
失楽園のAdam 1
キスって、こんな味がするのか。
あったかくて、やさしくて、甘い。初めて、重なってくる唇を自分から噛んだ。
嫌だったからじゃない。もっとほしくて。もっとキスがしたくて。ねだった。
求めに応じるように、少し離れ、また重なる柔らかなそれ。ただ唇と唇をくっつけ合わせるだけの拙いキス。身長差だってそこまであるわけでもないから、傍から見れば幼い子ども同士の微笑ましい戯れだと思われるのかもしれない。けれども、今までしてきたどのキスよりも、心があたたかくなって、視界が緩んで、泣きたくなるほどに、幸せだった。
産まれたばかりの赤ん坊のように、とにかく泣いて、縋り付きたくなる。受け止めてほしい、この、切ない想い分。きっとこのひとは、受け止めてくれるひと。
奪いつくすでもなく、傷つけるでもなく、こんな風に想いを分け与え合う優しい口づけがあるなんて、知らなかった。苦しくない、痛くもない、悲しくもない、寂しくもない、ただ、満たされるような想いと、ひだまりのような優しさがある。ぎゅっと、胸が締め付けられる。
ああ、キスって、こんなにも気持ちいいものだったのか。何度も目をあけてしまったのは、恐怖からではない。嬉しかったからだ。目の前にいるひとの瞳を、見たかったからだ。
淡い、蒼い瞳。視線が合わされば、恥ずかしそうに唇が離れる。けれども、じっと見つめ合って、またくっつく。おずおずと握りしめられる指先すらも、心地よい。きゅっと強く握りしめれば、お互いの笑い声がくぐもって、唇が震えた。彼の頬が赤い。同じだ。オレもきっと、リンゴのように赤くなってる。だって、こんなにも頬がぼうっと熱い。同じだ、同じ気持ち。一方通行じゃない。繋がってる。まるで、夢を見てるみたいだ。これ以上ないほど幸せな、夢のような。
そう、夢だった。
一刻の、夢だった。
夢は泡となって、あとは消え失せるだけだ。
「……ッが、は」
「洗え、その汚い口を」
じゃばじゃばと、耳元で激しく水が跳ねる。もう、顔面から頭部にかけてまともに機能している唯一の聴覚は、弾ける水音しか捉えられていない。男の声すらも水音にかき消される。ただ、頭を押さえつけてくる力の強さから、男の怒りが皮膚を通して伝わってきて、それが一層恐怖を煽った。肌を突きさす冷たさの中、わずかに開く瞼の隙間から昇っていく空気の泡が見える。必死に口を開いてそれを飲み込もうとして口に含むことができない。あっと言う間に、肺にため込まれていた酸素ももうわずかになった。苦しい。息がしたい。沈められている水の海から逃れようと、唯一自由な左手で水面を叩き、もがく。しかし、もがけばもがくほど、押さえつけてくる力は強まるばかりだった。
苦しい、死んでしまう、苦しい、苦しい──
「……ッげ、はっ」
もう抵抗すらも弱弱しくなった頃、急激に喉に酸素が入り込んできた。真っ先に目に入ってきたのは、水びたしのタイルの壁。水の中じゃない。わずかに灯った命の火を耐えさせぬため、大きく口を開き必死に息を吸う。喉を痙攣させ、口内に残った水と共に新鮮な酸素を吸い込む。肺いっぱいまで吸い込みたいのに、息が浅くてうまく吸えない。か細い呼気を繰り返す自分を嘲笑うかのように、また背後から力を込められる。いやだ、と思った瞬間には目の前にある水面。遮断される外の音。ぶくぶくと、自分の口や鼻から洩れていく空気。
「、~~、!!~~」
何秒か何分か、何も考えられぬまままたもがく。冷たい水が、肌と瞼に突き刺さる。
暫くしてふいに力が緩んだ。ざばりと髪を引っ張り上げられ、息も整わないうちに今度は口内に指を突っ込まれた。
「か、ぐぅっ……!」
「口を閉じたままではゆすげないだろう」
喉奥を抉る指先に、腹に溜まった水が戻りそうになる。口を大きな指でぱかりと開かされたまま頭を押され、また水面が近づく。力の限り足裏で踏ん張ってみるが、後ろで固定されていた腕を折れんばかりにひねりあげられ激痛に意識が逸れた。気づけばまた水の中。濁流のように口内に入り込んでくる水。いくら首をひねっても、唇をこじ開けてくる指先からは逃れられない。指先よりももっと奥へ、我先にとなだれ込んでくる冷たい水が肺まで入りこみ、かろうじて残っていた空気をもいとも簡単に溶かしていく。
──死、ぬ。何度目かの絶望。幾度となくり返される暴虐に意識と体が沈みかけたその瞬間、また髪を引っ張り上げられた。今度は、背が仰け反るくらいに。
「、ぅ゛ぐっ……、!」
「どうだ、少しは反省したか」
やっと与えられたまともな解放。鼻からも口からも、ぬるい水が噴き出す。
「鋼の、反省したか」
口内に溜まった大量の水を死に物狂いで吐き出す。声をまともに上げることはできなかった。ずきずきと痛む鼻の奥を膨らませ、酸素を肺まで送り込むだけで精一杯だ。しかし、後ろの男は返答がないことに機嫌を損ねたらしい。さらに強い力で髪を捩じり後ろに引っ張られる。張り詰める皮膚が悲鳴を上げた。
「いぁ゛っ、ゥ゛っ、」
「反省したか、と聞いている」
舐めるような呼吸が耳朶に直接吹き込まれる。いつも張りの効いたバリトンは、今はとても平坦で、冷たい。バスタブにはられた、この水よりも。
男の、マスタングの怒りに触れてしまったことは、今回が初めてではない。過去にも何度かあった。けれど、ここまで酷いのは初めてだ。これまで、エドワードの言葉でマスタングの機嫌が下がったことはあるけれど、うっすらと頬に浮かべられた笑みが崩れることは一度もなかった。マスタングは、目に見えて「怒る」ということはしない男だ。エドワードに手を上げることも。それなのに今はどうだ。いつもの酷薄な笑みはなりを潜め、黒く濁った鵺の瞳がエドワードを静かに見下ろしている。暴虐の限りを尽くす両の腕は激しいのに、絶対零度の視線だけは暗がりに潜む獣のように静かだ。ただじっと、エドワードを見下ろしている。その牙は確実に、エドワードを苦しませ、痛めつけるためだけに動かされている。そこに、一切の躊躇も容赦もない。それほどまでに、今回の出来事はマスタングの心の奥深くに潜む何かを踏み荒らしてしまったのだろうか。そうであれば。
今のエドワードに、逃れる術はないに等しかった。
「答える気はない、か。まったく」
「ぁああッ、いっ、いたッ痛い……!」
さらに力をこめられ、髪がぶちぶちと抜ける。皮膚を引きちぎられるような痛みが幕の張った脳髄に響く。ほつれた金の髪は、もう既に三つ編みの体をなしていなかった。
「鎖が、短すぎたかなぁ」
間延びした声色に、ぞっとする。するりと、後ろから無骨な指先が喉元に這わされた。冷えた首筋を温めようとでもいうのか、ゆったりと肌をさする手のひらは大きい。男の、大人の手。首を覆うように回された手のひらは人肌の心地よい温度であるはずなのに、体温がどんどんと奪われていくようにすら感じる。気のせいではない。マスタングはきっと、エドワードの全てを奪う気だ。
「君は随分と冷たい女だ。酷い裏切りだとは思わんかね」
首の窪みを這う長い指先の優しさに、汗が冷えてゆく。
「私がいない時を狙って、あんな路地裏で、なんて。あの時の私の気持ちを君に教えてあげようか」
──ぐっと、強い圧迫感が首にかかる。
「……、くぅ」
狭まる気道。絞るように締め上げられる。唯一動かせる右手で引きはがそうとしてもビクともしない。それほどの力だった。自分が子供であることが、こんなにも歯がゆい。機械の指ででさえ、マスタングの腕を剥がせない。水の中に沈められた時とはまた違う苦しさに、足のつま先がぐっと伸びる。ぎりぎりと、首の肉が軋む音がする。
「人前でなければ、あの時君の四肢は棒のような炭に」
