『傍によるな』
胸をかきむしるような想いは、目の前の少年には伝わらない。わかっている。
だから私は、いつものようにドロリと淀んだ感情を持て余す。
『触るな、離れろ』
何度も何度も、呪組のように。膿んだ言葉を吐き続ける。
金色の猫のような髪に、触れられる指先。ポケットに忍ばせた発火布を握りつぶす。
見知らぬ少年のその指を、炭にしてやれればどれほど楽だろう。しかしそんなことをするつもりはない。
理性のぎりぎり、波打つ水面はゆるやかな波紋を立てるだけで溢れない。今は、まだ。
『その子は、私が見つけた』
虚ろな壁に、焔を灯したのは私だ。その義足に、口づけたのも。
『私が暴いた』
愛しい子供を包み込む黒をはぎ取り、白く強張る肌を、赤く甘くしならせたのも。
『私が抱いた』
奥の奥まで侵入し、穿てば穿つほどうねる内部を隅々まで犯し、私を刻み込んだ。
私という存在を植え付け、受け入れさせた。3年だ。3年かけて私が、君がそれを望むように仕込んだ。
でも、まだ足りない。
『私のものだ』
絡みつく足も。背を、かき抱いてくる腕も。
『私だけのものだ』
生意気に尖り、愛らしい声を紡ぎだす唇も。
『いやだ』、誰にも。
『よるな』、誰にも渡さない。
『返せ』、その心、少したりとも。
『奪うな』、私以外の、誰のものでもあってはならない。
『頼む』、私の子供を奪うのであれば、それがたとえ子供自身であっても。
『奪わないでくれ』
私を殺す、敵だ。
「よ、大佐!わり、話し込んじまって」
気の合う友人のように、会話を続ける二人。実際のところ友人なのだろう。
旅先で出会ったんだ、と屈託なく笑う子供に、膨らむ膿。体の奥を腐らせる酷い臭いを、笑みで封じ込める。
だから、子供は気が付かない。私の知らぬ間に広がってゆく、続くもりに満ちた子供の世界を。
光も刺さぬよう、閉ざしてしまえたら、どんなに。
「やあ、鋼の。そちらの彼は友人かな?初めまして。私は──」
笑みを張りつけるのは、もう慣れたものだ。
子供はまだ、気付かない。
私が背に回した手のひらを、どれほど固く握りしめているか。
なあ鋼の。私が君の足に巻き付けた鎖は、心地いいだろうか。羽のように、軽いだろうか。
求めれば、求められ、求められれば、求める。触れ合えば、慈しみ合う。楽しさと安寧の中で、二人手を繋いで漂う。
それだけが愛の全てだと、君は思っているのだろうが。
朝日差し込むベッドの上で二人寄り添い合いながら、私が君の細い首を折れるまで絞めつけやりたいと思っていることなど、
君は知らないだろう。柔らかなベッドの上が愛の全てだと思い込んでいる、世界を知らぬ子供の君には。
想いの差が見えてしまう、こんな瞬間が許せない。
私以外に笑みを向ける、その顔を殴りつけたくなる。鼻血が出るまで手を上げれば、君は私の色に染まってくれるだろうか。
───そんなこと決してできやしない。そう思っている私が、過去のものとならないように。
早く、気が付いてくれ。私が、鎖の重さに気づかぬ君に業を煮やし、蝋で固めた翼を、燃やす前に。
君が、飛び立とうと羽を広げた瞬間、その鎖の重さに気が付く前に。
その鎖を、持ち前の清廉さと勇気で、振りほどいてしまう前に。
飛び立つ君の大きな羽めがけて、私が指先を擦りあげる前に。
地面にたたきつけられた君の足を、灰にする前に。
君が私に向けてくれた笑顔も恋心も慈しみも全て、私が焼き尽くしてしまう前に。
太陽にすら、君は渡せない。君は、私の焔に包まれる。
私の焔で、君は死ぬ。
きっと、子供の陳腐な恋愛に付き合っている暇は、もう直ぐでなくなる。
だから私は、去ってゆく君の友人とやらの背を、優しく見守る君の横顔に絶望しながら、願いのキスを送る。
こんなところで、と怒り、突然のキスに驚きながらも、私の唇を食んでくれる君に、愛情と憎しみを込めて。
「愛しているよ」と。
なあ、エドワード。
その足に巻き付けた鎖に、君がいつか気が付いたなら。
その錆びた鎖に熱く口づけてほしい。どうか、許してほしい。
キザ野郎と照れ。細められた目に募る私の願いが、潰える前に。
イカロスの敗因、
飛び立とうとしたこと。
だから、はやくきづいて。