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切り裂いジャック

 

 


「君は私が好きなのかい」
熱っぽい視線が気になっていた。どれだけ他人に自意識過剰と言われようと、悪いが他人の好意には慣れているし、敏感だ。自分に焦がれている女の視線はすぐわかる。しかし、それはあくまで「女」に関してだ。今までの軍人生活の中で自分に告白してきた同性はいない。士官学校にいた時はやはり男所帯ということもあってか童顔な自分はそのような趣味の輩に目をつけられることもあったが、持ち前の処世術でなんなくすり抜けてきた。危ない時もあったが。にしても、同性からの好意ほど煩わしいものはない。それが、だ。
もしかしたらと、馴染みはあまりないがかつてと同じようなぬるい視線に確信めいたものを持ってしまった。まだそうと決まったわけではなかったがついつい確認をとってしまったのは、そんなわけないと鼻で笑ってほしかったからだ。そうすればこちらもいつもの人をくったような笑みを浮かべて、「それはすまなかったな」などと悪びれず言えたというのに。
そうであってほしかったのに。
そんな淡い期待は、すぐさま打ち砕かれた。他でもない目の前の子供によって。
「ああ、好きだ」
迷いのない声だった。なんの前触れもなく急に暴かれたであろう心情を前にしてかの少年は冷静だった。いや、今思えば冷静なのではなかったのかもしれない。いつものようにそんなわけあるかと真っ赤になって怒鳴り返すこともしなかったのは、突然の出来事に対応しきれなかったからなのかもしれない。大人びているとはいえ、少年はまだ子どもだった。けれどもその時の私には、その子どもの変声期前の独特の掠れた声色が、どうしても。
「……気持ち悪い」
小さく零れた声は少年の耳に届いた。きゅっと引き結ばれた口許は声を紡ぎ出すこともせずに、睨むように、それでいて紳士にこちらを見つめていた。その顔色に余計に腹がたった。
この少年のことは気に入っていた。稀有な存在。傍若無人でまだまだ幼いが、聡明で。彼と対等に錬金術について語り合うのは楽しかった。生意気なことをいいながらも自分と張り合おうとする少年の存在はあたたかいものだった。息子のように、弟のように思っていたわけではないが、確かに、可愛がっていたのだと思う。
だからこそ腹がたった。まさかこの少年も自分のことをそんな目で見ていたとは。士官学校時代に感じたあの無遠慮な視線と同じものを向けてきていたとは。同性の身でありながら自分と抱き合うことでも考えていたのだろうか。
「悪いが私にはそんな趣味はない」
焔のついた目だと称賛したかつての瞳が、その時は得体のしれないものに見えた。
「同性を抱くだの抱きたいだの、変態じゃあるまいし」
裏切られたと思ってしまった。軍という殺伐とした空間の中で可愛がっていた子供に、性的な目でみられていたという屈辱と嫌悪が溢れだして止まらなかった。

「―――勘弁してくれ」
沈黙は、少しだったと思う。
こちらをじっと見つめていた瞳は一瞬閉じられた。瞼の裏で彼が何を考えていたのかなんてわかりもしない。わかりたくもなかった。すっと瞼をあげたそれは静かに凪いでいた。溢れ出るこちらの怒気の全てを、受け止めるかのように。
「……悪かった」
たった一言。彼は頭を下げ、丁寧に軍礼をして去っていった。

 


きっと盛大に傷ついているのだろう。それでも自分が悪いとはこれっぽっちも思わなかった。

もしかしたら彼は気持ちを伝えずに墓場まで持っていくつもりだったのかもしれない。それをずけずけと暴いてしまったのは自分だ。それでも自分の中で悪いのは少年の方だった。あんなことを言ってくる彼が悪い。

好きなわけあるかといつものように暴れてくれていたらよかったのに。そうしたら、見なかったふりをして溢れかえる憎悪の気持ちに蓋をして今まで通り、とまではいかないだろうが少なくとも今までと同じように接することができたかもしれないのに。何度も言うが少年の事は気に入っていたのだ。これからももっと関わっていくつもりだった。硬度な錬金術の話をしながら。もう少し成長したら酒を飲み交わしながら。だというのに、少年が本音を曝け出してきたせいで全てがおじゃんになってしまった。思い描いていた、少年との未来の関係と情景が。

やはり、悪いのは少年のほうだった。

あの子がわるかった。
悪いと、ずっと思っていた。

 

 

 

私が―――彼に恋をするまでは。

 

 


「好きだ」
と、前に彼にされた時と同じセリフで告白した私を、彼は黙って見つめていた。あの頃よりも少し伸びたら背、鍛えられた骨格。彼の幼馴染の少女の背は追い越したと聞く。かつて少年だった子供はあと数年もすれば青年になるだろう。成長する過程を近くでみてきた。みてきたからこそ、この数年で私は彼に恋をした。かつて自分が彼に投げつけた言葉を忘れないままに。彼はあれ以来私には普通に接した。これまでと変わらぬ関係をと、望んだ。だが私は彼につらくあたった。存在を無視した。その甲斐あってかあれだけこちらを見つめていた視線はぱたりと止んだ。だからなのか、今度は私が彼の姿を視線で追った。今まで背中に突き刺さっていた視線がない事がどこか寂しかった。発端はそんなものだったのかもしれない。けれど大きくなってゆく背中を追って追って追って追って、追い続けて、いつのまにか彼が好きになった。その頃にはもう、彼がこちらを見ることは一切なくなっていた。