「……、っ、ん、ぅぐ」
「もう一人は、そうだな。戦場で役に立ついい実験動物が一匹増えていたかもしれん」
わかるね?と、睦言のように囁かれ、苦しさがより一層増した気がした。
勘違いをしたのは、エドワードだ。マスタングは、そこまで怒らないと思っていた。マスタングに手ひどく扱われたのは、初めて肉体関係を強いられた時のみだ。それ以降、マスタングから激しい暴行を受けたことはない。もちろん呼び出されれば無理矢理抱かれたが、その拳が振り下ろされることはなかった。エドワードが羞恥心と恐怖に苛まれどんなに嫌がっても、甘く激しい快楽を飽きることなく与えてきた。壊しはしない、遊べなくなるからだろう?そう男が宣言した通り、マスタングは常にエドワードの精神が保たれるぎりぎりのラインを責めてきた。エドワードの未発達な性を強制的に暴き、権力と脅迫に抗えぬ子供の精一杯の抵抗を嘲り、時には逃がし、時には追い詰め、まるで愉快な狩りをしているかのように、弱い獲物をいたぶるのを楽しんでいた。
そう、ゲームだった。マスタングにとってエドワードを蹂躙することは、数あるゲームのうちの一つに過ぎなかったはずだ。少なくともエドワードはそう認識していた。だからこそ、マスタングがこの残酷なゲームに飽きるまでの辛抱だと、自身に言い聞かせることができたのだから。
今回のことでマスタングの自室に呼び出された時も、彼はいつも通りの笑みを浮かべエドワードを迎え入れた。珈琲すら用意して、悠然とソファに腰を降ろしていた。普段より口数がすこしだけ少なかったことに多少の違和感は覚えたが、それだけだった。まさか、あんなたったの一言で。
それまで湛えていた笑みが一瞬にしてかき消えるなんて、思いもしなかった。
かき消された笑みと、色のないマスタングの瞳に気が付いた時には、もう遅かった。有無を言わさぬ強い力で引きずられていった先は、バスルーム。の中の、浴槽。水はもう張ってあった。エドワードはその時初めて理解した。マスタングが最初から、こうするつもりでいたということを。
「~、~~ぅ……」
苦しさが頂点に達する。ぶるぶると、自分の身体がつま先から痙攣していくのがわかる。どんなに錬金術の才があったとしても、息ができなければ、人間は死ぬ。動ける範囲で力を振り絞るが、少しも苦しさから逃れられない。ガンガンと頭蓋骨が破裂しそうなほどに痛む。目の裏が熱い。口や鼻、瞼の隙間を通して、脳髄、眼球の裏にまで血液が逆流していく。涎が、口の端からだらだらと零れてゆく。
「今からでも、遅くはないがな」
「……ッ、~~、」
「なあ鋼の。試しにあの男の肌を焼き尽くし引っぺがしてみようか。君の母親のようになるかな」
──がっ、と。ばたつかせていた足裏が何かに当たる。たぶん、マスタングの身体のどこかに。僅かに押さえつける力が弱まる。懸命に首を振れば、あれほどまでに自分を苛んでいた手のひらはあっけなく外れた。ざばりと、水面に突っ伏す。
「……けほっ、げっ、え、ぅえ゛」
浴槽のふちに胸部を乗せ、心臓が飛び出るくらい激しくせき込む。体を支えていられなくて、がくんと力が抜ける。溢れる涎が水面にしたたり落ち波紋を作る。一気に脳内に流れ込んだ血液が、耳の奥でどくどくと脈打うつ。背後から感じる突き刺すような視線。首の締め付けから解放されたとは言え、覆いかぶさるように抑えつけられているのは変わらない。まだ後ろに、マスタングが控えている。エドワードが最も恐れる悪魔が、いる。
「鋼の」
強くうなじに食い込む、固いもの。歯だ。獣の牙だ。獰猛な獣に、牙を立てられている。命の綱を、握られている。この男が本気を出せば、こんな柔い首なんて、簡単にかみ砕けるのだろう。
マスタングが口を離した。じんじんと痛むそこにかわりに添えられたのは指。
「もう一度問おう……反省したか」
次はない、と。圧迫された皮膚を通して体全体に伝わってくるマスタングの憤り。反省したか、もう何度同じ問いを受けたのか。マスタングの命通り、懺悔することはたやすい。男の身体に縋りつき、たった6文字を口にすればいいだけの話だ。ごめんなさい。こんな言葉、ものの数秒で言い終わる。ひたすら水に沈められる拷問まがいの暴力を耐え抜くよりも、よっぽど楽な道だ。けれども、言えなかった。言いたくなかった。マスタングのいう反省とは、理不尽なものだ。エドワードは、何も悪いことをしていない。たとえそれが、マスタングの逆鱗に触れるようなことであったとしても。
ただ、出会っただけだ。
ただ出会って、想いあっただけだ。
容赦なく髪を掴まれ、浴槽に何度沈められても、この想いは変わらない。これは、罪ではない。はにかむような笑顔を、かわいいと思っただけだ。もっと近づきたいと、思っただけだ。手に触れてみたいと、思っただけだ。側にいたいと、願っただけだ。
「ざ、けん、な……」
喉に引っかかる水滴を、吐き出しながら声を振り絞る。
「……なに、が、反省だ」
何度も生唾を飲み込む。ここに連れてこられてから長い時間酷使された肺と気道は、切実に休むことを訴えている。呼吸をするだけで、嘔吐感を伴うほどだ。今からエドワードが口にしようとしている台詞は、後ろでエドワードの命の糸を握っているマスタングの怒りをさらに煽る言葉となるだろう。どうなるかなんて、わからない。それでも。
「反省、なんて、する……もんか」
まさか自分が、誰かに、弟以外の他人に、こんな感情を持つようになるなんて思わなかった。マスタングにいたぶられながら、弟と自分の身体を取り戻すため赤い石の在処を探すことで精一杯で、他のことを考える余裕などどこにもないと思っていたのに。それでもエドワードは、出会ってしまった。
誰かの許しなんて、必要ない。これは、エドワードの気持ちだ。誰かに、マスタングに強制される覚えはない。マスタングという存在に苦しめられる生活の中で、エドワードが唯一、心の底から欲しいと願い、得ることができたもの。なによりも大切で、温かな気持ち。張り詰めた生活の中で、あの瞬間だけは、心の底から笑うことができた。
「オレ、は」
どんなに体をいいように扱われても、この心だけは、マスタングにも、他の誰からも支配されることのない、たった一つの砦だ。決して、壊されたりなんかしない。壊されて、なるものか。
「オレは、ただ……好きな、だけだ」
この恐ろしい男に生きたまま手足を燃やされる自分の姿が、ありありと脳裏に浮かび上がる。けれども口を閉じる気はなかった。あまりにも長い時間水に沈められていたせいで、思考がバカになっているのかもしれない。恐れもある、屈辱もある、憎しみもある、怒りもある。しかし、それらにも勝るほどの想いがある。
「恋をするのに、反省もクソも、あるもんか……!」
エドワードはただ、恋をしただけだ。血反吐を吐く勢いで、想いのたけを吐き捨てる。
水面に映った自分の顔は、哀れなまでに、切なくひび割れていた。
恋。そんなもの、自分ではない赤の他人がするものだと思っていた。
エドワードはマスタングに蹂躙された。少年のように筋肉が付き、痩せたちっぽけな体は、恋を知る前に散らされた。可愛らしい装飾品などの代わりに、機械の手足を身に着けて街を歩く自分。すれ違う女性たちはみな、やわらかな匂いを身にまとっていた。香水だろうか、野宿の連続で、土と、オイルの匂いをまとわりつかせた自分とは違う華やかな存在。望んだものではないが、マスタングに体を暴かれなければ、セックスなんて行為、きっと生涯、誰ともすることはなかっただろう。男と手を繋ぎ歩く女性に憧れは抱かなかった。好きでもない男に汚されたこの醜い体だ。こんな体を、愛してくれるのは弟だけだ。何よりも大切で愛しい鎧の弟が傍にいるだけでよかった。恋なんて、自分には縁のないものだと思っていた。だけど。
