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「死ぬときは、焼死がいいな」


窓を叩く雨音が強くなり始めた時、情事で掠れた声が隣から聞こえてきて視線だけを動かす。彼の声が嵐のような激しい雨音にかき消されなかったのはエドワードが聴覚を研ぎ澄ませていたからだ。
つい数分前まで自分を組み敷いていた大人は、何を考えているのか気もそぞろな様子でぼんやりと薄暗い天井を見上げていて、気になっていた。
「なに急に」
「別に、ずっと考えていたことで……」
どこか舌ったらずで子どもっぽい声色には、睡魔が滲んでいた。見れば目が細まりうつらうつらしている。ここ最近は仕事が忙しく大変だったと言っていたが、相当疲れているようだ。
だったら身体を重ねないでさっさと寝ればよかったものを、とは思ったが、確か雨が降る日は誰かの肌が恋しくなると言っていた。
いやに性急だったのはそのせいか、と今になって納得する。その時はまだまだ本降りではなかったので雨が降っていることにも気が付かなかった。
この分だと、明日は嵐になるだろう。
「焼死がいいな、と思ったんだ。私はやっぱり」
何がやっぱりなんだ、と吐き捨てる前に口を閉じた。この前この男と喧嘩をした。些細な言い合い……というかエドワードが一方的にキレていただけだったのだが、どうにも腹が立ってこれからは思ってることをちゃんと言え!と怒鳴り散らした。曲りなりにも付き合ってるのだから、と。
あの時のエドワードの激高は、どうやら今でも彼の中で燻っているらしい。あの喧嘩以降、彼は何かと、こう……突拍子もないことを言うようになった。
大佐の裸の心に触れられるようになってきた、と言えば聞こえはいいが、それにしてはどうにも不安定な気がする。
大佐自身がじゃない。この関係が。
「アンタが焼死すんのはヤダ」
「そうかな、私は結構甘美な響きに思えるんだ。あの焔の錬金術師が、焼死」
「笑えねえよ」
「笑えるさ。報いを受けたいと、望むのはいけないことかい」
「いけなくはねえけど、それはヤダ。ぜってーヤダ」
「なぜ」
アンタの顔結構気に入ってんだよ、といつもなら返していた。そして大佐は「酷いな、私は顔だけか」と苦笑しこの会話は終わるのだ。まるで軽口のように。

そう、いつもであれば。

心を見せてきた男に、心を返さないなんて男じゃない。エドワードはその点、とても漢らしかった。
「焔なんかにアンタを奪われてたまるか」
窓にぶつかる水滴が激しさを増す。雨の音しか聞こえないのは大佐が黙っているからだ。
「じゃあどうやって死ねばいい」
沈黙は十秒ほどだった。ぽつりと呟かれた声は雨の合唱に今にも掻き消されそうで、エドワードはごろりと寝返りを打ち、隣に寝そべる死体のような男に向き直った。
大佐は未だに天井を眺めている。
「聞こえてんだろ? 今外は雨だ。火を被ったって消火されちまうぜ」
「じゃあどうやって死ねばいいんだ、私は」
エドワードはこのどうしようもない会話を、睦言にしたいと強く思った。
そういば昔そんな会話をしたなと、雨降りしきる外を窓から見つめながら、大佐と身体を寄せ合って。それこそ、軽口のように。
「死ぬならオレで死ね」
迷い子の瞳が、やっとエドワードを見つけた。
「刺し殺してやるよ、オレの右手で」
温度の無い右手をそろりと持ち上げ、大佐の汗に濡れた髪を丁寧に撫でる。慈しむように、何度も。
冷たいだけだろうに大佐は気持ちよさそうに目を細め、口を綻ばせた。自然と零れた微笑みに見えた。
それは歪で、決して見ていて気持ちのいいものではなかったけれど。
「……いいな、それは。焼死よりも甘そうだ」
笑ってんじゃねえよ。そんな苛立ちを込めて、エドワードは自分よりも大きな身体を引き寄せてかき抱いた。
黒い頭を腕の中に抱え込み、頬ずりするように髪に口づけを落とせば、震える吐息が胸を擽る。
エドワードは子どもだけれども、今は大佐の方が子どものようだ。

丁度大佐が目を瞑った時、遠くの方で鋭い雷が鳴った。

これ以上残酷な音が大切な人に聞こえてしまわぬように。エドワードは冷たい頭を抱きしめる腕に力を込め、広い背を静かに撫でた。
胸に響く震える吐息が、細く小さくなっていく。

「──おやすみ、大佐」

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