だよ、アルフォンス」
唐突に言われた言葉にアルフォンスはピットを見つめた。
視線を感じたのか、ピットはアルフォンスに向かって歯を向けた。
「だから、そうしょげんな」
たった一言、されど一言。アルフォンスはがしゃんと肩の力をぬいた。
実際はただ音をたてただけだろうが、抜いたつもりだった。
「ピットは本当に、姉さんに似てるね……びっくりしたよ」
「褒め言葉か?それ」
「褒めてるよ、わかってるくせに」
へっと口角をあげる姿は、かつてのガキ大将そのものだ。
いつも仲良くお互いを羽交い絞めにしたり、殴り合ったり喧嘩をしたりしていた二人。そんな姿は、アルフォンスにとってももう遠い過去だったが、その皮肉下な微笑みだけは変わらない。
「殴ってしまいたいっていうのは本音だけど、姉さん達の問題だからね」
「お前は大人だなあ」
確かに、成長しているのだ。前よりは近くなった目線に、アルフォンスはホームの天井を見上げた。
ピットは医者になるために前を向いて歩いてゆくのだろう。あの時、お前が羨ましいとエドワードに当たり、嘆いていた彼は、もういない。
自分たちだって負けていられない。
「アルフォンス、お前だってエドワードに似てるぜ」
「そうかな」
「まあ多少は、エドワードよりも落ち着いてるけど、根本的にはな」
「それって褒めてる?」
「褒めてるよ、わかってんだろ」
がんと叩かれた鎧は静かに反響した。それでも、アルフォンスに対するピットの態度は変わらない。姉の友人ではあるけれど、故郷の大切な仲間だ。
「……収まるとこに、収まってよかったよ」
「うん、だね」
ホームの端で見つめあう二人を眺める。
「大丈夫かね、あの二人」
「大丈夫だよ、他人だし、お互い想いあい過ぎて喧嘩したり拗れることはこれからもあるだろうけど」
遠くから、汽笛が聞こえてきた。
「なんとかなるんじゃない?きっと、生きてる限りね」