『本気、だから』
君が男と歩いているところを見たよ。恋人かい?電話越しにそう尋ねられた時も、マスタングの声色はいつも通りだった。説明して貰おうじゃないかとマスタングの自宅に呼ばれても、彼は終始張り付けたような微笑みを崩さなかった。マスタングは、エドワードをいたぶりこそすれ、エドワードの気持ちには頓着しない人間だった。だから、君が恋か、可愛らしいね、いつまで続くか見ものだよ。そんな風に笑われながら、いつものように体を嬲られて終わる。そう思っていたのに。
『オレの身体は、いくら弄ばれてもいい。けど、アイツには何もすんな』
相手は一般人の少年だ。旅先で出会った、ただの少年。エドワードよりも少しだけ、年上の。子供相手に、子供の恋愛ごときに、恋愛に長けたマスタングが首を突っ込んでくることなんてありえないと思っていた。これは、むしろ確信だった。マスタングに日々体を差し出すことを強制されている身ではあるが、マスタングがエドワードを犯すのはゲームだ。軍に身を置く男は、部下への配慮も忘れず、軍人としては真摯に、時に野心的に取り組む人間ではあったが、恋だの愛だの面倒だと吐き捨て、何人もの女と遊びのセックスを楽しむような人間だ。エドワードとマスタングの間に、甘い恋愛感情なんてものは存在しない。エドワードの身体は、マスタングの暇つぶしのためだけに使用される。だから、マスタングがエドワードの色恋沙汰を妨害するためだけに時間を割くことなんて、ありえないと思っていた。実際、マスタングは、エドワードの青ざめた顔などどこ吹く風といった様子で、私というものがありながら酷いじゃないか。なんて、肩をすくめ、珈琲を片手に皮肉気に笑っていた。だから、油断した。年端もいかぬ少女を脅し、強姦する男など、普通ではない。マスタングは笑みの裏側に恐ろしい悪魔を侍らせている人間だということを、一瞬でも忘れてしまった。
『好きなんだ、本当に。アイツが……あの人が』
心の中に膨らんだ甘酸っぱい思い出。目の前にいる人間のことなんて忘れていた。
繋いだ手。そっと触れあった、唇。指は自然と動いた。
『すきなんだ、すき……』
数日前に重ねた自身の唇をなぞり、あの人のぬくもりに酔った。
『だいすき』
「恋、ね……」
長い沈黙だった。水の滴る音と、自分の心臓が早鐘を打つ音だけが響く浴室。先に沈黙を破ったのはマスタングだ。ひやりと、冷える耳たぶ。耳朶に寄せられた薄い唇から感じられるのは、嘲笑でも嘲りでもない。この体制で、マスタングの顔が見えなかったのは幸運なのだろう。もしも後ろを見ることが可能であれば、きっと、エドワードの呼吸は止まっていた。今でさえ、歯の付け根が合わないほど震えているというのに。
「恋。確かにそうだな。君たちは随分と、熱烈な逢瀬を交わしていたね。仲睦まじく手を繋いで。こんな風に」
ゆっくりと、バスタブの淵を掴んでいた機械鎧の右手にマスタングの手が被せられた。指と指の隙間に、一本ずつ長い指が絡められる。よけることはできなかった。腕が動かないのだ。水を吸いこんでしまったかのように、腕が重い。生身の手ではないので冷たさなんて感じられないというのに、機械鎧がちがち浴槽を叩く。普段は自由自在に動く腕が、いうことを効かない。
「初恋の相手とするキスは、レモンの味がするとは本当かな」
初めて、マスタングが楽しそうに笑った。小鳥が囁くように。
──ぞっとした。あの時と、同じだ。
「君の大好きな彼の唇は、それほどまでに美味しかったか」
『そんなに、あの子供が恋しいかい?』と、いつも以上に優しく首を傾けて、エドワードに問うたマスタング。気持ちを馬鹿にされたくなくて、この想いを冗談なんかにされたくなくて、溢れる想いを証明したくて、エドワードは躍起になった。本気だと、あいつには何もするなと。彼が、好きで好きで、たまらないのだと、心の底から吐き出した。そう、あの時と同じだ。この優しい声色は。
「そんなに、あの男が恋しいかい?鋼の」
穏やかな口調は、嵐の前触れだ。『だいすき』なんだと。たった一言口にしてしまったせいで。
笑みを一切を消し、静かにソファから立ちあがったマスタング。
「……そんなにキスがしたいのなら水面としろ」
感情の抜け落ちた声色。いつのまにか、機械が軋むほど右手がきつく繋がれていた。
「最後に選ばせてやる。今ここで、水面と死ぬまでキスをし続けるか、私とするか、どちらが好みだ?」
水に映った自分の顔は、先ほどと変わらない。前髪も水に濡れて、額に張り付いている。冷水に浸された肌は、凍ったように張り詰めて。無様なものだ。泣きそうな笑みを浮かべる自分の顔など、初めて見た。
何をされても、泣いたことなんかなかったのに。
試しに頬を釣り上がらせてみれば、ずきりと痛む。そういえば、ここに連れて来られわけもわからず抵抗した時殴られた。タイルに激突し、ふらつく暇も与えられず腕をひねられバスタブに沈められた。やめろ、も、なんで、とも言えなかった。何もしゃべることもできないまま沈められ、引っ張り上げられ、また沈められ。機械的に繰り返される残酷な行為があまりにも衝撃的で、頬を張られたことなどすっかり忘れていた。『裏切り者』『罪人め』、もがき苦しんでいる最中、断片的に聞こえてきた呪詛。マスタングは本気だった。本気でエドワードに激高し、批難していた。はは、と、乾いた笑みが漏れる。ころりと零れ落ち、水面を揺らしたものは水だ。泣かない。こんなことで、泣いたりなんかはしない。
オレが泣く必要なんて、どこにもない。
「キス、したい」
だって、オレは間違ってない。絶対に。
ただ、あの人に。恋をした、だけ。
「キスしたい、……触れたい、アイツに──ィ゛ッ」
ガンッッ、と大きな衝撃に目がくらむ。次に、割れそうになるくらいの額の激痛。バスタブにぶつかった。いや、ぶつけられた。背後から聞こえる歯ぎしり。ああ、怒らせた。髪ごと頭を掴み上げられ、二度、三度と、脳髄を震わせるほどの衝撃が続く。ぶれる視界の隅に、マスタングの顔が映る。久方ぶりに見る男の瞳はやはりどす黒い光を放っていた。先ほどまで、楽しそうにエドワードを詰っていたというのに。涼やかで端正な顔が、間近に迫る。四度目の衝撃は柔らかく、激しいものだった。
「ん、ん゛、──っ」
押し付けられたマスタングの唇は、鈍い鉄の味がした。ずっと、噛みしめていたのだろうか。かぶりつくように歯列を割られ、熱くぬめる舌先が口の中になだれ込む。とっさに瞑った瞼。脳裏に映ったのは、金色の髪と、蒼い瞳。好きな人の顔。瞼を上げれば、そこにあるのは黒い瞳と、黒い髪。いやだ。したくない。あの人が触れてくれた唇を、こんな男に汚されたくない。首を振る。しかし、逃がすまいと大きな手のひらで顎を固定され動かせない。内頬の粘膜が剥けてしまうのではと思えるほど、乱暴に擦られ、溢れ出る唾液を啜られる。口内を通して臓腑を引きずり出されそうな感覚に、背筋が震え、力が抜けた。こんな乱暴なキス、初めてだった。
「んむ、ぅ、っは、ふァ」
粘着質な音が耳の奥に響く。何度も角度を変えて奥に奥にと侵入してくる大きな異物が苦しい。舌で押し返せばさらに深く絡められる。先ほど絡められた指のように、執拗に。息ができない。舌を噛んでやりたいのに、顎が外れんばかりに口の中はマスタングの大きな舌でいっぱいでまともに噛むことさえできなかった。なにより力が出ない。散々追い詰められた体はもう疲労困憊だ。大きな体躯に覆いかぶされて、両手を合わせることも難しい。ぐっと痛むほどに腕を押さえつけられている。死ぬまでと、マスタングは言った。このまま激しいキスで息の根を止められてしまうのだろうか。あの人ではなく、大嫌いなマスタングによって。いやだ。こんな、一方的な口づけは。いやだ、こんなのは。オレが、オレがしたいのは。
