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「食べていきなさい」

 

いつもいつも、男は同じ言葉を口にする。

はたからみればなんてことない言葉だ。むしろ慈愛に満ちているとさえ思うだろう。

誰かと共に食にありつくことは、命を分け与えるという事だ。談笑を交え、同じテーブルを囲む。

旅の最中でも、食にありつけない体である弟を誘ってテーブルを囲んだものだ。

それほどまでに、誰かとの食事というものは温かい。けれども。

食べていきなさいと、その言葉を言われた時、恐ろしく身体が冷えた。今日だけではない、いつもそうだ。

今までエドワードが理解してきた「食事」の有りようとは全く異なるそれは、エドワードの食欲を極限にまで減退させる。むしろ、苦痛そのものと言ってもいいだろう。

「座りなさい」

先程と同様に、抑揚のない声が落とされる。これは紛れもなく命令だ。

拒むことを、禁じられた。口を引き結ぶ。

言われるがまま、のろのろと用意された椅子に座る。背もたれのついた、赤い色の固い椅子だ。

ゆっくりと座ったつもりだったのに、臀部がずきりと痛んで顔が歪んだ。人に言えないような場所が、じんじんと熱を孕んで膿んでいる。昨日、いつも通りに無体を働かされたせいだ。

むちゃくちゃしやがって、という罵声を喉の奥に収めて、男の逸らされない視線から逃れるように下を向く。

こんな痛みじゃ、しばらくはまともに椅子に座れないだろう。旅から旅への列車移動がこれから待ち構えているというのに、最悪だ。

顔を落としたことで、長い金色の髪がぱさりと頬にかかる。痒かったが、はらわなかった。むしろ自分の顔を男から隠してくれるので有り難いとさえ思う。

こんな時に限って、髪を伸ばしていてよかったなと思ってしまう自分が嫌だったが。

ことりと、目の前に置かれた乳白色の皿と、大きめのカップ。綺麗な赤い色をしたそれは、前にこの家に来たときはなかった。ついこの間、殺風景で気持ちわりいとせめてもの抵抗とばかりに吐き出したエドワードの戯言を、どうやら彼は覚えられていたらしい。

主に寝に来るためだけに使われているであろうマスタングの家、部屋は無機質でまるで色味のものがなかった。今日は何か作業をしていたのか台所は少し散らかってはいるが、いつもは綺麗に片付けられている。白と、茶と、黒。

生活感のない清潔で歪な部屋は、まるで男の全てを表しているようでエドワードは苦手だ。そこにわずかな色が入ったことで多少の暗さは抜けているが、それでも赤い色を選んでくる辺り性格が悪いとしか言いようがない。

赤は、エドワードが一番気に入っている色だ。

何をするでもじっとカップを見つめていると、ふいにマスタングが静かに背を向けた。

朝食の支度をするのだろう。

髪の隙間から、ちらと男を覗く。広い最中に、白いシャツに黒のズボン。襟元も緩く、袖もまくっている。いつもきっちり着こなしている軍服は、今は寝室のハンガーに掛けられている。いつも寝室の小さな窓の外を見つめていたが、マスタングは最近エドワードの視線の先に気が付いたらしく、行為の最中はカーテンを閉めはじめた。

まるで、私の事だけを見ろといわんばかりの行動に、背筋がちり、と粟立つ恐ろしさを感じて、昨夜はずっと壁に掛けられた軍服を見つめていた。どんなに激しく揺さぶられても決して男のほうを見ようとはしなかった。

何を言われても、何をされても。まるで、意地の張り合いのような、交わりだったと思う。

暗闇の中、わずかな照明器具に照らされぼうと光る濃紺は、昼間のマスタングを思い出させた。夜の顔とは別の、冷静で、いつも笑みを浮かべ、野望に向かって突き進み、それでいて部下思いの司令官の姿。

目的のためと言いながら、身内の危機には自らの命さえも厭わないそんな大人。

本来は優しい男なのだ。そう思えるまで随分と時間がかかったが。

エドワードに対してだけだ。マスタングが、こうまでもなりふり構わず行動するようになるのは。

普段の澄ました顔からは想像もできないくらい、マスタングはいつも、激しくエドワードを抱く。そんなにきつく抱きしめなくても逃げないのに、逃げられやしないのに、エドワードの小さな体が軋み壊れそうなくらいに求めてくる。いっそ暴力的だ。

何度も何度も奥を抉られ、注がれる。まるでエドワードの中に自分を刻み込もうとしているかのようだった。身体は、もうマスタングの形を覚えてしまった。今ではもうかるく慣らされれば、多少の痛みは伴うがすんなり入るくらいだ。

ぴっちりと収まり、的確に感じる部分を擦りあげエドワードの自尊心とプライドを性をことごとく粉砕してくるそれは、同性からみても大層立派なもので、苦しい。

当たり前だ。本来ならばそういう用途で使わない器官を使用しているのだ。上げたくもないのに無理矢理肺から押し出される声は甘く、女のようで、まるで普段の自分の声とは程遠い。