「よく抜けてこれたな」
今朝別れたばかりのマスタングは、だいぶ疲れた顔をしていた。それもそうだろう、昨日は仕事を途中からサボってしまったのだ。今日は優秀なマスタングの副官に、みっちり缶詰め状態にされるとばかり思っていたのだ。
「行ってきなさいと、素直に送り出されたよ、君が、みんなに好かれているからだ」
疲れてはいながらも柔らかな顔でしゃべる男は、どこかすっきりとした顔をしていた。
たぶんエドワードと同じくらい。
それでもやはり、まだ慣れない。マスタングから、悪意のない優しい言葉をかけられることが。
昨日の出来事が白昼夢のようにさえ思えてくる。
そんなエドワードの居心地の悪さを感じたのか、マスタングがまた眉間に皺をよせた。
そして、ふいに髪に触れてくる。
一房を手に取られたそれをじっと見つめられて、穴が開いてしまいそうだった。
「切ったのか」
「ん?ああ。今朝アルフォンスが整えてくれたんだ」
落ち着いて、口にすることができただろうか。
昨日よりも、切りそろえられた金髪。ざっくばらんだったからなと言えば、マスタングはじっと、エドワードを見つめた。眉間の皺は、いまでも取れていない。まるで縫い付けられてしまったかのように。
私を許さないでくれと、眠気に襲われ目を閉じた後に飛び込んできた懺悔の言葉を、エドワードは確かに聞いた。
許すもなにも、ない。これまで積み上げられてきたものは何をしても消えることはない。物理的な暴力の傷は癒えても、心の傷はいつまでも恐怖に痛み続けるように。
エドワードに、そしてマスタングにできることは、目を逸らさずに背負ったまま、前に進むことだ。
マスタングもそのことをわかっていたから、エドワードが眠りに落ちたと思った時に言ったのだろうけど。
「鋼の、すまない。見つけられなかった……」
ふいに落とされた神妙な言葉に、首を傾ける。
「は?なにを」
「髪ゴムだ、昨日の場所に行ってみたんだが」
沈んだ様子でしょげる大人に、エドワードはなんと声をかければいいかわからず、しかし黙っているわけにもいかず顔を上げた。
「あ~、あのさ」
これ、とコートのポケットに入れていたものを取り出す。
「自分で取りに、いったのか」
一瞬驚きに目を見張ったマスタングに問われて、エドワードは慌てた。
「違う、ピットがっ」
しかし言ってからしまったと思った。一気に、怒気を露にしたマスタングが遠くにいるピットを睨み付けたからだ。
「怒るなよ……」
まさか、これほどまでに嫉妬深い男だったとは。
昨日も、あの少年とはなんともないんだなと何度も聞かれ、いい加減キレたエドワードに殴られた痕がマスタングの耳の下に残っている。それすらも愛おしそうに撫ぜる姿に、エドワードは何も言えなくなったのだが。
たった一晩で、人はここまで変わるものなのか。まるで生まれ変わったかのように喜々として熱のこもった視線を向けてくるマスタングに、エドワードは身体のいたるところから火がでそうだった。
助言してくれたのは部下だと言ってはいたが、どんなことを話したのかは気になる所だ。
「指を燃やして」
「燃やすな!」
「切」
「切るな!」
「……大丈夫だ、しない」
君が悲しむからな、と真面目に呟いたマスタングに脱力しかけた時、兄さん時間だよー!とアルフォンスの高い声が耳に届いた。ふ、と息をつく。まだ話したりないとは思いながらも、エドワードはトランクを持った。
「じゃ、いってくるから、アンタ、ちゃんとピットにあやまっとけよ」
「鋼の」
なるべくいつも通りに、立ち去ろうとしていたエドワードは、急に真顔になったマスタングに目を瞬かせた。
「なに?」
「一つ質問をしていいか」
「え?あ、ああ……」
「無関心の反対は、なんだと思う」
「え?」
突然の突拍子もない質問に、エドワードは動きを止めた。
無関心の反対?トランクを床に戻し、マスタングを見つめる。
「そりゃあ、好き、だろ……」
有名な言葉だ。きっと、誰しもが一度は耳にしたことがある。
「それは、間違ってはいない。しかし、違う。私にとっては」
「違う?」
間違ってはいないというのに違うとはどういうことか。
エドワードは少しだけマスタングの側によった。この話しは今聞かなければならないこと、そう思ったからだ。
「無関心以外の私の気持ちは、全て君に向いているんだ」
惜しげもなく言われた言葉に、エドワードはどういう顔をしたらいいかわからず、目線をさ迷わせた。もう、こんなことを言うマスタングには慣れなければいけないのに、さすがに昨日の今日だ。どうも違和感と居心地の悪さを感じる。
「アンタ、本当に、なんでこう……ああもう」
頭を掻く。それは、泣きだしたいぐらいに温かい感情であることには変わりないけれども、今目の前にいる相手は、顔を寄せあってこれでもかというぐらい大泣きし合った相手なのだ。
「じゃあ、ええと、無関心の反対は、全部か」
