アイスティーに溺れた。。。。........
「鋼の」
「あん?」
「頼みがあるのだが」
「……頼み?」
男らしからぬ物言いに、オレは眉根を潜めた。何かうすら寒いものが背筋を這いずってきたような気がする。オレは、ゆっくりと手にしていた本を机に戻し、指令室の机でふんぞり返っている(オレ視点)上司に視線を投げた。マスタングは、いつもとなんらかわりはない柔和な笑みを浮かべてオレを見ている。つまり、胡散臭い笑みだ。
「何を企んでやがる」
「酷いもの言いだな」
マスタングは部下のぞんざいな、一歩間違えれば不敬罪として訴えられても文句の言えない口の利き方を気にする風でもなく、優雅に足を組みなおした。その威厳すら感じられる様はどこぞの帝王のようで、そんな風に思ってしまった自分の思考すらも気にくわなくて舌打ちする。
「当たり前だ。あんたに頼み事されて何もなかったためしがあるかよ」
マスタングは器用に片眉を釣りあげて、口角をあげた。誰もが目を奪われるように妖艶な笑みに、体のいたるところに染みついた警戒心がざわめく。嫌な笑みだ。この腹黒い微笑みに何度泣かされたことか。
「おや?私は君に何度か頼みごとをしてはいるが、あれは君の同意があったからだろう」
エドワードの恨み言を受け流し、頬杖をつくマスタングは本当に忌々しい。
「なにが同意だ!ことあるごとに秘密をばらすって脅してきやがって!」
―――鋼の、頼む。そんな愁傷な台詞を使いながらも、その実それは逆らうことのできぬ命令だった。時には電話も碌に使えないような山奥に飛ばされたり、またある時は司令部に立ち寄ったのを良いことにガラの悪いテロリスト達をふん縛る手伝いをさせられたり。まぁ軍の一員として市民を守るために駆り出されるのは仕方のない事だとは思えるが、きったならしい書庫で本の整理なんて雑用を押し付けられたりするのはどうかと思った(案の定埃まみれになった)(大佐はそんなオレをみて微笑んでいた)。お茶くみなんて問題外だ(死ぬほどクソまずいコーヒーを入れてやった)。もう使われていないトイレの掃除も意味がわからない(めちゃくちゃ臭かったし臭いが暫くとれなかった)。さらに言えば、最近あった事で一番腹が立ったのはあれだ。すぐにでも立たなければいけないと先に伝えておいたのにも関わらず脅迫状が届いてるだとかなんとかで足止めを食らい、好きに動けと明らかに大勢の敵陣の中に放り込まれたあげく実は囮として使われていたことだ。あれにはかなり堪忍袋の緒が切れかけた。疲弊し青あざだらけで汗まみれになって地べたに転がるオレを覗き込み、『君なら大丈夫だと思ってね』と悪びれもせずしれっと笑うマスタングを、戻していなかった鋭い右腕でぶっ刺そうとしたのを弟に止められなければ一体どうなっていた事か。今頃オレは上官殺しという大罪で銃殺刑だったかもしれない。とにかく、一つ一つあげればきりがないくらい、マスタングの「頼み事」(という名の脅迫)には酷い目にあわされているのだ。そりゃあ、自然と警戒心も強くなるというものだろう。
「私もこのくらいの地位になると、猫の手も借りたい程忙しくなる時もあるのでね。なに、君を信用しているからだよ」
心にもない言葉を鼻で笑い飛ばす。信用されているだって?冗談じゃない。手駒としていいように利用されているだけだ。というか、今かなり失礼なことを言われなかったか?オレの戦力は猫と同レベルだと言いやがったのかこの野郎は。
「はっ、アンタの口から信用してるなんて出ても胡散臭いだけだ」
「尊敬すべき上官から褒め言葉を頂いたんだ、素直に受け取りたまえよ」
「だ、れ、が!尊敬すべき上官だ!馬鹿な事言ってないでさっさと報告書読め、そしてオレを解放しろ」
急くような気持ちを、隠すこともなく乱雑な言葉に乗せる。明日、オレはアルフォンスと共にまたイーストシティをたつ。今日はこの後図書館で、新しく論集に乗った論文を読み漁ることに時間を費やすつもりだ。一秒たりとも時間を無駄にすることはできない。貴重な時間を、こんな意地の悪い上司のために費やすなんてもってのほかだ。
「せっかちだな」
やれやれ、と椅子に背を預けたマスタングの顔は、嫌味なくらいに整っていた。そんなところにも腹が立って仕方がない。別に、他人の顔の美醜などには興味はないけれど、マスタングの軍人らしからぬ端正な顔立ちに盛り上がる女性軍人や町中で語り合う女性達を見ていると、乱入してこの男の本性を洗いざらいぶちまけてやりたくなる。
みなさーん、ロイ・マスタング大佐は実は腹黒くて部下をこき使いまくる最低な奴ですよ!
あと女関係激しすぎて色んな処に唾つけて歩いている節操なしですよ!騙されてはいけませんよ!馬に蹴られて肥溜めに落ちてしまえ!うんこまみれになれ!なんて、誰もいない部屋でぶー垂れながらベッドの上でジタバタしていたところを実は居た弟に見られてドン引かれていた事も記憶に新しい。いつのことだっけ。あ、昨日だ。明日の昼頃に司令部に来い異論は認めんと、有無を言わせぬ一方的な電話を切られた直後の事だった。
「アンタとくだんねえこと話してる時間なんて、オレにはないんでね」
「まあそういうな、頼みごとがあると言っただろう」
「はっ、アンタからの頼みごとなんてろくなもんじゃねえだろうけどな」
机においた本を再び手に取る。均一に並べられた活字。先日入手することのできた今は発禁処分となっている本だ。以前訪れた旧街で出会った老人から色々あって譲り受けたもので、古い文献の総集本とあって言い回しが古風めいていたり所々読みにくい箇所があったりとなかなか先に進まないのが現状である。
できることなら今すぐ図書館に籠ってこちらも読み進めていきたいところなのだが、軍属としてイーストシティに来れば東方司令部に来て上官に旅の報告をする義務がある。
縛られることもなく好き勝手に放浪することが許されている手前、その義務を怠ることはできなかった。どんなに上官と顔を合わせたくなくても。それに、そんな責任ない行動をとれば弟に怒られる。だからこそ、提出した報告書がマスタングにチェックされ終わるまで、ここで大人しく待っていたわけなのだが。
「どーせ、逃げたって嫌がおうにもやらせる気なんだろ。なんだよ、勿体ぶってないで早く言え」
「君がそんなに物わかりがいいだなんて知らなかったよ」
「うるせえな」
別に、物わかりがよくなったわけではない。どうせ逃げたとしてもこの男に捕まってしまうのが目に見えているだけだ。前なんて、各地を転々とするオレを捕まえるだけに口座を止められたこともあるのだ。その時はあらぬ食い逃げ疑惑をかけられて急いで口座に駆け込んでいた時だったので焦りに焦った。命じられた視察は大きな事件に発展し、無事に問題を解決できたからよかったものの、もしもくだらない案件だったら怒髪天を付いていたことだろう。
ともあれ、そんな上司だ。今日無事に逃げ回ったとしても、最悪権力を使われて明日の出発をキャンセルさせられる事態にもなりかねない。そんなこと、経験上身に染みついている。それならば、さっさとこの男の頼みごとやらを終わらせて次へ進んだほうがよっぽど効率的だ
「暫く見ないうちに随分いい子になったじゃないか鋼の。なるほど、子供というのは成長がはやいものだな。それにしては身長のほうはさほど」
「そーか、喧嘩売ってんだな?買うぞ」
もー、落ち着きなよ兄さーん、なんて柔らかな弟の声が脳内で聞こえた気がしたが無視する。本を乱暴に机に置いて、きざったらしい男の顔に向かって指を突き付ける。人に向かって指を刺しちゃいけませーん、なんて冷たい弟の声がまたもや聞こえた気がしたが脳内から蹴り飛ばす。許せ弟よ、今この場でこの男との決着をつけることが、オレにとっての最優先事項だ。
「君が指を突き付けてしまうほど、私はいい男かね」
「鏡見てから言え」
「毎日鏡を見ているから言っているんだ。それに、如何せんモテるからね私は」
「ぐッ……」」
困った困ったと髪をすくマスタングの自意識過剰っぷりに、指先がわなわなと震える。それがオレから見ても真実であるだけに、余計だ。本当にこの男、いっぺん手を出してきた女達にぼこぼこに殴られてしまえばいいのに。
「……さて鋼の」
ふと、空気が一変した。マスタングが椅子を鳴らしてゆっくりと立ち上がったのだ。
「あんだよ」
「私が今から君に頼むことは、私情だ」
「はい?」
すっと、マスタングがこちらを見つめてくる。そのやけに真っ直ぐな黒い瞳に、たじろいだ。
「私情って、どういうこと」
「そのままの意味だよ、私は今から君に、個人的な頼みごとをする」
「個人的な頼みぃ?」
聞きなれない言葉に思いきり顔を顰めてしまった。
個人的な頼みごとだって?大佐が、よりにもよってただの部下であるオレに?