「やめっ……クソッ」
角度を変えるために離れた唇の隙間から、力の限り絶叫する。
「ち、きしょッ……!やだ、やだやだ!」
追いかけてくるそれから、首を振って逃れる。
「いやだ!いやっ離せ、アンタとなんかキスしたくなっ───ぃ……」
ふいに、視界がぼやけた。本当に突然だった。視界に移る冷たい黒の瞳が、どろりと溶ける。
いや違う。溶けたのはエドワードだった。視界が、膜が張ったように霞んだのだ。
「え?」
かたんと、金属がぶつかるような音が聞こえた。視線をわずかに移せば、先ほどまでマスタングの袖を掴み上げていた自身の右腕がぶらりと垂れ下がり、バスタブの外壁にぶつかりゆらゆらと揺れていた。
「……?」
機械鎧の部品の一部が壊れたのかと一瞬思ったが、次の瞬間にはふらりと頭が揺れた。そのままぽすんと、マスタングの肩に沈み込む。
「な、ん」
急いで、動かせる眼球を、ぐるぐると動かす。見れば、左腕も力なく、ぱたりと床に落ちていた。先ほどまではまだ動かせていたのに、力が入らない。変だ、おかしい。なんで急に。なんだ、これは。感覚はあるのに、まるで肩から生えた鉛をぶらさげているみたいだ。
混乱のあまり両足に力を入れてみれば、今度は壊れた玩具のように太腿ががくがくと震えだした。
「……ぅそ、え?」
震えはだんだんと小さくなり、少しの間を置いて弛緩した。しんと、ネジの切れた人形のように、体の活動全てが停止する。茫然と、エドワードは静かになった両足を眺めた。力は入る、が、まともに動かすことはできない。指先も足先も舌先も、ぴりぴりと痺れる。
「な、んだ、これ……」
茫然と、呟く。
「珈琲は美味しかったかな」
かろうじて動く指先でタイルをひっかいてみる。感覚はあった。──まだ。
「え、……」
「珈琲は苦手だと言っていたから、多めに入れておいたんだ。一口でも、全身にいきわたるように」
マスタングの言葉を、ゆっくりと脳内で咀嚼して愕然とした。多めに入れたと、マスタングは言った。何を。マスタングの部屋に入った時、テーブルの上には珈琲が置かれていた。マスタングはそれを飲んでいた。促されるままソファに座り、目の前にある珈琲に、エドワードも手をかけた。気持ちを落ち着けるために、一気に飲み干した。それに、何かが、入れられて……
先ほどまでの切羽詰まるほどの凶行はどこへ行ったのか。労わるように前髪を払われる。ぱさりと散った金色の隙間、マスタングは、わずかに頬を釣り上げていた。綺麗な笑みだ。
「く……、すり」
静かに深まった笑みに、それは確信に変わった。
もし、今声を張り上げることができたのなら、エドワードは叫んでいただろう。髪を振り乱し、男に掴みかかり、ふざけるなと、大声で。声を出すことも、満足にできないことが悔しかった。ひゅわ、と、声になり損ねた空気が、喉奥から空しくあふれ出す。
「……ざ、け、……ぁ」
「君は緊張すると、何かを口に含むくせがある。気を付けたまえ」
いけしゃあしゃあと、なんてことないように言葉を続ける男を力の限り睨みつける。マスタングには、殴られ、水にも沈められ、口にもできぬことを沢山されてきた。けれどもまさか、体の自由を奪われるなんて。まさか、こんなことぐらいで。あのマスタングが、こんな暴挙をしでかすなんて。
「う……く」
どうして。なんで。こうまでしてエドワードの自由を。喉奥に溜まった唾液を、ゆっくりと飲み込んでみても飲み切れない。それほどまでに身体を動かすのがつらかった。昼ならともかく、夜に珈琲なんてと、確かに一瞬疑問に思ったが、マスタングは常に珈琲を片手に執務室に籠っている。だから、男の嗜好品なのだろうと、それだけで思考を止めてしまった。それに、いつものように抱かれるとなれば一晩中体を貪られる。眠気覚ましとしてのものなのだろうと。
しかし違った。今ならわかる。何故珈琲が出されたのか。
それは、薬独特の苦みを、消すためだ。
「アダム・ベルナール」
ぐつぐつと、思考を濁す動揺と憤怒が、一瞬にして瞠目に変わった。見知った名前。早鐘を打つ心臓。
「君が恋する人の名前であっているかい?いい名前だ」
マスタングの長い指先が、頬を撫ぜる。愛おしむようなその動き。黒々とした、空洞のような瞳に、顔を覗かれる。
「あい、つに……なに、し……」
「私は何もしていない。これから彼に何かをするのは、君だからな」
どういう、意味だ。前髪から頬へ、ゆったりと移動するマスタングの指先を、目で追う。
「鋼の」
横に移動した指に、耳たぶを柔く掴まれる。漆黒の前髪から、髪色よりも暗い瞳が、鋭く光る。この冷たい瞳に何度も苦しめられてきた。やっと、心の安寧を見つけたと思ったのに、それすらもマスタングは奪おうというのか。
「君は、アダムとイブの話を知っているか」
「……、な、……」
アダムと、イブ。聞いたことはあるが、それがなんだったのか思い出せない。ぐるぐると、緩い思考が霞がかったように渦を巻く。
「うまくしゃべることができない君のために説明してあげよう。このアメストリスで、はるか昔に滅んだ宗教の物語だ。昔、神は男女の人間を作った。女はイブ、男はアダム。二人は神の庇護下の元で暮らしていたが、愚かにも、イブは蛇の誘いに乗り、神によって食すことを禁じられた善悪の林檎を齧り、それを逡巡するアダムにも分け与えた。善悪の林檎のせいで無垢ではなくなってしまった二人は、神の言いつけを破ったとして神の怒りを買い、二人揃って楽園を追放され、枯れた大地をさ迷う様になった。まあ、諸説あるがね」
ひたりと。濡れた唇に、添えられるマスタングの指。端から端までを、掬うように何度も往復される。
「ああ、残酷だ。神はアダムに言ったそうだ。楽園を追われたアダムは、灼熱の太陽の下、生きるため痩せた土を生涯耕すことになり、死ぬまで苦しみ抜き、最後は無様にも塵として土に還ると。君の想い人は実にいい名前だ。そうは思わんかね」
暫くそれを繰り返してから、ぬっと口内にマスタングの親指が侵入する。とっさに歯を立てるが、うまく噛めない。やはり力が入らない。
「ん、ぅ、ううっ~~……」
「自分のせいで、恋しい男がもがき苦しむ。イブはどんな気持ちで彼を見ていたのか、興味があるな。失楽園の物語は、私にとっては最高の夢物語ではあるが」
ぐっと奥まで侵入してきた爪先。先ほど舌で蹂躙されたように散々口内をまさぐられ、小さく咽る。押し出したいのに、舌が、痺れてまともに動かない。もてる力を振り絞って歯を噛みしめる。しかし、どれほど力を込めても弾力は柔らかなまま。
「…、お、ぁ……」
「鋼の、君にとってはどうかな」
ゆっくりと指が引き抜かれる。目の前に掲げられたのは、エドワードの唾液で汚れた2本の指だ。
「イブと、アダムと。アダムのほうだけでも、助けてやりたいとは思わんかね?」
もう唇の周りは、飲み込む力もなく涎を垂らす赤ん坊のようにべたべただ。
「あん、……は、かみじゃ、ない……」
「当たり前だ、私は神ではない」
「……な、に……いい、たい」
「二人揃って楽園を追放されないためには、何をすべきか」
迫りくる唇をただ見やる。ちゅっと鼻の頭に唇を落とされ、瞼が震えた。マスタングの顔が、間近にある。
「敏い君ならばわかるだろう?なあ、鋼の。可愛い、私のエドワード」
