top of page

わかっていたのです。

ここに魂がないことなど。

 

ざくざくと砂の絨毯に足を突っ込みながら深夜に歩くこと数刻。

鬱蒼と茂る森を抜けたと思ったら今度はこんな視界が広がっていてげんなりした。ただでさえ色々あって疲れているというのにこれは堪える。次の街の明りは遠くもないが近くもない。広がる砂漠地帯が距離感覚を損なわせているのだろうか、どちらにせよ夜通し歩いたとしても明日までかかるだろう。

こんな寒々とした所での野宿は現実的ではない。夜は冷える、歩くしかない。少し後ろを歩く弟は何も言わない。エドワードも黙々と歩く。話すことがないわけではない。むしろある。ただ、今は次の街にたどり着くことだけに集中したかった。

 

わかっていたのです。

ここに魂がないことなど。

 

赤い呪文で、死んだ人間が生き返るという噂を聞きつけ立ち寄った森に大きな洋館があった。そこに住んでいたのはからからに乾いた一人の年老いた女性だ。この手の噂には何度もしてやられた。今までの経験上、大方この女性が何かよからぬ行為を働いているのだろうとは思っていた。そしてそれは予想通りだった。

森に迷い込んだ人間を取っ捕まえて殺して血を抜き取り、その血を死んだ息子の口にせっせと運んでいた。物言わぬ、骨と皮だけになったミイラに綺麗な洋服を着せて、おもちゃを周りに敷き詰め、慈愛に満ちた眼差しで腐敗し過ぎて固まった頬を撫ぜながら。

この血がダメなら次はあの血と、とある一室に遺体を保存し、何度も何度も、生き返ることを願って。

 

わかっていたのです。ここに魂がないことなど。

 

そう慟哭し項垂れた女は狂っていた。完全に予想通りだった。ただ一つ今までの事件と異なっていたことは、駆け付けた憲兵に女性が捕らえられた際に、彼女がエドワードを──エドワードの隣に佇むアルフォンスを見上げて放った一言だけだ。

 

なのにどうして。貴方は。

 

消え入りそうな声は儚く今にも崩れ落ちてしまいそうだったのに、エドワードの体の奥底に激しい熱量でもって叩きつけられた。女性の虚ろな瞳の奥には、焦がれるような希望と、確かな羨望と、激しい嫉妬が渦巻いていた。

彼女の目の前には、死に一度は引きずられながらも戻ってきた魂が輝いている。

肉体から分離し、歪な鉄の塊に定着した魂が、彼女の前にある。

 

わかっていたのです。

ここに魂がないことなど。

なのにどうして、貴方は。

 

女性の震える手がアルフォンスに向かって伸びた所で、ようやくエドワードは思考を取り戻した。弟の固い腕を咄嗟に掴みあげ背に庇い、逃げるように部屋から飛び出した。

あの淀んだ、純度の高い瞳の前にこれ以上大事な弟の姿を晒すことはできなかった。エドワード自身が、彼女を直視することができなかったのかもしれない。

エドワード達は女性の処遇を憲兵たちに任せて、直ぐに森を後にした。留まることは選択できない。はやく次の街に行かねばならなかった。

 

「兄さん」

「なんだよ」

「変なこと考えてない?」

「考えてねえよ」

ざくざくと砂を踏みしめて歩く。森を抜けてからアルフォンスに声をかけられたのは、これが初めてだった。

「アル」

「ん?」

「愛してるぜ」

「やっぱり変なこと考えてたんじゃん」

「うっせえ」

後ろを歩く鎧姿の弟は、ぎしりと肩を軋ませて。

「うん、僕も」

直ぐに想いを返してくれた。今アルフォンスはほほ笑んだのだろうか、顔が見えないからわからない。見えたとしても、きっとわからない。自分たちの足音を、存在を確かめるように二人して歩き続ける。

 

わかっていたのです。

ここに魂がないことなど。

なのにどうして、貴方は──貴方だけ。

 

一息ついて顔を上げる。大きな月が見えた。

ズルい、ズルい、ズルい。あの場にいれば続いていたであろう彼女の呪詛にも似た台詞が頭に響いている。

願いというのは不思議だ。まるで月のようだ。音もなく静かに頭上に佇んでいる。明るい世界をさらに輝かせる太陽ともどこか違う。

願いを求めて彷徨えば、先の見えない暗闇の中誰の頭上にも月はある。全ての人間の足元を淡く照らしてくれる癖に、月は誰のものでもない。優しくて冷たい。手を伸ばしても届かない。死者は蘇らない。平等ではない世界で、月だけは常に平等だ。

月は不思議だ。まるで祈りのようだ。

 

他の人間よりも僅かばかり錬金術の才があった。だから身勝手に禁を犯して、持っていかれて、力づくで奪い返して、今もなお全てを取り戻そうと足掻いている。そうできない人たちがこの世の中に沢山いるということを理解しても、尚。

自分たちは、他者のために立ち止まることはせず、自分たちのためだけに、望みを追いかけ歩き続ける。立ち止まることはできない。

こんな寒々とした所での野宿は現実的ではない。夜は冷える、前に進むしかない。

「ほら行くよ、兄さん」

とん、と背中を押される。いつのまにかアルフォンスが立ち止まっていたエドワードを追い抜き、前を歩いていた。

煌々とした月明りが、目の前を歩く金属を照らしている。エドワードは目を細めた。手を伸ばせば届く距離に、最愛の魂がある。失わなかった、エドワードの唯一が。

「ああ」

 

 

わかっていたのです。

ここに魂がないことなど。

なのにどうして、貴方は。貴方だけ。

──オレたちだけは。

 

はやくこの寒い砂漠を越えてしまいたいと、切に願った。

bottom of page