耳を塞ぎたいと思っても腕は押さえつけられていて、自分のあられもない声を聴く羽目になって地獄だ。今だって、まだ男の肉が傷む部分に入り込んでいるかのような気がする。解放されたのはいつもと同じ、朝方だった。

身を引き裂く様な快楽と、苦痛と、重み。いつも、マスタングとの情事ともいえない交わりは屈辱の連続だった。

そういえば、昨日は痛みのほうがはるかに強かった。それは彼が怒っていたからだ。エドワードの痛みを気遣う余裕がないのか、それともあえて痛くしているのかはわからないが、きっと両者は拮抗し、混在していたのだろう。

ほとんど気絶のようだったけれども、よく寝させてくれたなと思う。

意識が飛んでからは、つい先ほどまで起こされなかった。睡眠をとったという実感はあまりない。

何が、楽しいのだろう。エドワードは同性だ。女性のように柔らかな曲線もなければ、豊満な胸もない。むしろ、小柄ではあるがわりと筋肉質な体だ。当たり前だ、鍛えなければ野宿なんてもっての他。旅に出るためには必要な筋肉なのだから。

マスタングはもしかしたらそういう性的嗜好の持ち主なのかと勘繰ったことはある。

少年趣味な大人はこの世に沢山いる。訪れた町でもそういう輩に声をかけられた事は何度かある。小柄な体とはこういう時にカモにされやすい。もちろん速攻で殴ったが。けれども、マスタングのこれは違うのだろう。

男の恋愛遍歴などは詳しく知らないが、偶然街中で出会う男にはいつも女の影がちらついているし、夜にそういう店から女性と親密そうに肩を並べて出てくる姿も何度か見ている。全員違う顔だ。それでも、全ての女はみな男と一緒にいることを喜んでいた。男も、普段はエドワードには見せないような、甘くとろけるような微笑を浮かべていた。

女性からのアプローチも多いと、彼の部下は嘆いていた。多くの軍人が彼に彼女を取られたとかなんとか。真実は定かではないが、とにかくマスタングの女性関係は派手だ。立場的に情報収集のためというのももちろんあるだろうが、それ以上に彼は女という性が好きなのだろう、と思う。

エドワードに対してだけだ。他人がいる前ではいざしらず、二人きりになれば口数が減るのも。笑みすら消し、表情を一切なくした昏い瞳で見下ろしてくるのも。同じ性を持つ14も歳下の子供の身体を貫き、支配しようとしてくるのも。暴力的なのはエドワードに対してだけで、他の愛人達に対してはもっと優しいのだろう。

エドワードとは違う、優しい笑みをむけるのだろう。

 

ことりと、金属がぶつかる音に、はっと思考が戻される。

 

見れば、マスタングは調理を終えたらしい。

温め直していたスープをおぼつかない手つきで運んでくる。カップをテーブルに置く前に注いでおけよ、アンタってやっぱり……そう馬鹿にしてやりたいのを飲み込む。軽口さえ、もう叩くのをためらう関係だ。

白い、清潔感溢れる皿に、小さなパンとサラダが置かれた。パンは、ロールパンのようなもの、いつもよりもどこか歪な形をしている。そして、とん、とテーブルに置かれた中くらいの鍋。温かい湯気が立ち込めて、窓から差し込む朝の光にキラキラと光った。微かなコンソメの香りが鼻をくすぐる。

それでも美味しそうだとは少しも思わなかった。食べたくない。見るのも苦痛だ。匂いに誘われるように、せり上がってくるのは胃液だ。喉元が酸っぱい。もはや条件反射だ。

レードルをカップに添えられ、スープが注ぎ込まれる。見なくともわかる。きっと、歪に潰れたトマトとざっくばらんに刻まれたレタスが入っているのだろう。それと出来合いのクルトン。ここに強制的に止まらされた朝に、いつも出てくるコンソメスープ。

男は錬金術師であるのに、料理が壊滅的に下手だった。錬金術は台所から、そんな有名な言葉、錬金術を知らない子どもでも知っている。一体どんな家庭で育ってきたのだろう。養子であったということは風の噂で聞いたが、本人から聞いたこともないので真実は不明だ。

幼い頃に母を亡くし、弟のために料理も時々作っていたエドワードにとっては驚くべき事だった。どうせ、いつも作って貰う側だったのだろう。この男は、女性に料理を振舞って貰う事を楽しんでいるクチだ。

きっと、こんな関係になる前だったら盛大に馬鹿にして、笑っていた。君のほうこそどうなんだと挑発するように問うてきた彼に、憎まれ口を叩きながら胸をはって、アンタよりはましだ、なんて。そんな風に。