アンタのじゃない。それは声にならなかった。震えた睫毛をあやす様に、乾いた唇に目じりを吸われる。ぬるりと瞼の隙間に舌を差し込まれても、目を閉じることができない。痛いのに。眼球という敏感な部位を無遠慮に舐められて、エドワードは動かすことも億劫な指先に力を込めた。
「……、ぃ」
「しょっぱいな……おいしいよ。ああ……」
ぬらぬらと眼球を這う舌が、痛くて気持ち悪い。
「しかし残念なことだが、イブはもう魅惑の林檎を齧ってしまったね、エドワード。そしてその蜜をアダムにも分け与えてしまった。アダムだけでも助けるために、原罪を、どうやって贖うべきか」
私のエドワードと、この男は言った。そんな言葉を、マスタングの口から言われたこと自体初めてだった。独占欲が籠った言葉だ。まるで、エドワードを、自分のものにしたいとでも思っているかのような。いや、もしかしたらマスタングは、エドワードを自分のものだと思っているのかもしれない。どんなにエドワードが、彼を拒んでも。だからこそ彼は。こんなことを。
「私が君に、教えてやろう」
薄く開いた唇を吸われる。舌と共に絡まる吐息は、やはり熱くて痛かった。
エドワードを犯す時、マスタングはいつも楽しそうだった。エドワードが諦め、逆らわなければつまらないなと笑い、耐え切れず逆らえば、面白いと笑みを深め。エドワードの一挙一動を、新鮮な果実が潰れる様を楽しんでいた。年齢の嵩んだ熟した女性も、遊び慣れた豊満な体躯な女性も、経験の少なそうな純朴な女性も、どんな女性とも、マスタングは構わず体を重ねていた。
だからこそ、そんな男の恋愛ゲームに白羽の矢がたったのがエドワードだった。女遊びに飽いていたところに、鋭い目つきでガラも悪い、一見して少年と見まごうほどの悪ガキが現れたものだから、触手が動いたのだろう。
マスタングはエドワードを抱く時、エドワードの反抗をねじ伏せ、エドワードの女として性を引きずりださせ、羞恥と苦痛の海に突き堕とすことに精力を費やしていた。気が強く、抗う少女を蹂躙する快感に酔っていた。それが、マスタングがエドワードにセックスを強制する最大の理由だ。
エドワードを犯し、制服させることを心底楽しむ男が、ロイ・マスタングという男だ。それなのに、今のマスタングからはいつもの興奮が微塵も感じられない。楽しんでもいない。エドワードを見下ろす瞳には、冷たい光しか宿っていない。マスタングに笑ってほしいと初めて願った。いつものアンタに、戻ってくれと。エドワードを取るに足らない存在だと簡単に切り捨てることができる、エドワードに執着しないマスタングに。
マスタングの底冷えた深淵を彷彿とさせる瞳は、エドワードを欲していた。エドワードを浴槽に沈めた時の激情は消えぬまま、その昏い瞳に未だ宿っている。
どうして。エドワードは朦朧とした頭で考える。自分は、マスタングが抱く女の一人にしか過ぎぬはずではなかったのか。マスタングにとって、ただの遊び道具だったのではなかったのか。
それなのにどうして、今。
エドワードは身が軋むほどの憎しみと怒りを、マスタングにぶつけられているのだろうか。
「私が、今まで、君を壊さなかったのはなんでだと思う?」
動かせぬ体で、連れていかれた先は寝室だった。いつも、マスタングに犯される場所。慣れた男の臭いが充満した一室。窓は、閉め切られている。両手では足りないほど訪れた場所だというのに、身が竦む。ここでされることは今までとは比べものにならないくらい酷いことだと、わかっていた。
「本気になれば君なんて簡単に壊せる。それでも壊さなかった理由がわかるか」
「……し、……ら、あ、あ……」
いつものようにベッドに横たえられ、ゆったりと服を脱がされる。シーツが背中に擦れる。いつもと、感触が違う。マスタングはエドワードを抱く時、常に部屋を清潔にしている。マスタングがメイキングした、張りのきいたシーツ。入れ替えられた空気。女性相手に汚い部屋は見せられないからなと、キザったらしくマスタングは言っていた。それが今はどうだ。シーツはたわみ、閉め切られた部屋は空気の入れ替えがなされていないのか、空気が淀んでいる。デスク上にある透明なカップには、まだ酒のようなものが残っている。片付けもしていないだなんて、マスタングらしくない。彼はエドワードが来る直前まで、ここで酒を一人飲んでいたのだろうか。小汚さを感じる部屋でエドワードはぼんやりと天井を見上げた。天井だけは、いつもと同じ色だった。そこに、エドワードの顔を覗き込んだ黒が混じる。
「遊ばせてやったんだ、君を」
指の一本すらもろくに動かせぬこの身体は、あっと言う間に全裸にされた。のしかかってくるマスタングの影が重い。エドワードは逞しい肉体が曲線を描き、乱暴にシャツを脱ぎ捨てるのを見上げることしかできなかった。少しだけ下がった瞼だ、動かせる視界の範囲は乳白色の天井と傍に控える小さな窓と、自分を冷たく見下ろすマスタングの顔のみだ。
「……あ……ッ」
ふっと、マスタングの顔が視界からずれた。直ぐに首筋に噛みつかれる。そこまで強く歯を立てられたわけではないのに、腹の奥から湧きあがる恐怖にエドワードは素直に怯えた。この男に喰いつくされる。これからマスタングに何をされても、エドワードがどうなっても、体が自由にならぬうちはマスタングの激情を受け止めなければならない。それはとても恐ろしいことだった。痛みに苛まれ体を動かすことができないほうがまだましだ。こんな風に、意識をしっかり保ったままで四肢の自由を奪われ好きに体を弄られるなんてことは耐えられない。しかもその相手は他でもないロイ・マスタングだ。眼差しに、殺気さえも感じる男。もう一生、大事な弟にも会えないのかもしれない。そんなことを考えてしまうほど、マスタングの放つ冷え切ったオーラは痛いものだった。
「……ひ、ぁ……う、いた…、…いたぃ」
歯の痕がついたであろうそこに、べろりと舌を這わされる。
ざらざらとしたそれに体の隅々まで舐められた記憶がよみがえる。
「いい声だ」
脇腹を押し上げるように両手で擦られ、その手のひらが胸元に移る。横たわったことで潰れた胸を押し上げられ、緩急をつけて揉み扱かれる。
「……ん、ぁ、……あふ」
「相変わらず、小さいがな」
反論する気力もなく、じっくりと膨らみを堪能された後、マスタングに両胸の先端を親指と人差し指で押しつぶされ、強制的に盛り上げられる。ぷくりと腫れたそこに向かって、マスタングが顔を寄せたのが見えた。
「い……」
いやだ、という言葉が声になる前に、強く吸い付かれた。胸の中の肉を吸い出されるほど、強く。
「……ひ、ぃ!」
いつもより敏感にマスタングの舌の動きを感じ取ることができてしまうのは、見えないからだろうか。
「や、めぇ……!すわ、な……い、で、…や、…ぁああ」
どちらにせよ、エドワードにとっては地獄そのものだ。平に近い胸を貪るマスタングの口内は熱く湿っていて、ざらざらとした舌に乳輪を舐めまわされるたびに見えない腹が収縮する。気持ち悪い。逃げたい。どこでもいい、この小さな窓からでもいい。マスタングを押しのけたい。でも手が上がらない。逃げ出せない。マスタングに与えられる惨めな快楽を、ただ拾うことしかできない。
「鎖を緩め、自由を与え、君を遊ばせていたんだ。最初から手足をもぎ取って引きずりこんでしまえば、君は光に当たることもできずに枯れる、とね」
笑みを浮かべもしない男は、エドワードの乳首を舐めながら訥々と話し始めた。赤子が乳を啜るように、執拗、それでいて淡々と。突起を舌で転がされ、窪みに舌を差し込まれる。頭を振った、つもりだったが、マスタングからしてみればわずかに頭部が揺れただけだろう。絶望の音が嫌な軋みを伴い近づいてくる。このまま意識を失うことができたら、どれほど楽か。