「個人的にアンタに頼みごとされるほど、アンタとオレって仲良かったっけ」
「君は、私を仲の良い相手だと思ってくれていたのかね」
「勘違いすんな。夜遊びのお断りの手紙なんか書きたくねえからな」
「そんなものは君に任せるでもなく自分でなんとかするさ、数が多くて困ってはいるがね」
全世界の男を敵に回すような発言だ。こんな発言してみた……いやいや、うらやましいなんて思っていないぞ、決して、断じて。これっぽっちも!
「へっ、大佐殿はおモテになることで」
ここにマスタングに彼女を取られたと毎回ふてくされる彼の部下がいたら例のごとく泣いていただろう。
「男の嫉妬は見苦しいぞ、鋼の。今度馴染みの女でも紹介しようか?」
「気味の悪い事言ってんじゃねえよ!」
執務室にあるテーブルを蹴るわけにはいかないので、地面に左足をだんっと叩きつける。それでもテーブルの上に置かれたグラスはゆれ、わずかに残っていたアイスティーが氷とぶつかり波紋を作った。馴染みの女、なんて、なんとも不健全な台詞である。思春期真っ只中の青少年になんてことを言ってくれるのか、この男は。やっぱりろくな大人じゃない。弟はよく彼女が欲しいとぼやいていたが、こんなろくでもない大人は絶対に見本にしてほしくない。兄さん、今度馴染みの女の子でも紹介する?なんて言われた日には卒倒しそうだ。なるべくマスタングには弟を会わせないようにしようと、オレは兄として心に誓った。
「さて、楽しい会話は此処までだ。本題だがね、鋼の」
さっさと言え、とぎらりと睨む。と、先ほどまで穏やかだったマスタングの顔が一変した。なんだ?急に雰囲気が変わった。ぎっと椅子に手をかけ、司令官の顔になった上官に思わず居住まいをただす。それほどの威圧感が、今のマスタングにはあった。
「今から私が言う事は、深刻な話だ」
「深刻な、はなし?」
どうしても、緊張に言葉が濁る。悔しいが、マスタングに比べればまだまだオレは若輩者で、唐突な空気の変化にいつも戸惑ってしまう。マスタングはいつも柔和な笑みを絶やさず、冗談を言って相手を手のひらで転がすような奴だが、その実その若さで大佐の地位を経た切れ者でもある。冷静に、時には熱い焔をぶちかます支配者なのだ。いつも飄々とした食えない皮をかぶっているから、ついつい忘れがちになってしまうが。
「ああ、できることなら私からの頼み事は他言無用にしてほしい。もちろん、君の弟にも。まあそれは君の裁量次第だがね」
「オレの裁量?」
「ああ」
「なんだよ、それ。はっきり言えよ」
要領を得ない言葉に疑問が生じる。
今思えば、おかしなことは沢山あった。急な召集命令。そして、いつもならいるはずの部下達の不在。みな昼休憩だとマスタングは言っていたが、もしかしなくともそれは、マスタングが故意に人払いをしていたのではないだろうか。それに、弟にも話が長くなるだろうからと書庫の鍵を渡していたのもマスタングだ。話が終われば君の兄は返すよ、だから連絡を入れるまで許可なく部屋には入らないでくれとも。オレはものか!なんて怒ったりもしたが、それもよくよく考えればどこか変だ。マスタングが渡した書庫のカギは、別練のものだった。この指令室から、一番遠い場所。いつもの、第一図書館ではなくて。それに、普段は開け放たれている窓も、今日はしっかりと閉めきられている。これはもしかしなくとも、初めからマスタングはオレに、何か誰にも聞かれたくない特別な「頼み事」をしようとしている、ということに他ならないのではないだろうか。
「では、単刀直入に言おう」
そしてそれを裏付けるように、マスタングの声色は静かなままだ。いつもの軽口の応酬は消え、妙に張り詰めた緊張感があたり一面に漂う。真っ直ぐにこちらを見つめる視線は、逸らされない。
「鋼の」
―――なんだ?
呼ばれ慣れている二つ銘なのに、どこか体を這うような不快感があった。しいて言うなれば、体全体を舐め回されているような。探られているような。視線は微塵たりとも動いていないのに。
マスタングが、腕を後ろ手に組んだ。その動作がやけにスローモーションのように見えて、ごくりと喉が鳴る。オレの直感は、結構当たる。だからこそわかった。もうすぐで、何か嫌な事が起こると。オレは、マスタングから視線をそらさずに次に続く言葉を待った。そして。
「君がおしっこをしているところを、見せてほしい。今すぐに」
突然ぶちかまされた悪夢のような爆弾に、声もなく硬直した。
「………………………え?」
たっぷり十数秒、いや実際はもっとだったのかもしれないが、オレは固まった。それはもう、石のように。カチンコチンに。まあでも、今はそんなことはどうでもいい。一番の問題は、今耳に入ってきた言葉の羅列をどう脳内で処理し、理解するかについてだ。
「………………え、………?」
追い付いていかない思考をめまぐるしく回転させる。しかし、天才国家錬金術師として名をはせているこのオレですら、理解に苦しむ文章がこの世にあるということを初めて知った。国家錬金術師が聞いて呆れる、あれだけつらい修行に耐え知識を叩きこみ、これだけ文献を読み漁ってきたというのに。知識向上のためにもう一度師匠に弟子入りしたほうがいいのだろうか。いやでも国家資格を取ったいま、師匠が再びオレを弟子として受け入れてくれるとは限らない。無理だ。確実にたたき出され……いやまて。まてまて、まて。
何か大事な事を忘れている気がする。ああそうだ、今耳に入ってきた言葉だ。なんだかよくわからない暗号の羅列のような。ええと、そうだ。
キミガオシッコヲシテイルトコロヲミセテホシイイマスグニ。
―――なるほど、わからない。
キミガオシ、なんだそれは、新しい元素の名前か?
