
初めから知っていたわ。
そう美しい人は言った。
初めから知っていて、見ないふりをして。
こうなることもわかっていたのだと、美しい人は言った。
その言葉にどんな思いが隠されているのか、自分でもわかってしまったから、言いたいことは全部タバコの煙に紛れさせて飲み込んだ。
Tsunberugia
だって好きだったのだ。
どうしようもないくらいに、すきだったのだ。
『ゲームは俺の完勝お前の完敗。これでお遊びは全部終わり』
「…………」
『喜べばいいのに』
「…………」
涙は止まらない。
『子供が生まれるまで待ってやったんだ。いい条件だっただろう?』
「……ほんとにな」
『お前はマスタングを殺せなかった。それが結果』
「だって」
だって
「だって好きだったんだ」
『憎いのに?』
「憎くても、殺したくても! 好きだったんだよ!!」
『なら愛せばよかったのに』
「できるわけないだろ!? いつだって、いつ殴られるんじゃないかってびくびくしてる! 髪の毛を引っ張られて、伸しかかられるんじゃないかって!! そんなんで愛せるわけないだろ!? でも好きだったんだよ! ……好きだったんだ……」
もう何年か前の話。忘れてしまえばいいのにその感情はエドワードの心から消えることがない。
あの時からエドワードの心は動きだせない。
前に進めない!!
「愛したい、愛したいのに、心があの時から動いてくれない!」
トラウマにならないはずがなかったのだ。
それでもそれを心の奥底に封じ込めて、何とか平静を保って。そうやって生きてきたんだから。
「あの子と、あいつと一緒に幸せになりたかったんだ……!」
もうかなわない夢。このまま自分はここで消えていく。
戻る身体もないのだから、当然ではあるのだけれど。
「俺だって…………」
――愛してる、エドワード。
「俺だって……っ」
『じゃあ帰ればいい』
真理は至極まっとうで、ギャグセンスのかけらもない言葉を口にした。
「――え?」
『本当に、ばかばっかりだ』
腕を掴まれた。
「エドワード!!」
ぴ、ぴ、ぴ、ぴ、音がする。
いったい何の音だろう。
「エドワード……目を、目を覚ましてくれ……っ」
――誰かが、泣いている。
これは、
「……大佐……?」
ベッドに顔をうずめて泣いていた大人が弾かれたように顔をあげた。病床に取り付けられたカーテンから半分見える顔は、それはやはり自分の良く知った男の顔で、エドワードは混乱する頭の中で首を傾げた。
念のため自分の首に手を当ててみるが、やはり肉が盛り上がった跡がある。……細胞が再生した証拠だ。
「なんで……」
「あいつは私に言ったよ」
ロイは温かいエドワードの手をしっかり握ったまま、口を開いた。
「エドワード・エルリックはまだ生きている、と」
「……まさか、扉を、開いたのか!」
がっ!
力の入らない腕で、でも渾身の一撃を男の頬に叩き込んだ。
今までどんなに殺したくても殴ることはできなかった。そのあとの報復を恐れてだ。
だが今はそんなことどうでもよくなるほどの怒りに苛まれた。
この男は扉を開いたのだ!!
「知らないのかよ。人体錬成は禁止されてるんだぜ」
「そんなことはどうでもいい」
エドワードの怒りもわかっているだろうに、男は一切取り合わなかった。
「無我夢中で陣をかいた。他のことなんて何も考えなかった」
そうして扉を開いた先で、真理はこう言ったのだという。
『エドワード・エルリックの魂はまだ、消えてはいない』と。
「君は死んだのではなく、死ぬ前にその魂を対価として真理に奪われた。いわば昔のアルフォンス君の逆の立場だっただけで、まだ死んではいなかった」
「でも肉体は死んだはずだ」
「覚えなくていいんだが、」
器用に眉を下げて、男はエドワードに手を伸ばす。その先は首だ。
「人間はどうしても自殺するとき躊躇する傾向があってね」
――つまり、エドワードの自害は成功しなかったわけである。
少なくとも、手の施しようもない出血多量にはならず、出血多量でもショック死しない程度のものだったわけだ。
「なけなしの知識で傷を塞いで、輸血には私の血を使った。同じ血液型だったからね」
生体錬成まで知っているなんて反則だと思う。
この男はあの場で処置を行ったのだ。
「エドワード」
死ねなかったことに絶望して、泣いてしまいたい気分だった。
ようやく終われたと思ったのに。
「私が好きだというのは、本当?」
何がサービスだ。何がおまけだ。
俺から卵巣を奪っておいて。
こいつから左目を奪っておいて。
なにがサービスだ。
扉の中での会話をこいつに聞かせるなんて!!
「エディ……?」
「嫌いだよ、あんたなんか」
「…………」
「きらい……きらいだ……」
「わかった、すまない、何度でも謝るから……泣かないでくれ……」
すんすん。鼻を鳴らして男の胸の中。
憎くて憎くてたまらなかったはずなのに、今はもう、その感情がぽつんときりとられたようになくなってしまって。
これもサービスかよ。
もう二度と会うことのないであろう真理に、大きく悪態をついた。
*
『知り合いのよしみで弟との錬成の対価に錬金術は奪わなかった。かわりに卵巣をいただいた。でも、お前の復讐のために、お前が子供を産むまでは待ってやった。まったく、これ以上のサービスがあるかよ』
しかも死にかけの魂をわざわざこっちで捕まえておいたのに。
『ま……本当に来るかなんてわからなかったけど』
男は躊躇しなかった。何の戸惑いもなく、扉を開いた。
自分を分解する真理に屈することなくただエドワードだけを求めて。
その根性に負けたと思ったから、男にエドワードとの会話を聞かせたのだ。
男は言った。
私のどこでも持っていけばいいと。
けれど、その子の魂は返してもらう、と。
本当に、この女の近くにいる人間は面白いやつばかりだ。
男の対価が片目だったのもサービスだ。盲人は退役させられるし、エドワードを見ることもかなわない。感謝してほしいくらいだ。
『本当に、人間っておもしろいな』
誰もいない空間で一人今日も扉の前に座っている。
さて、次はだれがここにやってくるだろうか?
End