top of page

認めたくない想いがあった。 
事実その場に居合わせ、自分の深層心理をこれでもかと見せつけられても、どうにかして目を背けてしまいたい想いが。

 


「……何をやっているんだお前たちは」
「大佐あ、ダメですよ混ざっちゃ、大佐に休憩なんてないんですから」
間延びした声色の部下は、休憩中だというのにトレードマークの煙草を咥えていない。代わりに手にしているのはアイス。今の彼にとっては煙草よりも重要なのだろう、珍しいこともあるものだ。
このうだるような炎天下。 まあ仕方のないことだとは思うが、蒸し暑い一室で休憩中も書類に追われている上官を放っておいて、甘い氷を貪り喰っているとは腹立たしいことこの上ない。そして、一番腹立たしいのは。
「そうだぜ大佐。脱ぐ覚悟がないクソ真面目ヤローは大論外だ。部屋に戻って仕事に励みたまえ」
此方の口調を真似ながら、小生意気に此方を見上げてくる子供だ。一体何で錬成したのか、そこそこ大きな円形のプールにパンツ一丁で入っている子供。と、同じく半裸の大人一匹。
少年の金色の髪からは、喉の渇きを潤してくれそうな水がぽたぽたと落ちて水面に波紋を作っている。小さな体はほどよい筋肉に包まれ、ほんのりと上気した頬と湿った真っ赤な唇が目に痛い。目線をずらすと、下腹部を覆っている下着が目に入った。
下着の隙間から、なまっちろく固そうな肌が覗いて───
 「あーやべ、零れる」
ばしゃんと、水面が揺れた。はっと思考が戻る。子供が手に持っていた乳白色のアイスが溶けてプールの中で弾け、なおかつ子供の手を汚していた。
零れた白い液体が、水面にぶかりと浮かび上がり、漂う。上から覗くと、ちょうど子供の下半身の辺りで。ぐうっと、鳴った喉には知らんぶりを決め込んだ。だというのに、子供は残酷な程に赤い舌で自分の指を丁寧に舐め始めた。
珍しく高い位置で結ばれた髪、むき出しの肌色の項。鋼の右手で、撫でるようにかき上げられた金色の前髪が、ちらちらと輝く。カーテン越しの太陽光に慣れてしまったせいで、やけに目に染みた。
「わざとか」 
「ああ?」
唇から顎までを白く汚した子供に口汚く下から睨みつけられ、思わず頭を抱え込みそうになった。まるで愛らしい子猫のようだと、のぼせきった脳内が蕩ける。もう視界も思考もぐずぐずだ。ああ、眩暈が。
「汚い食い方をするな」
「あー! 返せよォ!」
くらりときたのは、暑さのせいだ。苛立ち紛れに少年が口に咥えていたそれをもぎ取って、可愛らしい歯型のついたそれを一瞬見つめてから口に含む。
シャリ、と、ほとんど溶けた冷たい氷の粒が歯に染み込んでくる。舌で転がせば、あっと言う間に腔内の温度と同じになったそれが、ぬるりと喉の奥へと流れ込んで来た。
決して得意ではない粘つくような濃い甘さのはずなのに、咀嚼することを止められない理由はなんだ。エドワードの薄く開いた唇を視界に焼き付けながら、喉を嚥下する。
冷たい氷菓子が恋しくてたまらないのは、たぶん暑さのせいだ、きっと、絶対。
「大佐ぁ、言ってくれれば大佐の分も用意したんですけど」
「つまり私の分はないということだな」
「大正解です」
「お? 大佐、顔赤いぜ、なになに、オレと間接ちゅーして照れてんの?」
「アホ。暑いからだ」
絶妙にテンションの高い子供の頭を反対側の手で軽く叩く。いってと仰け反った子供はそれすらも面白いのか、剥き出しのしなやかな足をばたつかせた。弾けた水滴が、シャツに飛んでくる。
「休憩は終わりだ、さっさと着替えて戻れ」
「やだー」
「やだー」
アイスを食べ終えた大人の部下が、子供と一緒になって水を掛け合いはしゃぎ始めた。いい大人が何をしているんだ、とため息を零しても、彼らは気にも留めない。水に濡れるのを嫌がるふりをして、その場を離れた。
アイスの最後の一口を、しゃくりと、口に含む。
認めたくない。鼓膜を破壊してきそうな蝉の大合唱よりも、楽しそうな少年の声が耳に残ってしまうのも。あの水に濡れた金色の髪が、青空にも負けないほどの純度だなと、見惚れてしまったことも。
冷たいはずなのに、舌でとろけてゆくアイスが均熱の太陽のように熱くてたまらなく感じるのも。 
認めたくない。何もかもが。


「──全部、夏のせいだ、あの豆め……」


本人がいれば烈火のごとく怒り狂いそうな台詞を忌々し気に吐き捨て、アイスの棒を綴ってみる。かみ砕く勢いとは裏腹に優しく歯を立ててみれば、じわりと染み出す苦みと甘み。
ここまできてしまったら、いい加減もう認めざるを得ないのかもしれない。
自分自身の想い全てを、この指先で焼き尽くすことが出来たらどんなにいいか。
もっとも、自分のちっぽけな焔など、この地獄のような太陽の炎に直ぐに飲み込まれてしまうのだろうが。
認めても、認めなくとも。初めから心も身体も飲み込まれている、わかりきっているのだ。突き刺すような太陽の熱は今もなおこの身を蝕んでくる。
きっと、この夏が終わっても。

マスタングは額に滲んだ汗を、ゆっくりと拭った。


恋の病というのは、げに恐ろしい。

bottom of page