「コイツ、捕まえたんだけど」​

「ご苦労だった、好きだ」

「憲兵はまだ?」

血塗れの彼は同じく血塗れのまま床に寝そべる中年の男を指差して言った。巷を騒がせていた連続殺人鬼だ。しかも標的は10代の子ども。10代にならない幼児もいた。しかも殺された少年達は全員性的暴行を受けていた。死体は局部を切り取られ捨てられていた。腹の中身を抉り取られた子どももいた。最初の被害者が行方不明になった場所が「ジャック通り」だったことから「ジャック事件」と名付けられた本事件の被害者は10人程。むごい事件だった。白羽の矢がたったのは見目麗しくいかにも少年じみていてまだ小さいと言っても過言ではない彼だった。いわゆるおとり捜査。敵はあっと言う間に捕まった。そして私は、彼が犯人を殴り倒す一部始終を見ていた。

「憲兵はもうじき来る。鋼の、私は君が好きだ」

「何ふざけた事いってんの、別にアンタをコイツと同じような目に合わせたりしねえって、安心しろよ」

犯人を追いつめていた彼の顔は凄いものだった。憎悪を剥き出しにして変態殺人鬼を殴り倒していた。犯人が抵抗を止め、意識がなくなるまで。なくなっても。鋼の右手で、何度も何度も何度も何度も何度も。

『きもいんだよ』

『この変態が』

『アンタ男抱いて殺したのか、なあ』

『消えちまえ』

彼は、殺された子ども達の死体のいくつかを見た。切り取られた部分に拳を握りしめていた。子どもを自分の快楽のために無残に殺していった犯人を許せない。そんな憎悪を拳に乗せて殴り倒していた彼の行動にはなんら不思議なところはない。疑問もわかない。いやって普通の感情で、制裁だ。おかしいところなどどこにもない。誰もがそう思うはずだ。彼の行動を見ていたのが、私でなければ。

辺り一面に血が飛び散り真っ赤になるまで。止めに入ったわけではなかったが、コツンと靴を慣らしてしまった私の存在に気が付いた彼は何事もなかったように男を床に投げ捨てた。そんな彼の行動を目にした瞬間、つい自分の気持ちが漏れ出てしまった。衝動だ。本当に無意識だった。

「そんなこと思っていない、ただ言いたかっただけだ。君が好きだ」

「憲兵はいまどこ?」

「好きだ、鋼の」

「だから、アンタをどうこうする気なんてねえって。なに、ビビってんの?何年前の話だと思ってんだ」

「違う、君のことが好きになった。もう1年くらい前から君が好きだ」

びくびくと痙攣する犯人。憲兵はまだこない。当たり前だ、まだこの場所を伝えていない。惚れている子どもが危ない目にあっていると思うといてもたってもいられなくて副官に指揮を任せて現場に赴いてきたのだ。ここにいるのは私と血まみれの少年とクズの3人だけだ。このまま放っておくとクズは死ぬかもしれない。けれどもそんなことはどうでもよかった。子どもが先程までの無表情を崩し、​けらっと笑ったからだ。
「アンタがオレを好き?」
「ああ」

「マジなの?」

「こんなところで嘘を言って何になる。本気で君に惚れている」
「はっ」

けたけたと笑った少年は壁に背をついた。壁に飛び散った血が赤いコートにつく。しかし同色に近いため見えなかった。殴っていたのは感覚のない右手。返り血なので痛みはないはずなのに、とても痛そうに見えた。

「ははっあははは、マジなの?気持ち悪い」

「鋼の」

彼が浴びた返り血も、黒い服に染み込んで見えなかった。わかるところは拳と、口角の上がった歪んだ頬と、金色の髪にべったりと張り付いた血だけだ。本当はもっと血にまみれているはずなのに見えなかった。気が付かなかった。今も、今までも。彼はもうずっと何年も、見えない傷を抱えて生きてきたというのに。

きっと、感情を表に出していなくても、すっと瞼をあげたそれが静かに凪いでいたとしても。溢れ出るこちらの怒気の全てを受け止めて痛くて痛くてたまらなかっただろうに。

私は最後まで見ないふりをした。悪いのは少年だと、彼を、彼だけを悪者にして。被害者面をして。

加害者であることなんてこれっぽっちも。

「オレのこと抱きたいって?抱かれたいって?変態じゃん」

少年が死にかけたブタを蹴った。それは呻き声を上げながらごろごろと床を転がってぴくりとも動かなくなった。遠くからカツカツと革靴の音が聞こえてくる。憲兵だ。

「鋼の、私は」

「勘弁してくれ」

すっと瞼をあげたそれは静かに凪いでいた。こちらのあふれでる悲しみの全てを受け止めるかのように。

 


「アンタが言ったんだよ……」

 

 

くしゃりと歪んだ顔は血にまみれていて見れたものではない。

知らなかったわけではない。ただこの数年の月日の中で彼の中でこれは昇華されたものだと思ってしまっていたのも本当だ。彼は私にどんなに無視されようと、いつもと変わらぬ態度で私に接してくれていたから。

私は彼を、避けていたけれど。

手を伸ばして抱きしめたかった。だが、一歩進んで手を上げたところで「マスタング大佐」と声をかけられて思いとどまった。憲兵が到着した。気が付かなかった。

救護班が犯人の周りに群がる。どうやら息はあるらしい。どうでもよかったが。

送れて到着した副官が慌てて少年の元へかけよった。どうやら怪我をしたものだと思ったらしい。返り血だよ、大丈夫と困ったように笑った少年はいつも通りだった。

私だけだ。たち竦み、血にまみれたあたりを見つめることしかできなかったのは。

すれ違った瞬間、小さな声でさようなら、と呟いた少年に、振り向くこともできなかった。

金髪の彼の手柄はすぐさま新聞に取り上げられ、彼はかつてと同じように民衆に味方する軍の狗として名を馳せた。

そして彼はまた旅立った。弟と共に。

人々を恐怖に陥れた「ジャック事件」はこうして、幕を下ろした。

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