キミガオシ、コヲシテイルトコロとはなんだ。コをしてる、何かをしている?何を、コを?キミガオシを?オシ?オシッ……コ……?キミガオシッコヲシテイルトコロヲ……
―――脳内で、何度か言葉を、いや台詞を反芻する。そして本日十数度目の反芻で思考がストップした。急停止だ。
理解ができない、いや、理解したくない。とてもじゃないけど理解ができない。幻聴だろうか、いや幻聴ではない、けれど、幻聴だと思いたい。心底そう思いたい。けれども人間、未知の出来事に遭遇すると以外と冷静になるもんだ。こういう時自分の回転の速い頭脳が憎らしくなる。そう、オレはわかっていた。思考が止まってしまったのは一瞬だ。理解してしまった。少なくとも、今目の前にいる上司が、オレに向かって放った台詞の内容の意味は。
「お……おし……し……」
ただいま絶賛混乱中のオレ。全国のオレに恨みを持つものよ、かの有名な鋼の錬金術師をやるならきっと今だぞ。今後ろから襲撃でもされたらきっと対応できない。確実に。
「……お、お……おしっ……おしっ……?」
「ああ、おしっこだ」
狂ったように濁ってしまう言葉を簡単に口に出されて、オレは視線をさ迷わした。というか、もうさ迷わしていた。きっちりと閉め切られた窓から、今にも逃げ出してしまいたいくらいだ。ああ、空が青い。アイキャンフライ。今なら空も飛べそうな気がする。
「鋼のもう一度言おう。君がおしっこをしているところを私に見せてくれ」
「………え、ええ~~~~~っと……」
言いたいことがまとまらない。大真面目な顔をしてそんな言葉言わないでほしいとか、アンタ頭大丈夫かとか、この部屋空気薄いねとか、今日は空が綺麗だなとか、いろいろ喉元まで出かかっている言葉は沢山あるのだが、それ以上の混乱に全てが黒い渦の中に巻き込まれてゆく。いつのまにか近くまできていたマスタングの顔を直視できず、視線をさげる。息が、息が苦しい。自分の周りの酸素濃度だけ一段と下がってるみたいだ。空調壊れてんじゃねえの?黒く、磨かれた綺麗な革靴に向かって小声で問いかける。見知った、軍人の足。答えはない。
「あ、あの~~~」
「なんだね」
「……―――何が、何だかさっぱり……」
「だろうな」
さらっと頷いたマスタングは、事もなさげにわずかに首を傾げた。顔を覗き込まれている、そんなことはわかっているが視線が上げられない。ぽたぽたと床に垂れる水はきっとオレの汗だ。こんな短時間で人間はここまで汗だくになれるのかと思うくらい汗だくだ。湿った背中が冷たい。おかしい、オレ普段はこんなに汗っかきじゃないはずなのに。やっぱり空調が……
「鋼の、いたいけな少年である君にこんなことを言うのは少し気が引けるが」
―――いやいや。今さっき、いたいけなオレにとてつもない爆弾発言をぶちかましてきたのはどこのどいつですか。
「あ、あの、オレちょっと用事が、あって」
「まあまて、聞きなさい」
「いや遠慮するよオレ実はこの後アルと図書館にいっていろいろやらなきゃいけないことがあってさいや大佐と旅の話とかしたいのはやまやまなんだけどなんにしろオレここにいたくな」
「実はね、私はそういうのに興奮するくちなんだ」
「そそそそういうのって」
さえぎられた声色のまま早口で切り返す。自分でも声が上ずったのがわかった。聞きたくない。死ぬほど聞きたくない。耳をふさいでしまいたいけど手が動かない。足が自然と回れ右する。汗が、汗がやばい。そのうち地面に綺麗な水たまりができる。
「まあ簡単に言うと、他人が排泄をする姿を見るのが好き、ということだ」
――――視界が、くらりと揺れた。なんだか耳鳴りもしているような気もする。
「排泄をする姿、というのも語弊があるか。とにかく他人が汚いものにまみれてると興奮する」
誰かの言葉によってここまで心身に異常をきたしたのは、たぶん初めてだ。言葉の暴力の意味が、この時初めてわかった気がする。
「けれど、相手は誰でもいいわけではない。私にも好みというものがある」
好み、好みとはなんだ。なんの好みだ。というか今この男は、いったいなんの話をしているんだ。
「そこで白羽の矢がたったのが、君だ」
そんな矢へし折ってやりたい。長い指先がびしり、とこちらを向く。人に指を指し手はいけませんなんて言葉、小声でも出てこなかった。
「今だから言うが、私は君が非常に好みでね」
「たい、さは……ゲイ、なのか?」
「私には別に少年趣味はない。ただ、君のその吊り上がった目、ぷくりと小さく濡れた唇、大きく吊り上がったはちみつ色の瞳。小ぶりな顔、華奢な体。流れるような神秘的な髪、物おじしなくて、ひねくれてはいるが情に溢れるその性格。それのどれもこれもが私の好みにバッティングしているだけだ。初めて見た時からね。つまりそういうわけだよ」
どういうわけだ。なぜだろうか、他でもないマスタングに褒められているというのにこれっぽっちも、微塵たりとも嬉しくないのは。
「だから、私の好みの姿形である鋼の、君に、私の性癖を満たして貰いたくてね」
先ほど頭の回転がはやいからどんなに思考が停止しても冷静になれるとか言ったがあれは噓だ。全然冷静になんてなれない。マスタングとの会話に理解できる部分がない。
「え、え、あの、あの、その」
「はっきりしたまえ、君らしくもない」
「わりいんだけど今こんがらがってる。ちょっと時間くれ」
「しょうがないな、なるべくはやくしてくれると助かる」
「大佐はオレが好きなの!?」
「まあ、その通りだよ」
「噓だろ?!」
「なぜそう思うのかな?」
「だって、アンタオレのこと茶くみ係にしたりコキつかったり囮にしたり危ない目にあわせたりいろいろ」
「君の入れてくれたものが飲みたかったし、何度も言うが君の事は信用しているんだ。君が前に出てくれれば事件解決は目前だし、それになにより」
すっと一息。
「君が泥だらけで汗だくになっている姿が好きなんだ、もちろん、埃をかぶった汚らしい君も」
ぞっとした。一気に体が冷えた。オレは青ざめていた。いや自分の顔は見えないがさぁっと血の気が引いているのがわかる。きっと真っ青だ。もしかしたら軍服の色と同じくらいになっているかもしれない。空調の問題ではないこれは、オレの心の問題だ。
