ゆっくりと、男がのし上がってくる。
ふ、と香る男の体臭が、エドワードの恐怖をさらに倍増させた。身体が小刻みに震えて言うことを聞いてくれない。
これまで、どんな不作法者共と拳を交えても、ここまでの恐怖なんて感じたことはなかったのに。
「殺す、の、か」
自分の意思に反して震える口を開けば、じわり、と痛む口内。広がる鉄の味。うまく、言葉を発することもできない。
顔はもうきっと、ひどいことになっているのだろう。
エドワードのそんな言葉に男は一瞬虚を突かれたような顔をして、ふと目元を緩ませた。
――いつも通りの、慈愛に満ちた優しいその顔で、エドワードの膨らんだ頬をゆるりと撫ぜてくる。まるで、痛みに呻いたそれすらも、愛おしいというように。こんなことをしておいてなお、表情を崩さない男に、乱れた呼吸がとまらない。
「殺さないよ」
ふと近づいてきた顔、反射的に閉じた腫れ上がった瞼に、ちゅ、と小さな口づけが落とされる。
呆然と目を見開いたエドワードは、次の男の言葉にさらに目を剥いた。
「愛してあげるんだよ」
――愛。真綿で包み込むような、優しい言葉。
しかし、男の瞳はそれを裏切っていた。
緩んだ目元とは裏腹に、体の底から冷えるような、黒光する瞳が、エドワードを捕らえる。まるで夜の闇の中で、獲物を狙う獣のようだ。補食対象は、言うまでもなく。
男の影が揺れた、と思えば、そのまま齧りつく様に唇を貪られる。
「ん、……うっ」
エドワードの小さな体を取り込むように、覆い被さる大きな体。
抵抗しようと、痛む体にむち打ち腕を振るえば、すごい力で払い除けられ、押さえつけられる。
ぬめる舌に、無遠慮に唇をなめあげられ、あまりの気持ち悪さに喉奥からひ、と小さな悲鳴が漏れる。小さな口を大きな口で覆い隠され、ざらつくそれが、歯列を割ろうと歯茎をなぞる。
侵入してくるそれを拒もうと必死に歯を噛み締めれば、す、と伸びてきた大きな手のひらに顎を掬われ、耳の下を押さえつけられる。かは、と開けた口になだれ込んできた長い舌先に舌をからめとられ、ねぶられ、嫌悪感に背筋が冷えた。
なんとか酸素を取り込もうと、水に溺れた子供のように成す術もなくもがく。口内に溢れた唾液に呼吸がつまり、体を捩らせながらそれを飲み下す。
こくりと喉がなった瞬間、男がふ、と口を緩ませた気がした。
―――ああ。
一体、どこの誰が言ったのか。初めての口づけは、優しい味がすると。
するのは、血の味だけじゃないか。
とっくの昔に外され、転がされた右腕が、視界の隅で鈍く光った。