「だが」
唇が離れる。透明な糸が伝い、ふつりと切れた。視界の下で、マスタングの唾液に濡れた乳首が赤く肥大しているのが見える。
「君は私の想いを見くびった。鎖を付けられていることを忘れ、私の温情を踏みにじった」
ゆるゆると膨らんだ桃色の切っ先を確かめるように指先ではじかれ、強く摘ままれる。
「……ィッ……ひぎ!」
鎖が緩すぎたと、ぬるい吐息が耳中に吹き込まれ息を飲む。
「鋼の。それが君の罪だ」
「──、……、つ……」
先端部分に食い込んだ爪先が痛い。エドワードは顔を歪めた。
「そうだ。遊びならまだいい。君と遊んだ相手を破滅させれば解決する。もしこれが火遊びであれば、見逃していただろうね。だが」
鬱々と光る、マスタングの二つの黒曜石がぎょろりと此方を見た。地獄の底から這いあがる何かに、視線を捕らえられる。
「君は本気で、誰かを愛した……」
決して、逸らされることのない瞳。エドワードも逸らすことができなかった。相手を視線一つで石にする魔物に、初めて出会ってしまった。その魔物をおびき寄せたのは、他でもないエドワードだった。
「君の強情さを慈しんでいた私が、いつまでも優しいままでいると思ったか……?」
するりと頬をなぞる指先はとても優しい。まるで、全ての闇からエドワード覆い隠してくれる手だ。深い黒に引きずり込まれていく錯覚に陥る。視線を、僅かに男から外した。けれども、絶対的な力を持つ魔物はそれすらも許してくれなかった。私を見ろと、言外に強く掴まれた顎に、剝き出しの憎悪を感じた。
「私も人間だからな。笑顔を保つにも限界がある。遊びは終わりだ、エディ」
エディと、甘く囁く男に慈しみはない。彼は本気だった。本気でエドワードを。
「君を壊す」
──エドワードを、壊す気だ。その覚悟に満ちた言葉を耳にした途端、頬が濡れた。うまく瞼を閉じることさえできない身だ。瞳が乾燥したのかもしれない。それとも、悲しみか恐怖か。はたまた薬のせいなのか。そのどれが原因なのか当のエドワードでさえもわからないが、透明な雫が静かにあふれ出して止まらない。マスタングは、慣れない雫を零すエドワードを静かに見下ろすだけで、拭ってもくれなかった。表情一つさえも動かない。いつもであれば、なんだ、泣いているのかなんて、エドワードを嘲笑っていただろうに。
「……私の罪は、エディ」
ため息の一つすら零さず、淡々とエドワードを壊すためだけに動き始める男。大きな手に強く太ももを掴まれ、ゆっくりと開かされる。力の入らない脚は簡単に開き、マスタングの眼前にエドワードの局部が露わになった。いつもされていることなのに、全てが違った。
まだ濡れてもいないだろうそこは固く閉じ切り、マスタングを拒んでいるはずだ。自分の身体だ、見なくともわかる。じっとエドワードの秘部を見つめる男が、何を考えているのかはわからない。わからないが、今日のマスタングは一切容赦はしないだろうということをエドワードは体の器官全てで感じ取っていた。
「お前を最初に、壊さなかったことだ」
お前、とマスタングが吐き捨てたと同時に、膣口の周りをくすぐっていた長い指が侵入してくる。
「あ゛……」
躊躇は一切感じられなかった。肉を割り裂くような痛みは圧迫感と共に強くなり、押し込まれては引き抜かれを繰り返し、長い時間をかけてついに奥にまで到達した。エドワードの膣道は、体が小さいためか短い。マスタングに散々突かれ、いつもこじ開けるように弄られるところを爪の先でくりくりと弄られる。膣口がマスタングの手のひらで覆われるところから考えると。きっと、指の一本が全て埋まったはずだ。マスタングの、人差し指。まだ痛みの方が、圧倒的に強い。
「ぬい、……て、 ぇ……ぬい」
「やはりほぐれてはいないなか。しかしもう一本埋まった。痛いだろうが何度か入れているうちに慣れるだろう」
「や、だ、ぁあ……お、く……いた、ぃ……いた、の……い、」
いつもは散々前戯を仕掛けられ、ドロドロに溶け切り強制的に快感を引きずり出されてからここに触れられる。こんな風に、まるで突っ込むだけの玩具のように性器を弄られることなんて、一度もなかった。
マスタングは本当に、エドワードを壊す気だ。
「……ッ、ふ……く、ぅうう」
ぐりぐりと、ほじるように中をかき回されて脂汗が額を伝う。いやだ、いやだと心が叫ぶ。呼吸が、指の動きに追いつかない。水に顔を押さえつけられた時よりは酸素はあるはずなのに息が浅く、荒い。ずるっと肉を絡みつかせるように指がギリギリまで引き抜かれ、勢いよく埋められる。臓器が押し上げられるような苦痛に口の端が引き攣る。命綱無しで高いところから突き落とされるような背筋が凍るような恐怖に、エドワードはさらに涙をこぼした。
「その様子じゃ、快楽に喘いでいるのか痛みと恐怖に泣いているのかもわからんな」
一瞬だけ、マスタングの表情が変わった。
「まあ、君が感じていようが感じていまいが関係ないが……」
細められた黒い瞳。そこに映った水面が僅かに揺れている。黒々しい珈琲のように。それが、浮気はしないでくれよと、エドワードを犯しながらふざけるように語ったマスタングの表情と被った。
浮気は厳禁だ。私は、私の所有物を他人に触られるのが嫌いなんだ。
付き合ってもないくせに何が浮気だ。そう吐き捨て反論したエドワードを、マスタングは愉しそうに眺めていた。深い黒だった。
あれが本気の言葉だったなんて、誰が気がつくだろう。
今のマスタングは、あの時のマスタングと同じような瞳をしていた。彼の言葉の真意に気づき、しっかり受け取っていれば、こんなことにはならなかったのだろうか。
「そうだな、そろそろここに私の子種を仕込んで」
つくつくと、長い指先で奥をつつかれる。生理が来たとマスタングに伝えてから、マスタングは避妊具を着用する回数が増えた。時々仕事で鬱憤が溜まった時など、避妊具は使わず乱暴に体の奥を暴かれた時もあったが、その際でも必ず外に出してくれていた。だからこそ、遊び相手を孕ませるなど愚かな真似はしないのだろうと、エドワードはマスタングにとって遊び相手の一人だと思い込んでいたのに。
「妊娠させても、いいかな」
「……や、だ、や……ら」
ぞっとした。妊娠なんて、冗談じゃない。この腹で憎い男との子が育ってゆくだなんて、想像しただけでおぞましい。
「そうすれば、君は私から離れられなくなる。なに、孕むまでここに出せばいいだけの話だ。君の足首に死ぬまで鎖をつけるよりも手っ取り早くて、楽だ」
怖ろしい提案を、さも名案とでもいうように語るマスタングは昏く淀んだ光を湛えたままで。歌でも歌うように弾ませる声とは裏腹に指の動きは非道だった。挿入された2本目を使って、膣口をくっと開かされる。そこに入り込んだのはマスタングが口に含み、唾液で濡らしたもう片方の手の親指。太いそれをずっぽりと挿入され、ぐにぐにと入口を慣らされる。しかし、わずかな唾液ではしっかり濡れるわけもなく、ぴりぴりと狭い穴が広げられる切れそうな痛みにエドワードは詰まった呼気を震わせた。
「……た、……いさ、あ、いッ」
「……君の弟には連絡してある。私の助手として、極秘に任務を任せたとね。君は今、私と遠い西の街へ向かっている途中だ。行って調べて帰ってくるまで2週間ほどかかる予定だよ。さて」
マスタングの肩に抱えあげられた自分の脚が、不安定に揺れる。機械鎧の左足がギシリと孤独な音を立てて軋んだ。外されなかったことは、せめてもの譲歩か。それとも、重い機械鎧など動かせるはずはないと確信するほど、強い薬なのか。