今ではもう、そんな事すらできない。

「食べなさい」

静かに、マスタングが向かいの席に座った。眉間に皺がよる。この瞬間が、なによりも苦手だ。

マスタングは軍人で、なおかつ国軍大佐の地位にいる。椅子に鎮座し、冷静に部下達に指示している時のように膝をつき、手のひらの上に顎を乗せ此方を見つめてくるその姿。司令部で普段見ている彼と同じ動作なはずなのに、何もかもが違うこの光景。もう此処に来るのも片手を超えるはずだというのに、未だに慣れずにいる。慣れたいとも思っていないが、居心地が悪いことこの上ない。今直ぐにでも、大声を上げて逃げ出してしまいたい。

「食べなさい」

再度落とされた、命令。窓から差し込む朝の光が、部屋の白い壁を温かく包み込む。

穏やかな小鳥たちの囀りに包まれながら二人で囲む食卓。犯した者と犯された者が二人向かい合って。歪だ。おかしい。静かで穏やかな世界なのに、狂っている。それにこの男も気づいていないはずがないのに。

誰かと共に食にありつくことは、テーブルを囲むという事は、命を分け与えるという事だ。それなのに、命を奪われているような気さえする。この男と食卓を囲むたびに、じわじわと。奪っているのは果たしてどちらなのか。

突き刺さる、視線。監視されているかのような圧迫感。実際監視されている。男はエドワードを見つめている。きちんと食事をとらせるために。これから旅に向かう自分を案じてくれているのならば、そもそも家に連れてこないでくれればいいものを。

ふ、と弱い息を吐く。どちらにせよ、食べなければ帰して貰えない。

じわじわと込み上げてくる嘔吐感を堪え、自分を叱咤しながらスプーンを取る。テーブルに手を付けた途端ざらりとした感触がした。なにか、粉のような。いつも綺麗にされているテーブルが。

「汚ねぇ」

せめてもの反抗心で、吐き捨てる。

「片付ける暇がなくてな」

カップを冷たくなった左手で掴む。男の視線はそらされない。

シーツを掴み過ぎて、かくかくと力の入らなくなった指先に力を込め、ゆっくりと口元に持ってくればたぷりと揺れた薄茶の水面が視界に入る。むわっと鼻孔に広がる、濃厚な香り。

まるで、苦行だ。込み上げてくる酸っぱさは変わらぬまま。喉も少し痛い。昨夜叫び過ぎたせいだ。男が腰を穿つたび、押し上げられるように喉から溢れ出た悲鳴。嬌声だったのかもしれないが、エドワードにとってみれば悲鳴だ。もうやめてくれと、帰してくれと、自由を望む自分の叫びは、熱い口内に飲み込まれて。

口に含まされた男の熱い肉が、未だ喉の奥を侵略しているようで、喉が詰まる。

それでも、食べ終えなければ。弟の待つ、本来のあるべき場所へ帰るために。

何よりも愛おしくて眩しい、家族の元へ。

ゆっくりと、熱い液体を口に含む。一気に飲んだほうがいいということはわかっているが、どうしてもできなかった。口内にじわりと広がるコンソメと、塩、そしてほのかな湖沼の香り。いつも以上に味は薄かった。ぷかりと浮いた赤いトマトが、まるで何かの死骸に見えて。こくと、と喉を鳴らす。入っていく。身体の中に。昨晩何度か飲み下すことを強制された白濁よりも、いくぶんかは飲みやすい。しかしそれだけだ。

「……ッ」

何度目かの咀嚼で、ちりっとした痛みが頬に広がった。思わず詰まった息。男に殴られた箇所だ。血の味はもうしないけれど、この痛みからすると少し腫れているのかもしれない。鏡を見ていないのでどのくらいのものなのかはわからないが、痛いことに変わりはない。帰る途中で、薬でも買って行こう。問題はその次だ。アルになんて言い訳をしよう。

「痛むのか」

つらつらこの部屋を出た時の事と考えていれば、ふいに声をかけられた。相変わらず抑揚のない低い声色。朝に、男と会話らしい会話をしたことなどないので、珍しさに髪の隙間から少しだけ覗き見る。

しかし、視界に入り込んできた男の赤い唇に嫌な記憶がよみがえって再び下を向いた。

散々いたるところを舐められて、咥えられた。正直気持ちが悪いと思う。男のものを咥えて何が楽しいのかはわからない。それでも抵抗するとろくな事がないのでいつもされるがままだ。昨夜だって何度射精を促されたのかわからない。

エドワードだって男だ、どんなに嫌でも、死ぬほど嫌でも、刺激されれば起つし感じる。

いつもの事だが、中にもたくさん出された。腹が痛くなるのでやめてほしいと言っても聞いちゃくれない。どうせ、今日も下すのだろう。そちらの薬は持ち歩いているので後で飲むつもりでいるが、いつもいつも困る。気絶するように意識が途絶えて、気がつけば日が昇っていた。正確にいえば気絶する前にはもう朝日は見えていたのだが。寝不足でしかもべたべたになった身体が気持ち悪いのにたたき起こされ、中のものを掻きだす時間すら与えて貰えず「食べて行け」の一言。ぐるぐると、黒い感情が胸の内に溜まり息苦しい。