それじゃあなにか、囮にされて怪我を負ったオレを医務室まで運んでくれたのはあれか、君が心配なんだとか愁傷な事言っておきながらその実ぼこぼこになって汗まみれで泥だらけでひっどい臭いを醸し出すオレに触りたかったとそういうことか。書庫とかを整理させて埃まみれになったオレを見てにっこにこしてたのも、トイレ掃除なんかもさせていたこともつまりは、つまりはそういうのが目当てで。
「は、ははははははははは」
「だから、私は君が好みだから、君がおしっこをしているところを見たいんだ」
うんうんと頷く男を前に笑うしかなかった。こんなにオレが混乱しているのにくらべて、マスタングの声色は変わらない。何もかもがいつも通りだ。顔は上げられないが、きっと表情も普段と何も変わらないだろう。ゆるりと口元に弧を描いて、穏やかに目じりを下げてオレを見下ろしているはずだ。いや、おかしいだろう。こういうのはもっと、何かしら言い淀んだりするのが普通じゃないのか?いや、好きとかそういうのはいい。そうじゃなくて、それ以外のその……性癖というかなんというか、性癖だ。そういうのは人それぞれだし、犯罪行為に走らなければ何をしたって何を好きだと思っても構わないけれども。だけど、だけど!他人の、他人のはい………はい……排せ……っを見たい人間だなんて今の今まで出会ったことも遭遇した事もないしこんなのはおかしい。おかしいだろう、なんでそんな平然と言えるんだ?オレはいやだ。見たくもないし、見られるなんてもってのほかだ。汚いのはいやだ。それなのに。この男は顔色一つ変えずにさも普通であるかのように恐ろしい事を言ってのけている。しかも、その男というのがまさかの。自分の上官で、かつ焔の錬金術師でもある、ロイ・マスタングだったなんて。
「そういうことだ、わかったかな?」
「―――わかるかァ!!」
ついに限界がきて、オレは勢いよく顔を上げてどなった。案の定マスタングは普段と全く変わらない表情を張り付けたままオレを見下ろしていたが、わかるわけがない。全くもってちんぷんかんぷんだ。
「な、なんだよアンタは!?なんで、なんでそんな……オ、オ、オオ」
「おしっこ」
「違う!オレのその、あれ、を見たいだなんて……!」
「だからさっきも言っただろう?君の顔が好みだから、君がおしっこをしている姿を見たいと。まぁ本当は、そちらだけではなくお尻のほうも見てみたいのだが……」
「ひぃッ……!」
マスタングの視線が、覗き込むようにしてオレの下半身に移行したのを見て、情けない悲鳴が漏れた。その先にあるのは、オレの尻。触られたわけでもないのにきゅっと臀部がしまる。考えたくもないが、尻ということは、つまり、つまりは、―――そういうことである。
「初めからそういうのは、さすがの君でも無理だろう?だから是非、こちらの方を見せてくれと。どうかな、突きあたりの手洗い場ででも」
「だだだだ、誰が見せるかァ!!このペド野郎!!」
「難しい言葉を知っているなぁ」
反射的に両手で前を隠して前かがみになる。寒いわけじゃないのに股の間がスース―する。ちょっと一緒にどうかなピクニックにでも。なんてノリのくせに言っていることは真逆だ。お花畑というのはある意味で合致しているだろうが……ってそうじゃなくて!
「なぜだ?別に取って食おうってわけじゃない。ただ君が、私の前でおしっこを―――」
「わぁあああやめろ!!おしッ……って連呼するなぁ!」
もはや、半泣きだ。いや実際泣いていた、心の中で泣いていた。聞きたくもない真実に心が折れそうだ。やばい、岩のように固まっていた足を動かす。やばい、これはやばい。ドン引きだ。明らかにやばい。混乱した頭のまま逃げの姿勢をとるも、しかしそれは行く手を阻む大きな体に阻まれた。先ほどから一切触れられていないというのに、マスタングが前に来るだけで足が動かなくなってしまう。一般的に言えばこれが恐怖というものだろう。以前傷の男と戦って、あやうく死にかけた時以上の恐ろしさなのかもしれない。というか、恐ろしさのベクトルが違う。あの時間一髪のところで助けてくれたやつに、こんなわけのわからぬ恐怖を与えられているだなんて考えたくもない。あの大佐が、まさかそんな嗜好を持つ人間だったなんて。嘘だと思いたい。誰か噓だと言ってくれ。
「待ちたまえ鋼の、話を聞いてくれ」
「なに言ってんだアンタは!いいからどけろこの変態!!」
「変態とは酷いじゃないか」
「どこがだ!」
「私は今、国軍大佐という地位にいるからな、その道の女に手を出したとしても、自分の性癖を包み隠さず話すにはリスクがいる。けれど、君の場合は違う―――そうだろう?」
耳元で囁かれたバリトンボイス。オレははっと瞠目した。
掲げられたマスタングの手に、小さな紙切れが握られていたからだ。
「鋼の見たまえ、ここにとある紙切れがある」
紙切れ、確かに紙切れだ。四角く折りたたまれた。
「これは私にとっては別にどうでもいい紙切れなんだが、君とって……いや君らにとっては喉から手が出るほどに欲しい物だと思う」
君ら?君らということは、まさか。
「な……なんだよそれは」
「トム・キプソンの住所」
「……ッ」
トム・キプソン。少し前まで探していて著名な錬金術師の名前だ。人体錬成に関する暗号がちりばめられているということで発禁処分になった本の著者。現住所、生死ともに不明といわれていて、今現在生きているとすれば大変な高齢だ。なんでそんなものを、こいつがもっているんだ?
「探し出すのは骨が折れたよ。しかし安心したまえ、彼は生きている。ご高齢だが頭もはっきりとしている。そんなに長い時間はとれないだろうが、少し話すぐらいはできるのではないかな?」
「どうして……それを」
「探し出した、私が持てる権力を使って、ね。半年以上はかかったがな。もちろん君のために」
「オ、オレのた、め?」
きらりと光った黒い瞳に後ずさる。まるで肉食獣が小動物を狩る時のような目だ。
ということは、ここでいうところの小動物というのは。
「さて、君が私の頼み事を聞いてくれるというのなら、この紙を君に渡してあげよう」
「……ッ、卑怯者!!」
やっぱりオレだった……!