「この14日間の間に、どこまで君を壊せるか」
14日間という目のくらむような数字に、目の裏が熱くなる。
適当に解した部分の指が引き抜かれ、代わりに熱く猛ったものを宛がわれる。いつもより、マスタングの性器の脈動が感じられるのは避妊具を付けていないせいだろうか。どくんどくんと、血走りそそり起ったそれが見えるようで、エドワードは震える瞼を閉じようとした。けれどもしっかり閉めることはできなくて、薄っすらと膜の張った瞳でマスタングがエドワードの腿に唇を寄せ吸い付くのを見た。痣は簡単についた。体中をあますところなく、赤く染め上げられるのだろうか。
「試してみようか」
前に身体を傾けたマスタングの太い先端が、音もなく入ってきた。ひやりとした感覚。しっとりと、ぬめっている。入れやすいようにマスタングが体制を整えた瞬間狭い入口がさらに開かされ、ぶちゅりと虫が潰れるような音が耳に入ってきた。散々抱かれた体故、理由は直ぐにわかった。きっと、マスタングの性器はしとどに濡れているのだろう。この状態で確かに興奮しているマスタングが、信じられなかった。
「私を本気にさせた罪を、償ってもらう」
「……ぃ、やぁ……いゃ、……だ」
じわじわと押し広げられるような圧迫感。薬が、血管の中を這いまわりどんどんと力を奪ってゆく。腕も足も、泥のように重い。意識だけははっきりとしているのに、抵抗する術がない。そろそろまともな言葉を発することさえ、難しくなってきた。呂律が回らない。
「ぃ、れ……な……い、なぃ、で……ねが、」
「入れなければ子供を作れない」
必死に舌に力を込め、いれないで、と喉を震わす。せめて、避妊具を付けてほしかった。犯されるのに変わりはないのなら、止める気がないのならば、せめてそれだけはと。
「だ、ぃ、や……、にんし、ん……やら、やぁ……もう、や」
鎖をつけるよりも妊娠させるほうが楽だと、心無く呟いた彼の言葉を、もう軽口だと右から左へと流すことなどできない。エドワードの決死の懇願に、マスタングは表情を緩めた。下がった黒い眉。今日初めてみた、マスタングの砕けた表情。それは今まで見たことがないほど、優しい笑みだった。
「嫌、か。そんなか細い声で懇願されてはなぁ、……鋼の」
身を乗り出した男の吐息が、唇にかかる。短い前髪がぱさりと額にふる。目の前に端正な顔がある。薄い三日月形に細められ、僅かに皺の寄った眦は無垢な子どものように見えて。
──複雑そうに見えて、案外真っすぐな人なのよ。以前エドワードに語ったマスタングの副官の微笑みを思い出したのと、マスタングの顔から表情が再び消えたのはほぼ同時だった。
「私の本気を、侮るな」
かちりと、絶望の音がエドワードの目の前で止まった。もう、逃れられない。
躍りかかるように腰をぶつけられ、圧倒的な質量の肉槍が膣道に突き刺さる。
エドワードの悲鳴は、乳白色の天井に吸い込まれて、反響した。
「、──……ぁ、ァ……!」
じゅぶじゅぶと濡れた音を響かせるように腰を振る。溢れかえる欲望のままに腰を打ち付ける。それが、これほどまでに楽なものだとは思ってもいなかった。最初からこうしてしまえばよかった。ただ奪うために動いていれば、もっとはやくこの幼い子どもを自分のものにできたのに。例えそれが、心を伴わないものだとしても。
「……、ぅ……ふ」
エドワードの震える唇を見下ろす。エドワードがいつも、潰れたような声を上げる箇所を抉ったせいだ。快楽と、苦痛の瀬戸際の部分。しっかりエドワードの細胞組織から体液が滲んでいれば、快楽が勝っている証拠だが、今のエドワードにそれはない。薄いそこめがけて重点的に臀部を打ち付ければ、金色な頭が揺さぶられる動きに合わせてふらふらと揺れた。自身の先走りを擦りつけてやるように、腰を回す。エドワードの目が、きょろりと動いた。
「熱い、な」
憎悪に燃えた心が、エドワードの中が。熱した膣釜に自身を埋めているような感覚だ。この恐ろしいまでに熱いエドワードの中を抉ることをやめられない。狭い内部は、擦りあげるたびちりりとした痛みすら伴うというのに。
もっとも、マスタングの些細な痛みなど、エドワードの苦痛とは比べ物にはならないだろうが。
今、エドワードがまともに声を上げていられれば、何を叫んでいただろうか。想像に容易いことだが考えるつもりはなかった。
エドワードが何を叫んでもやることはただ一つ。目先の快楽を求めて、がむしゃらに腰を振るだけだ。
自身の欲求に素直に、マスタングは動いた。エドワードの中には、もう既に2回放っている。
エドワードは、既に自分で頭を支えることすらできていない。眼球は未だにせわしなく動いてはいるが、黄金色の瞳は時々静かに閉じられるだけだ。これで意識はしっかりと保たれているというのだから驚きだ。半開きの口は、およそ常人のものとは思えないほどに無防備で、意味のない言葉を奏でていた。強いていえ痴呆のようだ。
もしかして思考もバカになっているのではと、「中に出すぞ」と腰を穿ちながら無機質に囁いてやれば、「……ぁ、ァ”……」と何かを訴えようとしているのか、必死に声帯と瞼を震わせた。涙に濡れた眼球が、ひくひくと左右に揺れる。
激しく腰を動かして膣壁をいたずらに傷つけてみたり、奥に先端を押し付けたまま圧迫するように腰を回してみたり、エドワードが苦しむであろう体位をした時によく見られる動きだ。
痛い、か、嫌だ、か、出すな、か。はたまた許して、か。どんな言葉の代わりに目を動かしているのかはわからないが、負の感情であることに間違いはなかった。やはり、意識はしっかりしたままのようだ。
指先一つ動かすこともできなくなった哀れな子どもの足首を抱えあげ、少女の両耳の傍にまで来るように尻をひっくり返し、刺激に溜まった精液を吐き出すために内壁を擦り続ける。
薬のせいで弛緩した体はベッドに全体重を委ね、柔らかく、特別犯しやすかった。普段、どれだけエドワードが体を固くさせ、見えない抵抗をしているかがよくわかった。
「は、……すごい」
腹の底から湯水のように湧きあがる性欲が、放出を求めて暴れ狂う。
未だに狭い内壁をこじ開け、エドワードの最奥に再び注ぐために腰を押し付ける。マスタングの先走りと数回放った精液で、エドワードの膣奥だけはぬるぬると湿っていた。入口や中間部の狭さが嘘のよう。まるで、外は固いが中は瑞々しい果実のようだ。中心に行けばいくほど甘い蜜が溜まっている。誰も見つけたことのない、背徳の林檎を探り当てた悦び。
腰を引くたび、きゅうと吸盤のように絡みつく湿った肉が愛らしく、憎らしい。エドワードの心はここにはない。けれども、エドワードはマスタングに抱かれている。それが故意に作り出されたものであっても構わなかった。エドワードの体は、拒むことなくマスタングを受け入れている。それだけが真実であればよかった。
「出る……出すぞ……、」
エドワードの足首を解放し、エドワードの顔の隣に両ひざをつく。額にへばりついた、汗に濡れた金色の髪を梳いてやり、頭を固定し顎に噛みつくように口づける。されるがままに揺さぶられているエドワードの淀んだ金色と、視線を合わせる。
耐えようもない状況から逃れるために、想い人の像を脳内に作り出されでもしていたらたまったものではない。お前を抱いているのは私だと、何度も何度もわからせる。
傍からみると、抵抗もなく足を開くエドワードはマスタングを受け入れているように見えるのだろうか。