「いてえよ」

責めるような声になるのは仕方がないだろう。悪いのはこの男なのだ。エドワードの不機嫌な様子に気が付いたのか、それともそれ以上会話を続ける気がなかったのか、それきり男は黙った。

切れた頬の痛みに耐えながら、黙々と、食事をとる。合間にサラダをフォークでぶっ刺し、味気の少ないスープと共に胃に流し込む。

昨日。マスタングはいつも以上に力づくだった。久々にイーストシティに訪れた。ふざけて顔なじみの司令部の人達とスキンシップをはかっていた時、運悪くそこに現れたのは心の底から会いたくないと思っていた黒い男だった。

「何を遊んでいる」たった一言。それだけで、マスタングの機嫌は手に取るようにわかった。

低い声。そしてなにより、絶対零度に凍った瞳。普段、二人きりの時ならまだしも、自分たち以外の人間がいれば彼は貼りつけたような笑みを崩さない。だからエドワードも反抗的で小生意気な少年を演じていられるのだ。そりのあわない、たまに冗談を言い合う、上司と部下として。それなのに。

急降下した上司の機嫌に、男の部下も困惑してすぐにエドワードを離した。そそくさと仕事に戻っていく背中達を眺めながら、嫌な予感に機械鎧の付け根から冷えていった。そのあと家に来るように命じられたのはいつもの事で、酷くされることも予測できていたのだから従順になれば良かったものを、つい感情的になって拒んでしまったのがいけなかった。

直行した寝室で、振り上げられた拳は一度だけ。けれど重かった。

目を閉じる。瞼に浮かぶ、恐ろしい夜の光景。闇に紛れたマスタングの姿、まるで肉食獣のように冷たい汗を垂らしながら、エドワードの全てを食らいつくそうとしていたマスタングはどこか焦っていて、必死になってエドワードの弱い所を暴き、息をつく暇がないほどに責め立ててきた。痛いと、エドワードがいくら叫んでも聞いちゃくれなくて。

生身の手首に咲いた、紫色の痣は未だじんじんと熱を持っている。大きな指の形。刻まれた大人の熱。こんなになるまで抑え込むなんて。見たくなくて、逃れるように袖で手首を隠す。呼吸すらままならない激しいな交わりの中で、無理矢理視界に入り込んできたのは鋭い光を放つ漆黒の瞳だった。黒に映えた、濃紺の軍服すらも凌駕するほどの暗闇。

快楽で、暴力で、力で、権力で、相手を縛ることなどできやしないのに。

長い時間をかけてスープを全て飲み込んだ頃には、疲れ果てていた。しかし、まだパンが残っている。もう無理だと訴える胃を気力でねじ伏せ、小さいながらも存在を訴えてくる茶色い固形物に手を伸ばす。残りはこれだけだ。

柔らかなそれを手に取ると、ガタンとテーブルが揺れた。反射的に身体が震えてしまって、そんな自分に恥ずかしさを覚える。マスタングと会う時はいつだって、何をされても何を言われても意思のない人形のように振舞おうと思っている。けれども、身体はいとも簡単にそれを裏切る。初めて犯された時、初めて殴られた時、初めてキスをされた時、初めて気を失った時、初めて、初めて、と。全ての記憶が、精神をも凌駕する濁流となって押し寄せる。

何か、粗相をしてしまったのだろうかと、緊張する。しかし予想に反して、マスタングは立ち上がっただけだった。何事かと見ていれば、彼はそのまま何も言わずドアをあけ部屋から出て行ってしまった。

ほっと息を吐き出しながら、マスタングの後ろ姿を追う。別室に入っていくのが見えた。そこで、がたがたと何かをしている。男の行動は全くもって理解不能だが、これは、チャンスなのではないだろうか。マスタングはまだ出てこない。閃いた衝動のままに、手に持っていたパンを椅子に掛けていたコートのポケットに詰め込んだ。もう胃は限界を訴えている。食べ終えた事にして帰る策はこれしかなかった。

それからほどなくしてマスタングが戻ってきた。手に持っていたのは、どこからどうみても。

「なんだそれ」

冗談じゃない、そんな気持ちを込めて吐き捨てても、マスタングは怯まなかった。

手際よくエドワードの手を取り、用意した薬を塗り、包帯を巻いていく。痣にまみれていた手首が、だんだんと白い布に覆われていく。

「やめろっ、て」

「拒むな」

「いっ」

ぎっと握りしめられ痛みに顔をしかめると、マスタングは一瞬止まった。顔を見れずに視線を下げていると、今度は力を少し緩め、妙に優しげな手つきで手当をし始めた。性的なものを感じさせない手つきだけれど、やはりマスタングの手のひらに触れられているという嫌悪感と怯えで身体が固まる。

