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「なんでアンタさ、オレのこと抱くの」

「運命だから」

軽口を叩く青年を睨みつける。運命だなんて甘ったるい台詞、どうせオレ以外の人間にも言いまくってたくせに。

「今は君だけだ」

何も言ってないのに、表情だけでオレの言いたいことを理解している大人らしさに腹が立った。

全部お見通しかよ。

「はぐらかすな、そんなこと聞いてんじゃねえよ」

「君に出会って初めて、これまでの運命だと思っていたものが運命ではなかったことを 知ったな」

「聞けよ」

紳士的な台詞なのに軽薄に聞こえるのは何故か。理由は簡単、彼が本気だからだ。

これまで通り適当に相手をする女相手だったら彼はもっとぬかりなく接するだろう。

肩を抱き、唇を寄せて雰囲気を作り、相手が本気であると勘違いしてしまいそうなほどの痺れるような低音で心を込めた言い方をする。

今のように動き疲れ、だるそうに肘をついた間抜けな格好をしているはずがない。

「わかった聞くよ、もう一度?」

「オレがアンタだったら絶対にオレなんか選ばねえって話。こんな傷だらけのガキをさ」

「それは此方の台詞だ。私が君だったら絶対に私は選ばん。どうして君みたいなのが私なんかに捕まったんだ」

「お互い趣味が悪いってことだな」

 「私の趣味はいいぞ。けれど君の趣味はすこぶる悪い、可哀想な子だ」

少しだけ欠伸をかみ殺した男は、汗で冷えた黒い前髪を乱雑にかき上げながらごろりと寝返りを打った。

ここ数日の怒涛の仕事が祟り彼は憔悴しているようだった。

何で忙しかったのかは聞かない。

彼も言わない。

ただ帰ってきた時いつもより軍服から漂う煤 の臭いが強かった、それだけだ。

「本当に可哀想だ、私なんかに本気になられて」

目の前に広がったのは逞しく傷だらけの白い背中。

普段は涼やかな青に包まれた体には熱い筋肉が呼吸に合わせて波打っている。

この筋肉がしなやかにうねり焔を逆らせる様をオレは知っている。

彼が自分のそんな所をあまり好いていないことも。

「君以外を」

大きな体の向こう側には殺風景な白い壁が広がっていた。そこに掛けられているのは 軍服と赤いコートのみ。

床に散らばっている服の隙間に彼の少しだけくすんだ白い手袋も埋まっている。

閉め切られた窓の中は少しだけ暑かった。

 「.....好きになれればよかったのにな」

夜に溶けるように小さく呟かれた言葉の端には、抜けるような脱力感と含み笑いが混ざっていた。

重く感じた。周囲の重力を巻き込んで自分の体に圧し掛かってくるような重みだった。

きっとこれも彼の本心なのだろう。

丸まっていることでぴんと張った背筋に触れてみる。

ロイ・マスタングという生が入った器。

彼の嫌う器に爪の痕がある、オレが付けた傷だ。それ以外の新しい傷跡も。

ぴくりと動いた男は、そのまま流れるように振り向き覆いかぶさってきた。

しっかり開かれていた瞳には先ほどまでにはなかった獰猛な欲が宿っていてドキリとする。

情を胸に秘め微笑みの下に隠してしまう術を人生の中ですっかり身に着けてしまった彼が、時折見せるこの表情。

だからこそ、この暗がりの中で爛々と震える光に抗えるはずはなかっ た。

「……おい」

「傷は性感帯なんだ、君が悪い」

「オレのこと好きじゃねえんだろ」

「そんなことは言っていない。君は私の運命だよ」

「質問、答えて貰ってないんだけど」

「体で教える」

「てめえ」

あれよあれよとまさぐられ高められ、引いていた汗はあっと言う間に元通りになった。

睡魔をお互いの熱で吹き飛ばし、極限まで噴き出た汗が互いの体を濡らす。

そういえば昨夜もこんな感じだった。疲れ果てふらふらだったくせに、彼はいつも以上にしつこかった。

毎晩毎晩飽きもせずによくやる。きっと明日も体温を与え奪い合うのだろう。

明日も明々後日もその次の日も。これから先もずっとその時まで。

「しょうがないだろう」

 黙々と揺さぶられている最中だった。 荒々しい呼吸の中で、彼が一瞬だけ唇を震わせたのは。

 「俺にはお前しかいないんだから」

シーツから顔をあげる前に、唇は閉じられていた。

したたる汗が滝ように流れてくる。しょっぱさに目が霞んだ。

 

今のは、叫びだった。

彼の心からの悲鳴だった。

今直ぐに、この大人を問い詰めてやりたかった。

オレ以外の人間に散々吐き捨ててきた台詞を、使い古してきた言葉を本気で使うのは苦しいかと。

知りたくなかったか、アンタを愛したオレが憎いか、と。

 

それなのに、喘ぐばかりで声なんてまともに出ない自分の経験の無さが憎らしい。

翻弄されたまま右肩と機械鎧の接合部に噛みつかれた。

傷は性感帯だと彼はよく言ってい たが、全くその通りだと思う。

自身の脆い部分を愛撫されるのは耳元で直接愛を囁かれるよりも心地が良い。

深い傷をこうして性感帯に、慈しみに満ちたものに変えられる相手なんて今後一生現れないだろう。

この人を、除いては。

「大佐」

繋がれば繋がるだけパズルのピースがハマってゆく。固められて外れなくなる。

それ がこんなにも恐ろしいことだったなんてオレもアンタも知らなかった。

知っていれば最初から触れなかったのに。触れてしまったからこそ、互いに抜け出せなくなった。

『君は、いつか私を捨てるよ』

彼の口癖だ。いつも彼は笑いながらそんなことを言う。

でもそれは違う、逆だ。

オレではなくきっとアンタがオレを捨てるんだ。今だっていっそ手放せたらと願っているくせに。

だって、彼の目がそう言っている。傍にいるのが温かくて苦しいと彼はいつも叫んでいる。

彼が目指しているのは焔と血と泥にまみれた未来。全ての憎悪の連鎖を断ち切った世界。

彼が命に未練を残せる世界ではない。けれども、オレが傍にい続ければ彼はきっと彼自身を捨てられなくなる。

それが彼にとって何よりの恐怖なのだ。

彼は自分自身に、運命を架している。彼自身のいない世界を望む、運命を。

 

「……大佐、もっと」

大きな肩にしがみつき、弾力のある肉にまた新たな傷をつける。

彼の少しだけ皺の寄った額が、恍惚に歪んでいくのが救いだった。

なんでオレを抱くの、だなんて、バカげたことを聞いてしまった。

聞かなくとも答えなんて一つに決まっている。

今のオレたちが選べるのが、それだけだからだ。

今は、いつか来るかもしれない別れの未来のために、世界中でたった一人見つけたお互いを強く抱きしめるだけ。

それが全てだ。

 

でももしも。いつかその瞬間が来たとして。

オレは彼の思い描いた世界を祝福することができるだろうか。

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