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それは、3回目の質問だった。


「やめるか」


ここで、やめたいと答えればどうなるのだろうか。
きっと彼は止める。そしてオレへの疑惑をより一層深める。
だからオレは何も言わない。何も言わずに、自分を組み敷く大きな体に必死にしがみつく。
身体の奥が、圧倒的な質量を持った異物にみちみちと開かれていく鈍痛に耐える。顔を顰め、声の出し方を一瞬でも忘れてしまうほどの痛みだ。開かされた脚が痺れる。できることなら今すぐに腰を引き自身を苦しめるものから逃れてしまいたかった。ぬるついた汗を口に入れてみても、潤いにもなりゃしない。しょっぱい。ひたすらに喉が乾く。この時点で、体は満身創痍だった。
「たい、さ」
名を呼べば、しっとりと唇が降ってきた。瞼、頬、鼻の頭、そして口。体温と口づけはあたたかくて優しいのに、目線だけは針のように鋭かった。まるで、些細な嘘でさえも暴こうとするような疑り深い漆黒の瞳。彼にとっては、呼吸一つでさえも疑惑の対象なのだろう。息を吐くことに、こんなにも神経を使ったのは初めてだ。至近距離からもう一度、たいさ、と口を震わせてみる。待ち望んでいた舌が入り込んできても、窺ってくる黒曜石は冷たいまま。ねっとりと口の中をなぶりながら、オレの嘘を探り出そうと神経の糸を張り詰めている。こんな時ぐらい、もっと身を委ねてくれたっていいのに。

好きだと、先に告げたのは彼のほうだった。
体が欲しいと、先に言ったのも彼のほうだった。

オレも、と返した。いいよ、と返した。全て、先を抜かれた。それがまずかったのだろうか。いや、関係ないに決まっている。例えオレのほうから彼を求めていたとしても、彼はオレを信用しなかったに違いない。
それは何故か。彼が彼自信を、信用していないからだ。
信用する価値がないと、自分で自分を諦めているからだ。

私は殺人鬼だからねと、いつだったか彼が言った。
その一言に、オレは怒りを覚えた。
アンタのためならオレは、と心情を吐露した時。
嘘つきだな、と笑みを零した男に、腹が立った。

オレが、アンタに落ちた瞬間を教えてやろうか。君の腕だ。とアンタが言った時だ。機械を、肉体に繋いでいるだけの仮の腕を、君の腕だと、拾い集めてくれたから。
故障した部品のいくつかが見つからなかった。また見繕えばいいとさっさと諦めたオレを押しのけて、地面にはいつくばって探してくれた。地位のある軍人がたった一人の部下のために。人目も気にせず。継ぎ接ぎだらけのこの身体を、全てひっくるめて本物の君だと。だから一片残らず探し出すのだと。
──愛するのだと。優しく真摯な眼差しが語っていたからだ。
『あったぞ』
手に転がった銀色のネジ。ぽん、と頭をはたかれ、何事もなかったかのように去って行ったアンタの後ろ姿を、オレは随分と長い間眺めていた。戻ってきた弟に、声をかけられるまで。

オレの体は継ぎ接ぎだらけ。でもそんな身体を、アンタは本物だという。
だったら信じろよ。オレの言葉を信じろよ。オレの心を、信じてくれよ。
アンタのためならオレは、この命さえ。どうせアンタがオレに隠れて関係を持ってる他の女どもがそういえば、『私もだ』なんて甘く返すくせに。どうしてオレの言葉は信じないんだ。

私は殺人鬼だからね、とアンタは言う。こんな私を心から愛するものなどいないと、アンタは思ってる。じゃあ、殺人鬼のアンタを好きになった俺はなんだ。殺人鬼に惚れた、異常者か。

アンタの心は、どこか欠けてる。目には見えない部分が、欠けている。
砕け散った欠片を、アンタはアンタ自身で集めて、くっつけて固めて戻した。歪なそれに目を背けて。アンタは笑う。掬いきれなかったアンタの欠片の一部は、今もどこかに転がってる。アンタは、別にいいと言う。砕けた欠片はもうどこにもないと、諦めているアンタは。どうせ、見繕う気もないのだろう。

だったらオレが、それを探し出して何が悪い。
地面にはいつくばって、アンタの欠片を探して何が悪い。アンタがオレに、してくれたことだ。ちっぽけなオレだって、アンタの欠片を探したい。
オレの体は継ぎ接ぎだらけ。でもそんな身体を、アンタは本物だという。
アンタの心も、継ぎ接ぎだらけ。でもそんな身体だって、本物だ。オレは、本物のアンタの欠片を集めたい。どの一つだって、零していいものなんて何もない。鋭い欠片に、この指が切れたってかまわない。血だらけになったって、一欠片だって残らず、探し出してみせる。

異常者だって、思われてもいいんだ。

アンタが信じてくれるなら。

「やめるか」

 


4度目の質問。圧迫感が増す。視界がふやける。引き攣った声が漏れる。冷や汗があふれ出す。きっと、みっともない顔になっていることだろう。
想いを込めて、大きな手のひらを強く握り返す。
たじろいだ黒に、笑ってみせる。にっと、歯をむき出しにする。頬がうまくつり上がっていたかはわからないけれど。
疑惑を向けるアンタの瞳に、隠し切れない怯えがあることをオレは知ってる。他の女たちはきっと気付かない。でも、オレだけは知ってる。


苦痛の全てを弾き飛ばして、一生懸命笑った。
たった一つの言葉を伝えるために。

「冗談、やめねえよ」

いくつもの欠片たちが見つかるまで、どのくらいの時間がかかるのかはわからない。でもこうして体を繋ぐことで、アンタの欠けたところを、少しでもうめることかできるなら。
アンタの欠片を全部探し終えるまで。

「誰がやめるかよ」

殺人鬼ならば。
アンタの愛で、オレを殺してみせろ。本望だから。

オレの体は継ぎ接ぎだらけ。でもそんな身体を、アンタは本物だという。
だったら信じろよ。オレの言葉を信じろよ。オレの心を、信じてくれよ。
アンタの欠片にだって、オレは頬をよせるから。

今度はこっちから、舌を絡める。
オレの気持ちを信じきれない大人の疑惑の瞳。
継ぎ接ぎだらけの貴方に、最大で最高の報復を。

「死んだって、止めねえよ」





それを人は、愛と呼ぶんだ。

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