それに、今までこんな事をされた事がなかったので、どういう顔をしていいかわからない。頼んでもいないのに、正直迷惑だ。男の大きな手のひらに、エドワードの細い手首はすっぽりと収まる。本気で掴み上げられれば折れてしまうのかもしれない。それぐらい差があった。

エドワードが固まっていると、マスタングはふと、手を止めた。

「腫れているな」

誰に向けた言葉なのか、ぽつりと落とされた言葉。顔をあげれば、静かに揺れるマスタングの瞳がじっとエドワードの手首を見つめていた。その表情はいつもと変わらない。相変わらずの無表情だ。何を考えているのかもわからない。後悔しているわけではあるまい。ただ、どうやらマスタングも自分の発した言葉を拾いあぐねているようだった。

ただじっと、エドワードの手首に親指を這わせている。撫ぜるでもなく、ただ静かに。

「……は」

面白くもないのに、笑いが込み上げるのはなぜなのだろう。

「……誰のせいだと、思ってんだ」

顔を背け小さく吐き捨てると、以外な事に男は笑った。いや、笑ったように聞こえた。「私だな」と、落とされた声は弱々しく、どこか嘲りを含んでいるように感じた。

混乱する。どうして、そんな。マスタングのこんな声、初めて聞いた。

「君が、拒むからだ」

―――小さな困惑は、一瞬で怒りに変わる。

掴まれていた手を思い切り振り払う。半端にまかれた包帯の先がはらはらと零れ、腕にぶつかった赤いカップが鈍い音を立ててテーブルの上から落下した。

かしゃんと、小さな音が響く。ここからは見えないが、カップはきっと割れた。

「アンタ」

水をうったような静けさと息苦しさの中、声を絞り出す。怒りで今にも爆発しそうなのに、静かな声を出せる自分が不思議だった。朝から感じていたどす黒い何かが、ぶわりと心臓の奥底からあふれ出す。力を入れたせいで、足元に転がったであろうガラスの破片を踏んでしまった。

「アンタ、頭おかしい」

痛みを、目の前の愚か者にぶつける。マスタングの頬が、さらに歪んだ気がした。

「……誰のせいで」

耳を疑った。この後におよんで、この男はまた。

「オレだって、言いたいのか」

どうしてアンタは、オレにだけ。いつもいつも、そんなに冷たい目を。

他の人には優しくするくせに、オレにだけ。

「オレだって、言いたいのかよ」

しんと、張りつめた空気は以前として朝日の中に漂っていた。マスタングがじっと此方を見つめてくる。

何かを探るような、それでいて、憐れむような。怒りのせいなのか、身体が震えている。この震えはきっと、空気を通してマスタングにも伝わっているのだろう。そう思えるほどに静かな、静かな食卓だった。

小鳥の囀りすらも、聞こえない。

「君は、可哀想だな」

脈絡のない会話。それでも男の中では全てが繋がっているようだ。自嘲気味に歪められた口元のまま、こちらをじっと見つめてくる瞳は、あっという間に熱を帯びた。まるで、いつもの情事の時のような。

「私なんかに」

ぎらりと光る漆黒。このまま、覆いかぶさって来そうな圧迫感だ。後ろに引きそうになる体を、ぐっとこらえる。

マスタングが起ちあがった。

「……ッ」

喉の奥から、悲鳴にもならない呼気がほとばしった。無意識にだ。

するとその瞬間、つい先ほどまで熱を帯びていた瞳は峠を越えたように穏やかになった。

いつもの、無表情に。

「私なんかに……」

いつもと同じ、いや、いつもとは違う。何かが。

真っ黒な瞳がこちらを見降ろしてくる。エドワードは逸らせない。まるでマスタングの深い瞳の魔力にかかってしまったかのように、身体が硬直して動かない。ゆっくりと、伸ばされる手。男にしては白く、しかし軍人らしく無骨な指先。避けることはできた。それでも避けられなかった。

「あ……」

その時、気が付いた。引き締まった指先に、短い赤い線がいくつもひかれていることに。

エドワードの頬に触れるか触れまいかのところで、いつもは容赦なくエドワードを蹂躙する指先が一度止まった。その動きを呆然と目線だけで追っていたエドワードは、小さく揺れる男の瞳に気が付かなかった。

そろりと、指先が頬にかかる。その優しい接触に、あまりの冷たさに、びくりと身体が震えた。

同時に、男もまた動きを止めた。じんじんと痺れるような冷たさが頬の皮膚から体の中に浸透してきて、一気に血の気が引いていくような感覚に陥る。顔を上げていられなくて、エドワードは視線をそらした。揺れる機械鎧がカタカタとうるさい。朝なのに、視界がけぶるような闇の中にいるみたいに薄暗かった。視界の端に砕けたカップの姿が映った。やはり壊れていた。赤いカップは無残にも取っ手が零れ落ち、欠けたままの状態で床に転がっている。