「卑怯だなんて聞き捨てならないな。私は別に、君の弟の命がどうとか君たちの過去がどうとか、そういったことは一言も言っていないよ。いわばこれは、等価交換だ」
ひらひらと、高い位置でちらつかせられる紙。悔しいが、今のオレの身長では、絶対に届かない。
うまい具合を見計らってマスタングを叩きのめし紙を奪おうという魂胆はきっと丸見えなのだろう、全くといっていいほど隙がない。さすがは軍人だ。今ここでオレが錬金術を駆使して紙をもぎ取ろうとすればマスタングの右手の発火布が勢いよく擦られることになるだろう。
はじけるような赤い炎が、左手にもつ小さな紙切れを一瞬にして灰にするのだ。マスタングの目はそう言っていた。
「簡単なことだろう?少しの時間を私に割くだけだ。君が私に、おしっ」
「やめろ!」
「こをしているところを見せてくれさえすれば、君の益になるものが手に入る。どうだ?悪い話ではないだろう?」
「てめえっ」
悪い話じゃない!?十二分に悪い話じゃないか。どこの世界に排せ……つと貴重文献のもろもろを等価交換と呼ぶバカがいるんだ。―――いや、目の前にいた。
「ど、どうせ!そんなこと言って、オレがその、してから渡すとかいう条件付きだろ!?」
「いいや。君が今この場で見せてくれる事に了承したのなら、これは渡そう。今この場で」
「へ?」
思わぬ提案に目を見張る。これは予想外だ。今この場で見せてくれる?そんなバカな。大佐は約束を破るような大人ではない―――とこれまでは思ってはきたが彼の性癖を垣間見てしまった今ではいささか怪しいともいえるが、同じ錬金術師でもあるのでトム・キプソンの住所が書かれている紙というのは本物だろう。でも、てっきり、全てが終わった後に手渡されるものだとばかりと思っていたのに。
「ただし、君にこれを渡したらそこで等価交換は発生する。対価は払う、だからそれに見合うだけの代価は、支払ってもらう。絶対に」
絶対に、という単語をやけに強調されたような気がするのは気のせいだろうか。いや、された。絶対された。だって、野獣の眼光だった。
―――どうする、どうするオレ。痛む頭を抑え込む。どうすればいい。トム・キプソンの現住所。欲しい、ものすごくほしい。もうずっと行方が分からなくて半ば諦めていたものだ。喉から手が出るほどにほしい。けれども、けれ、ども。それを得る代わりに、オレはきっと何かを失う。
「たい、さ」
「なんだい」
「ほ、本当にそれ、くれるのか」
「もちろんだとも、なんなら私のほうから彼に直接アポイントを取ってもいい。本の内容は辛らつだがそこまで偏屈な老人でもない。国軍大佐であれば無碍に断らんだろう」
なんという魅力的な等価交換の申し出か。オレは痛む頭を駆使して考え込んだ。ぐるぐると思考が回る。欲しい情報を得られる代わりにおしっ………こをしているところを、見せる、誰に?大佐に。排泄というものは人間であれば誰しも起こりうる自然現象だ。別に恥ずかしいことではない。どんな偉人であれトイレには行く。普通の事だ。
けれども、それを他人に見せるのは普通のことだろうか。考えろ、考えろオレ、史上最年少の錬金術師だろ!?ここでその知識をフル活用させないでどうする、考えろ、考えろ。
ここで大佐の要求をのまなかったとする。そうすれば、オレはキプソンの居場所を知れずじまいだ。この男ですら見つけ出すのに半年かかったと言っていた人間を、数年かかりで探してそれでも見つけることができずにいて、諦めかけていたオレ達だけで果たして見つけられるのだろうか。そういえば、今読んでいる文献をトム・キプソンはたしか引用していたはずだ。発禁処分になって手に入れられなかった文献の現本が、トム・キプソンの手元には残っていれば、ちょうどオレが読んでも理解不能だったところがわかるようになるかもしれない。それか、もしも原本がなくともトム・キプソンに聞けばわかるかもしれない。高齢だが頭ははっきりとしていると言っていた。何か手掛かりがつかめる可能性は大いにある。
そうだ、大佐が提示した等価交換の代物は貴重価値だ。これを逃したら後がないような気がする。どうしても読みたい、話を聞きたい。それさえ手に入れられれば元の体に戻れる、奇跡の一歩になるかもしれないのだ。
たった一回、大佐の前でお、お、おし……っこをするだけで。
そう考えれば、お、おしっこなんてどうでもいいことじゃないか?これから先オレは何度も排泄を繰り返し生命の営みを繰り返していくだろう、一は全、全は一。排泄も、その流れの一つにしか過ぎない。生きるためには大事なことだ。そのたった一回、一回を他人に見られたからといって何がどうなる?何もならないんじゃないか?むしろ、一回で希少文献が手にはいるのなら安いものなのではないだろうか。連れションなんて、国家資格を取る前に同郷の友人たちと何度もした。弟ともした。そうだ、これは悪い話なんかじゃない。これは連れションだ。部下が上司とトイレでたまたま出会って、一瞬排泄の時を共にするだけの。悠久の時の中で行われるたった数分の邂逅。そうだ、大佐だって別にオレを取って食おうと言っているわけじゃない。等価交換で肉体関係を強要されることもできたはずなのに、そんな事はせずにたかがトイレだ。いっそ紳士的じゃないか?別に、何をするわけでもないんだ。ただ、トイレをしているところを見られるだけ。見せるだけ。別に男同士なんだし、そもそも男同士でお互いの排泄を見るだの見ないだのそんな話はナンセンスだ。男子トイレでは隣あってするのが自然だしそこにおかしな点はなにもない。そうだ、こんなこと、これから弟と共に人生を歩んでいく中で特段取り上げるべきことでもないし大したことじゃない……
まるで、山の上から全速力で転がり落ちていくみたいに思考が定まってゆく。と、同時に手が伸びる。マスタングが手にもつその紙切れへと。顔色も変えず、マスタングも腕を落としてゆく。
「交渉成立、ということでいいかな?」
「……い、いや、あの」
機械の指先をもごもごと動かす。どうしてオレはまだためらっているんだ。たかがおし………っこを見られるだけだ。いや、考えろ、本当に大したことではないのか、これでいいのだろうか。
目の前で、あれほど欲しいと思った一枚の紙切れがオレの手元に移るためにカサカサ動いているのにそれを掴む事ができない。ああもう、しっかりしろオレ、いつもはこんな優柔不断じゃないはずだ。覚悟を決めろ。大佐に見られる覚悟を。何を?ナニを。別に減るもんでもないし、でも……
「ああ、ちなみに引き出しの中には、君が以前欲しいと言っていたヘンリー・モーガンの文献もあるよ」
「ああぁもうわかったよ!等価交換だ、見せりゃいいんだろ見せりゃ!その代わりさっさと両方よこせ!!」
勢いのまま、間近に迫っていた紙切れを奪い取る。一度ぐしゃぐしゃにしてしまった紙をやけになって開くと、そこには「キプソン」という名前の他にしっかりとした住所が記載されていた。よかった、名称は聞いたことがある。北部にある田舎町だ。あの爺さんあんな辺鄙なところに住んでんのか、禁書出しちゃったもんな、老後は厳しかったのかな……
そんな事をつらつらと考えつつ、本物であったことにほっとしながらも泣きたくなるような不安に襲われた。にやりと、今まで見たことないほどに薄気味の悪い笑みを浮かべたマスタングの顔を、見てしまったから。
ああ、アルごめん。
「モーガンの文献は終わってからでいいね?では、さっそく」
お前の兄ちゃん、死ぬかもしれない。
「――――今ここで、おもらしをしてくれ」
