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出来ることならば、今すぐ君に。


虚ろな瞳のまま締めあげてくる力は本気だった。子供と言えども片腕は固い石をも粉砕する機械の腕だ。本気で絞められれば大人でも骨をへし折られる。このまま抵抗をしなければ、あと数分後には私の首の骨は完全に折れてしまうだろう。
しかし、この震える少年の指先を引き剥がしてやろうという気は起きなかった。それどころかもっと締めてほしいときえ思った。
涙を、初めて見た。
どんな手を使ってでも見てみたいと思っていた金色から零れ落ちる透明な雫は、あれほど渇望していたものであったはずなのに、私に高揚感はおろか満足感すらも与えてくれなかった。

その理由を考えるのは止めた。今更理解したとしてももう遅い。私はこの子を、そしてあの子を戻れない所まで追い込んでしまったのだから。


「お前の、せいで」


もう、アンタ呼んでもくれなくなった。きらに首を締めあげる力が強くなってくる。

自分は散々やってきたくせに人にこうきれるのは初めてだった。その初めてが今だということは、私への罰の一つなのだろう。
音もなく視界が霞んできた。呼吸も浅くなってくる。ぴかぴかと濡れる大きな瞳からダラダラと溢れる涙は、蓋をなくし逆きまに垂れる蜂蜜のようだ。

絶え始める息に初めて光を見出す、このまま思考すらも止めることができたらと。
謝罪の代わりに静かに体の力を抜き好きなようにさせる。抵抗はしない。する資格はない。目を背ける資格もない。

それなのに歪む表情を見ていられなくて目を伏せてしまったのは弱さ故だ。

君は子供だなと口酸っぱく噺っていた当の本人がこのあり様だ。

子供の口元がぎりりと噛み締められる。血が出ている。歯窪いだろう、恨めしいだろう、憎いだろう
「……アル……!!」
荒い呼吸が私の胸元にぶつけられる。心の奥底で爆発した子供の感情の全ては、たった一言に集約されていた
首を圧迫する力がふいに緩む。岬き声をあげながらずるずると胸元から足首へと落ちていく二本の腕。

急激に喉に入り込んで来た酸素にくらりと足元がふらついたが、壁に寄りかかることで堪えた。

鳴咽を零しながら床に突っ伏した子供の前で、一つ二つ三っと咳を零して、六度目で口を押さえた。


アルフォンスの血印が壊れた。
もうあの子は物言わぬ鉄の塊だ。


この小さな体を暴いていた時間帯だった。こちらとて予想もしていなかったことだった。

弟のためにと私に体を差し出したこの子は、私のせいで最愛の弟を助けることが出来なかった。
現場には倒れた鎧のそばに受話器が落ちていた。アルフォンスかも知れないから出させてくれというエドワードの懇願は正直懲陶しかった。どうせ『兄きんが帰ってこないんです、大佐知りませんか?』というような焦った声が聞こえるだけだろうと震える電話を無視してエドワードの脚を開かせ続けたのは私だ。

夜中の2時ごろだった。リリリンという電話は一回二回三回と鳴り、六回目で途切れた。


痛む体に鞭打ちふらふらと家族のいる宿に帰ったエドワードは、扉を開け部屋に入り、床に無造作に倒れ込んだ動かぬ弟の抜け殻を見つけた。
その時の、この子の悲鳴は聞いていない。けれども想像に容易い。弟の名を何度も呼びながら、壊れていた血印を何度も練成し直して。

それでも自分の名を呼ばない鎧に、最後は身を切るように絶叫したに違いない。

「オレの、せいで……!」
今と同じくらいの絶望を伴って。


君のせいじゃない。
悪いのは私だ、すまなかった。


なんて安っぽい台詞だろうか。声に出す代わりに震える呼吸音が漏れる。

最愛を失った愛しい子に手を伸ばすことさえ出来ない。

昨夜までは髪を掴んで引っ張りあげることさえ出来たというのに。


ああ、出来ることならば今すぐ君に。

残酷に殺されたい。

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