実際のところはその逆だというのに。薬の力は偉大だと、心の中でマスタングは行きつけの闇医者に賛辞を送りつつ、荒い息を吐き出しながら大きな揺すりを小さいものに変えた。エドワードのビードロのような瞳にマスタングの欲に塗れた顔が映り、何度も左右に揺れる。どれほど拒絶されようが、構わなかった。最後にばちゅんっ、と、叩きつけるように腰を押し付け、エドワードに目いっぱい包まれる。ぴっちりと一寸の隙なく合わさる体。幸せな瞬間だった。自身の袋が、激しい射精感に震える。
エドワードの中に押し込んだそれが、根本から爆発する。途方もない解放感。一瞬だけ白く濁った脳内。気が付けば、エドワードの中に、3度目の精を放っていた。
「…………────……ァ、あ」
エドワードの、絶望の混じった吐息を唇で塞ぐ。女は、男をどこまでも受け入れやすくするために骨盤が広くなっている。脚を大きく開くことができるように。また男は、自分の女を我が物にするために性器の先端が傘のように膨らんでいる。自分以外の遺伝子を掻き出すために。小さな体に覆いかぶさりながら、何度もぐっぐっと腰を打ち付け、尿道に残っている最後の一滴まで吐精する。びたびたと子宮を汚される感覚が耐えがたいのか、エドワードがパチリと瞼を閉じた。一滴の雫が頬を流れた。
もう3度目になるのだから、そろそろ諦めればいいというのに、エドワードはまだ逃れることを諦めてはいない。これが恋のなせる業だとすれば、腹立たしいことこの上なかった。
残液全てを流しこみ、唇を離す。ふは、とエドワードが鼻を膨らませた。体を話すことなく、腰をゆっくりと引く。
さすがに3度目となれば量も多くなる。白濁液が、引き抜く動きに合わせて結合部からとろとろとあふれ出すのが見えた。全て、マスタングのものだ。かき出す必要はない。放った直後だというのに未だに芯を持つ太い肉を全て抜き取り、男芯にべたべたに纏わりついた白濁液を輪にした指で根本からふき取る。
「駄目じゃあないか、こんなに零して」
それを、エドワードの入り口から零れ続ける薄い残液と絡ませ、指先で掬い数度にわけて赤い膣内に押し込む。自身の種が、このままエドワードの子宮を目指して泳いでいけるように、奥まで。
異様な光景に、エドワードが目を向く術は、ない。
「…ぅ゛……」と、苦し気に漏らされた声にすら興奮する。長い間大きく開かされ、酷使されたエドワードの痙攣する腿は、マスタングが放った体液を一滴でも多く拒むために動いているかのようだった。そんな些細な動き何の障害にもならない。けれども、髪をかき上げるだけの苛立ちはあった。
「解放する気は、ない」
先ほどまで自身を埋めていたエドワードの薄い腹を、手のひらで撫ぜる。この小さな身体の中を今、自身の分身が泳いでいる。マスタングの種を受け入れる場所に向かって。もう、到着しただろうか。
「君を孕ませるまではね」
凹凸の少ない体、まるで少年だ。けれども男のように振舞っていながらも、エドワードは立派な女だった。エドワードを女にしたのはマスタングだ。性を知らぬ体を無理矢理暴き、女としての痛みと快感をこの身体に叩き込んで来た。しかしそれは、エドワードに女としての『恋』を花開かせるためではなかった。身も心も自分のものにするためだった。だというのに。
───この女は。
孕め、孕んでしまえ。張り裂けそうになる心の中を、呪詛で埋める。エドワードの腹に添えた手のひらに力を込めながら、ベッドの傍のデスク上に転がした瓶を手に取り、錠剤を一粒口に含む。唾液で強引に飲み下す。硬い皮膚越しに、エドワードの肌が粟立ったのがわかった。
これで、今日は君の気が狂うまで抱ける。そう見せつけた瓶に見覚えはないはずなのに、エドワードは大層怯えていた。ろくなものではないと思ったのだろう。実際、ろくなものではない。
さすがに、こんなものを使用しても限界がある。一日中とまではさすがにいかない。だが、空いた時間は手でも口でも玩具でも、使えるものは何でも使えばいいだけの話だ。とにかくエドワードを壊すことが目的なのだから。
これまで、エドワードを連続で犯したことは滅多になかった。マスタングは性に関しては淡泊であるとエドワードは勘違いしていたに違いない。元々性欲は強い方だが、エドワードの前では本来の姿を隠していた。エドワードを抱く際は加減をすると決めていた。小柄な少女に負担をかけないように。心の余裕を僅かでも残してやるように。マスタングのエドワードに対する重い執着を悟らせないために、マスタングは全てに気を配っていた。それは、マスタングの采配だった。
いずれ絡めとるつもりではあったが、今はその時ではないと、手加減をしていた。だからこそ、エドワードはマスタングを恐れ憎みながらも、弟と共に歩んでいられたのだ。
所詮は等価交換の関係であると、いつか訪れる終わりを待ち望みながら。
けれど、それはもう終わりを告げた。エドワードは恋をしてしまった。マスタング以外の男に。だから、希望は捨てた。我慢はしない。数年分ため込んで来た想いを余すところなく叩きつけ刻ませる。その身をもって、激情受け入れてもらう。
他人に心を許し、マスタングの望まない安らぎを覚えてしまったエドワードを縛り付けるために。
エドワードを壊し、マスタングのものにする。自由を奪われた体を休む間もなくひたすら強姦され続けるというのは、強靭な精神を持つエドワードであったとしても、その体と心に冷たい軋みを生み出すだろう。抵抗したいと思う気力すら完膚なきまでに砕いてしまえば、エドワードは疲れ果て、マスタング以外に目を向けることはしなくなる。一から、エドワードをそう作り変える。
迷いはなかった、後悔も悲壮感すらも。ただ苦しいほどの高揚感だけがあった。
いつかはしようと思っていたこと。それが、少しだけはやまっただけだ。
効き目が出てくるまでは1時間と少し。3度の放出で僅かに首を擡げた肉茎は、まだ使える。エドワードを抱くには、むしろ足りないほどだった。
「……同じ体制は、飽きただろう。次はこうしようか」
一人遊びだろうが構わない。力のない人形のような体を横に向かせ、片足を肩に抱えあげる。機械鎧のそれに頬をつける。冷たい左脚だった、けれど、とても愛おしい。虚ろなエドワードの横顔を見つめながら、細い腰を掴みあげそのままぐぷぷぷと挿入する。
「ァ───……」
エドワードは僅かに開かれた口から小さな悲鳴を漏らし、真っ赤に濡れた視線をマスタングの方に向けた。
しかし、その口が明確な言葉を発することはなかった。一呼吸も与えることなく、腰を穿ち始めたからだ。
「……ぃ、……ァ、……ぁ……」
「ああ、いい……いいよ、エディ、すごくいい」
ぬちぬちと柔らかくうねる熱い膣内に、うっそりと笑む。吐き出した精液で熟れた入口、慣れ親しんだエドワードの中。それでも、こんなにもたまらないと、ほしいと思うのは何故なのだろうか。4回目だというのに、まだまだエドワードが足りない。ほしい、エドワードがほしい。エドワードに入れたい。エドワードと、繋がりたい。満たされているはずなのに、満たされない。何かが足りない。マスタングは愚かだが、馬鹿ではかった。その何かが何であるかは十二分に理解している。だがそれはもう手に入らないものだ。天地がひっくり返ったとしてもあり得ない。それも理解しているからこそ、マスタングはエドワードを壊すのだ。そうする道を、マスタングは選んだ。
エドワードが、選ばせた。
「……、ぃ……、……ゃ」
切なげな声に、引き寄せられるように深く抉る。くぅと、エドワードの背が少し仰け反った。手持無沙汰な右手で、胸を掴み上げ揉みこむ。普段ならば入りずらい最奥まで挿入しやすい体位のせいか、エドワードはどんどんとマスタングを飲み込んで行った。
エドワードにとってはただの凌辱行為であっても、マスタングにとってのこれは確かに、愛の営みだった。