気恥ずかしさに、視線を床に向ける。司令部を飛び出した時は道の床を酷く病んだ気分で眺めていたが、今はそんなことはない。
「好き」という言葉だけでは足りない、全ての感情。確かに好きは含まれてはいるが、それだけではない。
「好き」は、憎しみにも、悲しみにも、執着にも、愛情にも、無関心以外の残りの全ての感情に立ち代わることのできるものなのだから。
「違う」
しかし、エドワードの答えは一蹴された。静かな声に不思議なものを感じてマスタングを見ると、ひどく穏やかな瞳と目があった。いや、穏やかなだけではない、なにか決意に満ち溢れた、静かに燃える、力。
「君だ」
トランクの持ち手が、エドワードの指先から離れた。
「君なんだ」
力強く抱きしめらる。それと同じくらいに力強い言葉。
「私の無関心の反対は、好きでも全てでもなく、それをひっくるめて―――君だ」
それでも、そっとエドワードの髪に触れてきた指先は、まるで壊れ物を扱うかのように優しくて。
「こんなことしか言えなくて、すま……悪いが」
すまないと、言わないように心掛ける大人がおかしくて、エドワードはそりゃあ同じ意味だろと突っ込みを入れることをやめた。その代わりに、マスタングの広い背中にそっと指を添えた。早い鼓動が、服越しに伝わってくる。エドワードの鼓動もきっと、マスタングに聞こえているはずだ。
汽笛が近づいてきて、そっとその身体を押すまでずっと。エドワードはマスタングの奏でる音を聞いていた。
「行ってくるから」
トランクを再び手にとり、背を向けて歩き出す。背中に、名残惜しそうな視線を感じた。
振り向くか迷ったが、少しだけ顔を向ける。案の定、そこには冷静を保とうと踏ん張りながらも、瞳を小さく揺らす男がいた。まるで、母親に置いて行かれる幼子のようだ。
人の事を子供だ子供だと散々揶揄してきたくせに、マスタングも大概だろう。エドワードの知らなかったマスタングが、昨日から大勢現れて、エドワードの中を散々踏み荒し、かき回してゆく。
これからもきっと、振り回され続けるのかもしれないけれど。
お互い、再び大粒の涙を零すこともあるかもしれないけれど。
苦い後悔を砕き、噛みしめ、背負いながらも、好きですまないと泣いた大人は。
それでもエドワードが欲しいと、身を切るような悲鳴を上げた。
「ロイ」
足を止め、横目でひしゃげた子供を見据える。
「オレにとっての、無関心の反対」
唐突に名前を呼ばれ確かに動揺したらしいマスタングは、次のエドワードの言葉に口をわずかに開けたまま硬直した。
マスタングには色々なことをされた。それはエドワードの心に大きな傷を残した。今でもじくじくと、胸を突き刺す痛みはある。けれどもきっとそれが、エドワードにとっての「ロイ」なのだ。
彼はエドワードの全てだ。憎しみも、嫌悪も、苛立ちも、苦しみも、哀しみも、怯えも、そして、愛情も。一度たりとも、マスタングに対して無関心であることは、なかった。
そしてそれは、マスタングも同じだと言った。
「たぶんなっ」
国軍大佐の、そんな顔がおかしくて、エドワードは笑いながら駆けだした。
アルフォンスとピットのいる列車の扉に向かって。
唐突に走り出したエドワードに、はっと意識を取り戻したらしい大人は、周りを気にする余裕なんてないというように声を張り上げた。追ってはこない。少し遠い場所から、エドワードが乗る列車を見つめている。
それでいいのだ、きっとそれが、今の二人の距離だから。
「君に、そう言って貰うために心がける」
切羽詰まった、温かい声に押されて、エドワードは歩を早めた。
駅で待っている人々がエドワードと、マスタングを興味深い眼差しで見る。
子供と、明らかに地位の高い軍人の不思議な掛け合いに、みな驚いているようだ。もしかした変な噂が立ってしまうかもしれない。それでももうフードは被らない。被る必要はないと思った。
「だから……帰ってきてくれ……!」

振り返る代わりにエドワードは手を上げた。
手首にかけた色あせた髪ゴムが、日の光を受けてちらりと、輝く。
それでもそれは、輝く黄金の髪には負けていたのだけれども。

帰ってこよう、またここへ。
ここにはみんながいる。まだまだ果てしない道のりの途中だけども。
人の想いというのは残酷で、時に傷つけ合い、ぶつかりあうこともあるけれど。
降ってくる唇は、変わらず温かなものであると思うから。
長くなった髪を、赤いゴムで結わえて。いつか、この場所に。

貴方の、優しい腕の中。
きっとそれだけが、オレの全て。


 

 





無関心の反対は









その後、マスタングに謝られたらしいピットからの電話に。
指を念入りに洗えと何度も言われたという不機嫌な声に、エドワードが笑い転げてしまったのはまた別の話。

 

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