「は!?」
オレはぎょっと目を見開いてマスタングを見上げた。
「こ、ここで?」
「そうだが?」
耳を疑う新情報の出現に驚いた……なんてもんじゃない、驚愕した。一瞬、耳の中が詰まってしまって聞こえづらくなったのかとも思った始末だ。そういえばここしばらく耳掃除もしていない。ためしに耳をパンと叩いてみても聞こえは変わらなかった。やはりオレの耳の問題ではない。ようだ
「何言ってんだアンタ」
何をバカなことを、と言わんばかりの表情を向けてやればマスタングも同様の顔を返してきた、オレはすかさず「何言ってんだアンタ」と同じ言葉を呟いてしまった。マスタングもしかり。しかしこれはオレのせいではないと思う。
「何とは?」
「何って、え?」
少しひいていた汗が、またぶわっとふき出す。ここで、おもらし?意味がわからない。ここではできない、そんなこと、物心ついた子供ですらわかるというのに。トイレも何もわからずその場でもらすのは赤ん坊ぐらいだ。
「おや?等価交換を反故にするのかい」
「え?いや、あの。そうじゃなくて、そういうのは、普通にトイレで」
「トイレでなくともできるだろう」
……排泄というのはトイレでなくともそうほいほいとしていい物なのだろうか、ましてや職場の一室で。おもらし?いや、ダメだろう。
「できないからな!?」
「どうして?」
―――ダメだ、言葉のかみ合わなさに泣きそうだ。もしかしてオレは宇宙人とでもしゃべっているのだろうか。オレが今聞いているのは宇宙語か。だから耳に何も詰まっていなくとも聞き取りづらいのか、そうか、さっきから大佐だと思っていたものは実は大佐じゃなくて未確認生命体だったんだな。それなら今まで大佐がちょっと変だったのも納得できる。
しかし、悲しいかな。目の前にいるのはマスタングだ。紛れもなく本物のロイ・マスタングだった。未確認生命体の存在を、これほどまでに渇望したことが今まであっただろうか。いやない、科学者だもの。
「だってアンタ、さっきトイレに行こうっていってたじゃん!」
「あれはキプソンの住所のみの等価交換の場合だ」
「わッ」
ずいっと顔を近づけてきたマスタングに背が反り返る。じりじりとした黒い目にマスタングの本気が垣間見えて、オレは反射的に唾を飲み込んでしまった。それなのに口の中がからからに乾いているのはなんでだ。
「私は君に、二つの貴重な情報を与えたんだ。キプソンですら大変だったというのに、それに加えてもう一つの文献まで用意した。そして君はそれを両方とも受け取ると私に言った。ここまでしておいて、私の指定に従いたくないというのは、等価としては不釣り合いじゃないのかね?」
―――はかられた。オレは拳を握りしめた。そうか、大佐が寸前までモーガンの名前を出さなかったのはこのためか。オレを傾きかけた瞬間を見計らって新たな餌を投入し、巧妙に等価を増やしていく。すべては巧妙に仕組まれた罠だった。大佐が自分の欲を、叶えるための。兵は詭道なり。だまし討ちも立派な戦略だ。
「君は確かに理解した上で了承したはずだよ。二つ目の等価を提示された時点で、何か別の要求が加わると」
「大佐、でも、でもさ……」
相手の慈悲に縋る勢いで声を震わす。だって無理だ、というかいやだ。どう考えても。ここは執務室だ。仕事をする場だ。今はここにマスタングとオレしかいないが本来ならばマスタングの部下達も軍務に励む場だ。数か月に一度しか返ってこないが、オレにとっての職場の一つでもある。
しているところを見せるというだけでも相当なハードルなのに、さらにここで、自発的にもらすなんて。いやだ、なんの苦行だ。どうあがいても、百歩譲っても譲らなくともいやすぎる。
「安心したまえ、鋼の」
にっこりとほほ笑んだ男に、何が安心しろだ!と声を荒げる前にマスタングがデスクに向かった。そこで壁際に置かれていた紙袋をごそごそと開け、なにやら中身を広げ始める。正直、嫌な想像をいっぱいした。尿便だとか、子供用の何かとか、オムツとか。しかし取り出されたものは、オレの想像のはるか上をゆくものだった。
「大丈夫だ、汚れた場所はもちろん私が掃除しよう。臭いも残らないようにする。この日のために準備は万端だ。もちろん、終わった後もシャワー室まで連れて行ってあげよう。なに安心したまえ、すぐそばだ。この階は人払いをしてあるから、誰にも見られることはないよ」
もはや絶句だ。思わず口元を抑えた。マスタングが取り出したものは、服だった。しかしただの服ではない。
―――オレの服だ。いつも着ている、黒の上下セット。黒のキャミソールによくみれば下着まで入っている。しかも、オレがよく来ている下着と同じもの。
「大丈夫、寸分たがわずぴったりだ。作りも変わらない」
オレが今着ている服は、自分で作ったものだ。自分のサイズに合わせて。どうしてそれを、大佐が。
「なん、で」
「聞きたいかい?」
目を横三日月型に細めたマスタングの顔がおそろしくて、オレは思い切り首を横に振ってしまった。真実を知ることなかれと、オレの本能がそう言っている。聞いてしまったが最後、もう戻れない。オレの服を手に目じりを下げているマスタングに真実を聞く勇気は今のオレにはなかった。
この部屋に来た時から、その袋はそこにあった。いつもはそんなもの置いていないので何だろうとは思ったが、特別気にすることなくスルーしていた。それがまさか、オレの着替えが入っていた袋だったなんて。じゃあなにか、オレは何も知らずにこの部屋に入ってきたっていうのか。待ち受けているとんでもない未来もつゆ知らずに、いつものようにソファに腰をおろして出されたアイスティーを飲みながら本を読んでいたというのか。そして大佐はそんなオレをじっと見つめて、オレに等価交換を持ち掛けおもらしさせる機会を見計らっていたというのか。
いそいそとオレの服を用意して、袋に詰めるマスタングを想像したら眩暈がしてきた。
―――ドン引きだ。もうこれ以上ないほどに引いてはいたが、さらにそれをゆくドン引きだ。
「たい、さ」
「うん?」
「ドン引き、なんだけど」
「これで引かなかったら君は相当の強者だな」
「アンタ頭おかしい……」
「自覚しているよ。さあどこでしようか。ソファか、床か、それとも立ったままか」
気分もよく、まさにウキウキという擬音語が似合うほど楽しげにあたりを見回すマスタングの広い背中。手足を失って生きる希望を見失っていた頃に、この男に胸倉を捕まれ怒鳴られた挙句、この背中が去ってゆくのをじっと見つめていた。あの時も、大佐はオレの体を見てこんな不埒な妄想を働いていたというのだろうか。手足の欠けた今にも死にそうなガキを見て、この子がおしっ……こをしているところを見たいと。そういえば、あの時少しの間滞在していたマスタングの前でトイレに行こうとした時、「私が連れて行こうか」とか言ってなかったっけ。弟が丁重にお断りしていたけど、話の流れもあって、その時はただの親切心、あるいは親しくなるための接触だと思ったのだが。もしかして、いやもしかしなくとも。だって、さっき奴は「初めて見た時から」と言っていたじゃないか。と、いうことは、最悪だ。もう疑いようがない。
ロイ・マスタングは、正真正銘の変態だ。変態佐だ。
「まあ今回は初めてだからな、ソファの上にしよう」
「今回ってなんだ」
「次はもっといい文献を用意しておこう」
「なあ今回ってなんだ!」
「わからないのかい?」
「わかる!だから絶対いやだっていってんだよ!」
「どうして」
「だって……!」