長い沈黙。頬にかろうじて触れていた冷たい体温が、消える。

「帰りなさい」

顔を上げれば、男はすでに身体の向きを変えていた。

「次こちらに来るときも、連絡を入れるように」

食器を片し始めた男。先ほどまでの永遠に続くかと思われていた緊張感は、消えることなく朝日の光の中へ霧散した。キラキラと零れ落ちるそれは何事もなかったかのように身体に降り積もる。しんしんと、しかし、雪よりも冷たくて、ぬるい。

一瞬のうちに、何も変わらぬまま、何かが終わった。

「それは、使うのであればもっていきなさい」

それ、手に不器用にまかれた包帯を見やる。こんなもの、つけていったらアルになんて言われるかわからない。手首の痣はなんとかコートと袖で隠す。これは、いらないものだった。けれど、いらないという事がなぜか憚られて、何も言えずに残りの部分をぐるぐる巻きにして適当に結ぶ。

適当にやったのにも関わらず、自分でまいた方が綺麗だった。

のろのろと、重い腰を上げ、椅子に掛けたコートを羽織る。ずきずきとした臀部の痛みは未だ体を苛んで歩きずらい。やっと帰れるというのに、だるい。此処には着の身着のまま来た。荷物はない。必要なのは身体だけだ。

一歩、足を踏み出すと、ぐらりと揺れた。コートのポケットにつめたパンと、腕に巻かれた包帯に気を取られた時だった。重くなんてないはずなのにどうして。がたんと、椅子に寄り掛かる。大きな音に驚いたらしいマスタングがふらふらなエドワードを見て、支えようとしたのか手を伸ばしてきた。

「――――触るなッ」

先程のだるさが嘘のように、鋭い声がでた。マスタングは、エドワードの悲鳴じめた叫びにピタリと動きを止めた。その瞬間のマスタングを見て、なぜだか、口が緩んだ。てっきり笑いがこみあげてくるものかと思ったが、溢れ出てきたのは叫びだしたい衝動だった。何を言いたいのかもさっぱりわからないというのに、やっぱり奇妙で、笑えてきた。それでも声はあげない。唇を引き結んで、痛む体に鞭打ち、静かに立ち尽くす男の側を通り過ぎる。足にかかったカップの破片が煩わしくて、払う。

廊下まで、身体を引きずるようにして歩く。途中で後ろから声がかかった。

「鋼の」

足を止める。後ろを振り返らないまま、エドワードは小さくあんだよ、と返した。

すると一瞬の逡巡の後、男は小さな声で言った

「パンは」

「……パン?」

「どうだった」

―――なんのことだかさっぱりだ。パン、それは今ポケットの中に突っ込まれている。食べる気もない。後でゴミ箱にでも捨てる予定だ。質問の意図がわからず男を見れば、なんとも不思議な顔をしていた。なんでもないように本人は装っているのかもしれないが、長年マスタングの難解な顔の変化を眺めてきたエドワードは直ぐにわかった。

微妙に逸らされている瞳、下から伺うような、困惑しているような、苦いものを食べたような。期待しているような。しいていうなら、不安げな顔。

「別にいつもと同じ。味しねぇ」

どんな言葉を期待しているのかは知らないが、食べてもいないのに適当な事は言えなかった。いつも砂を噛んでいるような味がするそれの感想を、正直に答える。

エドワードにきちんと視線を戻した男は、ふっと肩の力を抜いた。ように見えた。

「そうか」

一連の男の行動の意味がまったくわからない。しかし、何がどういう事なのか聞く気力もない。男が勝手に考えて勝手に結論づけて納得した事だ。エドワードには関係ない。

そうだ、もうここには用はない。帰るんだ。男から完璧に目を背け、玄関に向かう。

「鋼の」

再び呼ばれた二つ銘。この男だけが呼ぶ、エドワードの名前。マスタングの、狗である証。

扉の目の前で、足を止める。

「気を付けて、行ってきなさい」

―――眩暈がしそうだ。

後ろから掛けられたそれは、いつも出ていく直前に掛けられる言葉だ。普段ならば男の言葉を無視して出ていくのだが、今日は違った。先ほどの男の微妙な表情の変化を見たせいかもしれない。自分でもよくわからなかった。息を吸って、吐く。扉の取っ手を掴む手に力がこもった。

「はやくアンタにレイプされに、帰ってこいって?」

息をのむ音に満足した自分が、心底汚い物のように思えた。

男の返答は求めない。聞いてやるものかという気持ちを込めて、エドワードは乱暴に扉をあけ放った。扉を閉める瞬間、隙間から見えた男の顔に、ずしりと胸が重いものがのしかかったが渾身の力で逸らして、閉めた。

ばたんと、扉が閉まる。眩しい朝日が視界を覆う。

やっと、息が吸えた。




 

 

 

 

 

 









 