「もしかして床の上がいいのか、それとも立ったまま?それともズボンを脱いですることをご所望かな?私は別にどちらでも構わないんだが」
「ちがーーう!常識的に考えてみろよ!おかしいだろ!?」
「この部屋は普段私しか使わないし、君が気にするならしばらく部下も入れないようにしよう。何も困ることはないさ。君がここでおしっ」
「やめろ」
「こをしたことは私以外誰も知ることはない。私だって、君がおもらしをしたこの部屋をしばらくは私だけのものしたいんだ」
ちょっとだけ照れたようにうっとりと頬を染めるマスタングはどこぞの恋する乙女のようで、変態的に気持ち悪かった。花も恥じらう乙女風の三十路なんて誰得だ。こんな大佐できることなら死ぬまで見たくなかった。もはや恐ろしいを通り越しておぞましい。気色悪さが再骨頂だ。もういっその事、子供のように泣いてしまいたい。いや、オレはまだ子供だ。ということは泣いてもいいのだろうか。変態に犯罪行為を働かされそうになっている哀れな子供としてどこかに駆け込んでいいのだろうか。助けてください本を上げるかわりにおしっこしてるとこ見せてくれって変なおじさんに言われたんです!いけるかもしれない。どこだ、憲兵か、軍か。
ダメだ、軍はここだ……
「鋼の、さぁおいで」
ソファに座った変態おじさんは、すっと腕をさし伸ばしてきた。洗練されたその動き、白い手袋と相まって、まるでお姫様をエスコートする王子様のような麗しさだ。中身がこんな超ド級の変態おじさん王子でなければ、男のオレですら見惚れていたかもしれない。
「ソファ濡れちまうだろうがっ……」
「だから、後でしっかり掃除をするといっただろう?それに、そういうのがいいんじゃないか」
「う゛ッ……」
喉の奥からこみあげてきた吐き気を何とか飲み込む。
「鋼の、いい加減に覚悟を決めたまえ。君は等価交換を反故にするような酷い錬金術師ではないだろう?君に読んでもらえずに炭になってしまうモーガンの文献も可哀想だ」
大佐の親指と中指が小さく擦りあわされる。火花は散らない。しかし大佐の瞳にはどす黒い焔が巻き上がっていた。変態おじさんと言えども、こいつは焔を自在に操る焔の錬金術おじさんだ。この一瞬で、モーガンの文献を黒焦げにしてしまうことだって可能だろう。
もう逃げることはかなわないと悟って、やばい雰囲気の大人の元へ一歩一歩、足を踏み出す。
たったの数歩をかなりゆっくり歩いても、狭い室内だ。すぐについてしまった。
マスタングに、ゆっくりと手を取られる。ただ握られているだけなのに、やけに触り方が厭らしいと思うのはなぜだろう。親指で手の甲をさすらないでほしい。
すっと横にずれたマスタング。つまりは、隣に座れということなのだろう。
うう、いやだ。マスタングはオレをじっと見つめている。熱のこもった視線で。座ってしまったらもう戻れない。あとはこの男の指示通り、尿を垂れ流すのみになってしまう。
―――なんだって、オレは今直属の上司と向かい合ってこんなことしなきゃならなくなっているんだ?どっから間違ったのだろう、大佐の等価交換につられた時からだろうか、それとも、この部屋に入った時からだろうか、召集命令に逆らわなかったとこからだろうか、それとも……いや、考えたって埒が明かない。きっと最初からだ。マスタングに目を付けられた時点で、遅かれ早かれこうなっていた。全ては時間の問題だ。マスタングの事だ、たとえ等価交換を断っていたとしても、仕舞にはお得意の「秘密をバラす」だ。おそろしい「頼み事」から逃れる術はない。
アル、兄ちゃん、兄ちゃんは……
気が付いたら、ソファに腰をおろしていた。先ほどまで座っていた皮張りのソファ。飲みかけのアイスティーの氷が解けてほぼ水のようになっている。机の櫨には読んでいた本が。
視線を移すと、目の前にはいつも通り読めない顔のマスタングが。でも、少しだけ嬉しそうに見える。トプソンとモーガン。等価交換。トプソンとモーガン、等価交換。目の前の変態を視界に捉えないように、心の中で呪文を何度も繰り返す。
「ああちなみに、言い忘れていたが条件がある」
「……あんだよ」
「足を開いてちゃんと見せること、そして全部出しきること、これだけは守ってくれ」
こんなことなら、全て誘導してもらって気が付いた時にはすべて終わってる、とかのほうがまだましだった。何が悲しくて上司の目の前で自発的におもらしをしなければならないのか。
かれこれもう15分は経っただろう。
マスタングはといえば、真正面に座ったままじっとオレのことを凝視している。舐めるように。オレがおもらしをするのを、いまかいまかと待っている。そしてオレはといえば、覚悟を決めることもできずに下を向き、大佐の前で足を開いたまま硬直している。たぶん、今で16分経った。「もう少しだけ開いてくれ鋼の、見えない」なんて大真面目な顔をしたマスタングにぐっと膝をわられ、今は黒いズボンに包まれた股が、しっかりとマスタングの眼前に広がっている。ズボンの上からだというのにまるでズボンの中をのぞかれているようで、底冷えするようなあまりの羞恥心に何度下腹部に力を入れても、あと一歩のところでひっこめてしまう。
もうそんなことを飽きるほど繰り返していた。
「たい、大佐」
「出そうかね」
「……ぅう」
恥ずかしい。ものすごく恥ずかしい。できることなら今すぐにでも猛ダッシュで逃げ出してこれまでの出来事を全て記憶から消去してしまいたい。もうずっと、顔が熱くて頭の先から噴火してしまいそうだ。何度目かの挑戦で我慢できず、頼み込んで尻の下に厚めのシーツを敷いてもらったが、如何せん乳白色だ。これはもしかして、黒いソファの上で直接するよりも恐ろしいことなのではないだろうか。大佐が躊躇することなくこれを敷いてくれたのは、つまりそういうことなのだろうと思う。色、が、しっかり見えるよう……に……
「た、大佐ぁ」
「ああ、いいよ。見ていてあげよう」
「違う、出ない、出ない……」
もうこれ以上、引き伸ばすことはできない。トプソンとモーガン、そして等価交換。もう呪文も唱えすぎてすたれてしまった。
「悪いんだけど、出なくて……したくなったら、またするから」
今日のところは勘弁してくれ、消え入るような声でそう呟いたら、マスタングがふっと笑った。
「君も往生際が悪いね」
「ちがっ、ほんとに、出ない!」
「こらこら、噓を付くのは関心しないな。もう我慢の限界だろう?」
ぐっと口を閉ざす。どうしよう。バレてる。
「わかるよ。さっきからむずむずしてるじゃないか」
マスタングの言う通りだった。実はマスタングと言い合っている中盤あたりから急激な尿意を催していて、今ではもう一触即発。頑張ってここまで耐えていたが、結構ギリギリのラインで踏みとどまっている状況だった。たぶん、今かるく腹を押されでもされたらヤバイ。一発で、替えの服に着替えることになるだろう。
「さて、君はいつまで耐えられるかな。実は部下にこの部屋には入ってくるなともうすでに命令してあってね。彼らは今頃別練の一室で作業中だ。今日は夕方まで、君との我慢比べに付き合える。安心したまえ」
「な、なんだそれ……ッ」
寝耳に水だ。あわよくば彼の部下が帰ってくる頃まで我慢して、あとは帰ってしまおうなんて思っていたことろだったのに。そして、今日のうちにイーストシティを去る。名案だったはずなのに。
「君の考えなんてお見通しに決まってるだろう?私はね、鋼の、君が好きなんだよ」
「てめぇッ……あっ」
大声を上げたら力みすぎてしまい、急速に股間に熱がたまった。やばい。ぶるりと体が震え、血からを抜くとすぐにでも出てきてしまいそうだ。思わず両手で股間を抑えようとしたが、こらこら、とやんわりと抑えられ、両手を元の位置に戻される。