ゆっくりと、ゆっくりと、小道を歩く。まだはやい時間帯だからか、人はあまりいない。

犬の散歩をしている年配の女性とは何度かすれ違ったが、そのたびに驚いたように目を見張られ、はやく顔をなんとかしないとなと他人事のように思った。

大地に足を踏みしめるたび、腰も、尻もずきりと痛む。散々吸われた胸が、服に擦れるたびにぴりぴりと痺れる。頭が痛い。また、若い女性とすれ違った。自分と同じ金髪だった。その瞬間、女のように男に揺さぶられ喘いでいた自分がふと脳裏に浮かんで、ガツンとした急激な吐き気に見舞われた。

大通りに出た。慌てて路地裏に滑り込み、奥の方に駆け込む。

「ぅ、ぇ゛……ッ」

地面にびたびたと落ちてゆくそれを霞む目で見つめる。たまらない異臭の中にコンソメの匂いがまじって、さらに気持ち悪くなった。鼻の奥がツンと酸っぱい。目頭が痛い。泣くものかと気を引き締めていたのに人気がないことに安心してしまった。ぼたぼたと零れるそれは吐しゃ物の中にまじってすぐに見えなくなった。ずるずると、壁を伝い座り込む。それでも収まらない嘔吐感のまま、全部戻す。全てを吐ききった時には心底疲れていた。吐き気も未だ収まらない。この分じゃ、暫くは歩けないだろう。ゆらゆらと霞む視界の中荒い息をつき、自分が吐き出してしまったものを避けてふらふらと地面に座り込む。

路地裏の暗がりの壁がぼやけて見える。それが男の、マスタングが手を伸ばしてきた時の、あの揺れた瞳と重なった。

自分の、何がそんなに男を引き付けているのかはわからない。なにせ、自分は男と同じ性をもつ子供だ。しかも、年だって14も離れている。兄弟にしては遠く、親子にしては近い年齢。それは決して、恋人などと言う甘い関係になるようなものではないはずだ。

それなのに、マスタングはエドワードを欲し、執着する。

震えていたのだ。腫れた頬に伸ばされた指は、確かに。

―――知りたくない。

殺風景で気持ち悪いと、吐き捨てたエドワードに、わざわざエドワードの好きな色のコップを用意してきた男の心境など。

食欲がないと朝食を拒んだ時、じゃあ何なら口にすると問われ、適当に答えたコンソメスープ。それを律儀に作り続け与えてくる男の心境など。

手を上げてしまった後は必ず、わざと塩加減の薄いスープを出してくる男の心境など。

不器用な手つきで、一生懸命に怪我の手当をしようとする男の心境など。

指にいくつもの傷を負いながらも、慣れない料理をする男の心境など。

―――知りたくない。

散々貪りつくされ、気絶するように眠りに落ちる寸前、縋るように掻き抱いてきたマスタングの体温を思い出して、エドワードは頭を振った。

こんなの、望んだ関係じゃない。身体を差し出せと、命じられたからそうしているだけだ。嫌だと、拒む権利はない。弟の命と自分の身体、好きな方を選べと言ってきた冷たいあの男の顔も、忘れてなどいない。変わりだと言って、エドワードを求めてきた男の、顔も。誰が、誰の変わりなんだ。

エドワードが、マスタングの関係を持つ数々の女たちの変わりなのか、それとも。

それとも。

ふと、鳥の鳴き声が聞こえた。臥せていた顔を上げれば、灰色のぽってりとした大きな鳩が、そこにいた。くるる、と喉を慣らし小首をかしげる姿が愛らしい。それでも今のエドワードには何の気休めにもならなかった。ほうっておけばいなくなるだろう。そう思って相手にしていなかったが、その鳩がエドワードの出した嘔吐物に向かってきたことに焦った。

「ま、まて、まてっ」

こんなもの、ついばむものじゃない。鳩が塩酸に強い生き物だという事を思い出し、慌てて制止し追い払おうとするも、鳩は体を小刻みに揺らしながらついばむ機会を狙っているようだ。どうしたものかと思考を巡らせていれば、柔らかなものが腰にあたった。

「あ……」

躊躇してから、ポケットの中にあったものを取り出す。鳩は興味を示し近寄ってきた。ここらにいる鳩は人間に対する警戒心がないのだろうか。半分に分けて、細かくちぎって地面に放り投げる。鳩はよほど腹を空かせていたのか、白い固形物にむかってとととん、とくちばしを動かした。

「お前それ、うまいのか」

鳩はエドワードの問には答えず必死に食事にありついている。あっという間に食べつくして、さらなる餌を求めて体を揺らした。残りのパンも差し出そうとした時、違和感に気が付いた。

いつも、食べているパンとは少し違う。そういえば、確かなんだかいつもより歪な形をしているように感じのだ。最初にこれを見た時。なんというか、うまく膨らんでいないような。べたんとひしゃげている。ポケットに入れたからこうなってしまったのかとも思ったが、それにしてはなんだか固い。先ほどは機械鎧で触ったために気が付かなかったが、ためしに左手でちぎってみると、やはり固い、し、ベタつく。

いつもあの部屋で出されるパンは、近場にあるパン屋のものだと言っていた。ふわっとふくらんでいて中はさくっとしているのがウリだったと聞いていた。マスタングと肉体関係を結ぶ前ずっと前に、報告するために司令部にきた時彼が昼食にと買ってきたものを渡され、食べたことがあった。その時はとても美味しく感じられて、また食べたいと純粋な気持ちでマスタングに言ったのだ。懐かしい、昔の記憶。

作ったやつ、ヘタクソだったんだな。そう思って残りを鳩に差し出そうとした瞬間。

ぎくりとした。

今日、アイツの台所はやけに汚かった。テーブルもやけに粉っぽくて。まさか。

まさか、まさか、まさか。

「て……」

出されるパンは、あの頃は美味しかったはずなのに、いつも味がしなくて。

どうだと聞かれて、味がしない、美味しくないとこの前吐き捨てたのだ。マスタングに。

「て、づく、り?」

呆然と口にだすと、なんとも間抜けな言葉が地面に落ちた。

てづくり、自分で出した言葉のはずなのに、耳を疑った。嘘だろ、とも。それでも。

一拍の間の後。

エドワードは叫びだしたい衝動に駆られた。

身体の奥底にある臓腑を引っ張り出して、ここにはいない男の顔面に向かって投げつけたい。そんな、言いようのない熱い感情が身体の中を駆け巡る。

さきほど、椅子から立ちあがった時に感じた衝動。叫びだしたい何か。笑いだしてしまいそうな、奇妙な感覚。それでいて苦しくて、眩暈がしそうで、重くて、身体じゅうの血管が沸騰しそうで、頭を地面に打ち付けてしまいたくなるような激しい情動が。





 

ばかじゃないのか。

ばかじゃないのか。

ばかじゃないのか、ばかじゃないのか

―――ばかじゃないのか!!!!





 

たまらず、地面に投げつけた。鳩は急に叩きつけられたそれに驚いたらしく、一目散に飛び立ってしまった。

地面に転がったパンを、見ていられない。ただの、小さな固形物の塊なのに、見ていられない。地面に縋る様に顔を伏せた。

『どうだった』だなんて、馬鹿じゃないのか。

食べる気なんてなかった。あとでゴミ箱に突っ込むつもりだった。

エドワードの反応が怖くて、伺うようにこちらを見つめてきた黒い瞳。

困惑しているような、苦いものを食べたような。期待しているような。しいていうなら、不安に揺れている表情。

『別にいつもと同じ。味しねぇ』あじがしない、なんて、まずい、よりも屈辱的な言葉だ。

ふっと肩の力を抜いた。ように見えたマスタング。安心したのだろうか、まずいと言われなくて安心したのだろうか、それとも美味しいと言ってもらえなくて悲しい想いをしたのだろうか。食べてもいないのに、適当な言葉を言っただけなのに。どちらにしたって。

こんなの、ばかのすることだ。


 

―――知りたくない。

美味しいと一度だけ言った言葉を覚えていて、同じパンを食卓に並べてくる男の心境など。

―――知りたくない。

触るなと叫んだ時、傷ついたような顔をした男の心境など。

―――知りたくない。

去り際に吐き捨てた最大級の嫌味に、寂しそうにこちらを見つめていた男の心境など。

ぎゅっと、強く拳を握りしめていた男の心境など。

いつになったら飽いてくれるのか、いつになったらこんな意味のない行為から解放してくれるのか、その答えの全ては、きっと。

この冷たい、ひしゃげたパンの中につまっているのだろう。

ばか野郎、ばか野郎。

とんでもないばか野郎だ、アンタは。

顔をあげる。砂のついた哀れな固形物が、自分の吐き出した吐しゃ物の隣にポツンと落とされていた。ずるりと足を引きずり、それを掴む。見れば見るほどヘタクソだ。

生身の手で、ちぎる。緩慢な動作で、口の中に含む。

やはり、パン本来の味はしなかった。やけにぱさぱさしているし、固い。エドワードのせいでもあるが、作り手の問題だろう。あの男は、壊滅的に料理がどへたくそだ。

それでも、それは自分の口内に溜まった胃液とわずかなコンソメと混じって。




 

じゃりじゃりとした、砂の味がした。






 

 

 


 

 

召 しませ 愛 を



 

 

 

 





 

今頃マスタングは惨めに、エドワードが壊したカップをかたずけているのだろうか。

エドワードのために買ってきたそれを。

粉にまみれたテーブルの上を、ふいているのだろうか。

「​……まっず」

エドワードのために、また赤い色のカップを用意するのだろうか。

「……オレの、ほうが絶対料理うまい」

​酷い臭いが充満するこの路地裏で、一人きり。

解けてしまった包帯が、ぱさりと路地裏の地面に、垂れる。

痣は、先程よりも濃い紫色になっていて。震えるような痺れがじんじんと染みてくる。

もう目もあけていられない。

「痛えよ、ばか大佐」








 

憎ませてくれよ、頼むから。

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