「ちゃんと見せるのが条件だろう?隠されたら見えないじゃないか」
「だ、だっ、て……!」
「何も恥ずかしいことじゃない、これは自然現象だ。見ているのは私しかないよ、安心してもらしたまえ」
「ぅう゛~~、~~~ッ」
ここまで尿意を我慢したことなんて今までない。子供の頃だって、あんまり覚えてはいないけれども出したい時に出していた気がする。そして物心ついた頃から何度かおもらしはしたが、その都度黒い円の染みがついたシーツが青空の下の晒される恥ずかしさに顔が真っ赤になったものだ。だというのに、オレはあと3年で大人の仲間入りをするというのにあろうことか上官の前でおもらしをしようとしている。今まさに、経験したこともないとてつもない尿意と格闘中だ。自体は深刻で、もう一か所にとどまってなどいられない。なんで、こんなに尿意がすごいのか。さっき何か飲んだだろうか。来る前に宿で紅茶を飲み、さらにこの執務室でアイスティーを飲んでいたのがいけなかったのだろうか。自然に腰がゆれ、太ももが痙攣し内股になる。が、ひざをマスタングの両手でやんわりと押さえつけられているため、大して閉じることもできない。どうあがいても、マスタングの眼前で漏らすということからは逃れられないようになっている。最悪だ。
「う、ぁあ……」
「腰がゆれてるな、もう出したいだろう?」
「ぁ、だ、だめ……ッあ」
「いいよ、その調子だ。力を抜いて」
出産か!なんて突っ込めるものなら突っ込んでしまいたい。けれど大声を上げた時点でオレは終わる。人としての尊厳とか何もかもがこの男によって打ち砕かれてジ・エンドだ。なんとかして、なんとかしてもらさなくていい方法は……!しかしそう思っている間にも尿意は湯水のように腹の奥底から湧き上がってきて、もう唇を噛み締めて拳を握りしめても耐えられそうもない。
「あ、ん、んん~~、~~……!」
「なんだか出産みたいだな」
おまえが言うか!と心の中で突っ込むことすらもう一苦労だ。自分の腹部が小刻みに収縮を繰り返しているのが見える。マスタングの視線は、今やじっとオレの股間に注がれていた。こんなに他人に股間を凝視された事なんて今までない。女性は出産の時こんな感じなのだろうか。しかし残念なことにオレは男で、今から体外に放出しようとしているのは子供ではなくて尿。しかも、変態の目の前で。ズボンに穴が開いてしまいそうな視線にさらされながら渾身の力でつま先を丸めて尿意に耐えていれば、膝に添えられていた手がぐっと足を押してきた。少しだけ腹部に圧がかかる。
「ぁ、やめッ」
「―――ほら」
「……っあぅ」
低い声が以外にも近いところから聞こえてつい力が抜けた。しゅわっと、布越しに濡れた音が漏れ、感じた冷たさとそれに驚いて再び下半身に力を入れなおす。が、時すでに遅し。黒かったズボンには、小さな丸い濃紺色の染みが出来上がってしまっていた。
「は、はぁ……ぁ」
「ああ、すごいよ鋼の……染みができたね」
「こ、の、へんた……ッ」
「ほら、あんまり我慢しすぎると量が多くなってしまうよ?」
言いながら膝を何度かぐっぐっと押され促される。つま先に力がこもりすぎて痛い。
「やっだめ……ぇッ」
したくない。こんな変大佐の前でおもらしなんてしたくないのに。自覚した尿意はとどまる事をしらずむしろ一度出してしまったせいか、さらなる排出の機会をうかがっている。少しだけ出した時のあの解放感を味わいたくて、膀胱が勝手に収縮を繰り返す。機械である腕は自分の思い通りに動くのに、元から内在する臓器は自分の意志をくみ取ってくれないだなんて。
「鋼の、いい子だから出しなさい、さぁ」
はぁ、と髪にかかる生ぬるいマスタングの吐息。これがあの大佐のものだなんて信じたくない。
明らかに興奮している男は、目を皿のようにしてオレの股の間を見つめている。15歳の子供の股間を見つめてはぁはぁしている29歳の国軍大佐なんてスクープものだ。ちくしょう、これが終わったらこのネタ使ってマスコミに売り込んでやる。そんなできもしないことをつらつらと考えながら現実逃避をしていると、さらに力を込めて足を押されて変な声が漏れた。
「ぁひぁッ……!」
「鋼の、すごい顔になってるぞ」
「や、やだ、やめて押さない、でッ、もれ、もれちゃ……っ!」
「出しなさい、はやく」
「やだ……やッ、出る、やッ」
じゅわ、と、さらに下着の中が生暖かく湿る。
「鋼の、おしっこ出そう?」
「で、出る、出ちゃうから!おしっこでちゃッ……」
「ああ、いいぞ、出しなさい……私の前で」
「ダメ、みないで…みないでくれ……や、出る……おしっこでちゃ…ひぃッ」
―――もう、限界だった。
「ッ、あ゛ぁ、~~~~~~~ッ」
ぐぐっと一際強く押され、勢いよく下半身がはじけた。じょわっという生暖かい音が耳まで届いているというのに、一度解放してしまった熱を止めることなど不可能だった。むしろ出さないように力を籠めれば逆に流れ出てしまう。まるで濁流のように、すごい勢いで下着がびしょびしょと濡れはじめ黒かったズボンをじわじわと濃紺に染め上げていく。
「ひっ、ひぃ……やぁ、ぁあああ」
むわっと、鼻先に広がるアンモニア臭。酷い臭いに鼻が曲がりそうだ。最近は野宿が多かったし、ここに来る前も弟と手合わせをしてきたから汗も相まってだいぶすごい臭いだ。たとえ自分のものだとしても、なるべくならば嗅ぎたくない。
「や、ぁ、とめ、とめてぇ……ッ」
気がつけばマスタングの腕にひざごと拘束されていて、何度身をよじっても逃れられなくなっていた。はなせ、と震えればさらに強くなる腕の力になすすべもなく、ただただ見えない力によって押し出される尿を垂れ流す。
「あぁ……鋼のすごい、おしっこが出ているよ、まだ出てる……すごい音だ、たまらない」
「~~~ヤ、やぁあ、ぁ」
しょーーーー、服の中でしてるというのに確かに大きな音量だ。それだけ、すごい勢いだということだろう。それは、またたくまに股間いっぱいに広がってゆく冷たさからも察することができた。
「もうびしょびしょじゃないか、すごい、まさか君のおもらしが見れるなんてな」
「ぅ、うあぁ、ひうッ」
感想を丁寧に述べられるという状況が耐えられなくて、何度も首を振る。しかし尿意は止まらない、どこにそんな量が溜め込まれていいたのかと思えるほど、じょわわわっとより一層激しい音を立て熱が溢れ出して下着とズボンの後ろのほうまで濡らしてゆく。
なんで、なんでこんなに出てしまうんだ。もういやなのに、止めたいのに。
「あ……ぁあ、あふ……」
尻にしかれた白いシーツはでさえも、瞬く間に僅かな黄色に染まっていく。羞恥と、それを上回る出したいという生理的な欲求。そして、やっと放出することができたというとてつもない解放感に包まれ、ふらふらと視界が揺れる。ほこほこと、あがる湯気の間にマスタングの顔が見えた。鼻を鳴らし、「最高だ……」とか言いながらオレが排泄し続けている液体の臭いを嗅いでいる様子に―――意識がしっかりと冷えた。ぎゅっと臀部が締まり、あらかた出ていた尿もぴたりと止まった。人間、あまりにもあまりな恐怖の光景を見てしまえば尿意もしぼんでしまうらしい。。
「ひ……」
「どうした鋼の。その調子だぞ」
「も、終わった、もう終わったぁ……!」
「まだだろう、まだ全部出しきっていないはずだ」
「も、全部出たっ」
「噓をつくな」
「~~~~ッ」
声もなく首を振る。もう限界だ。より一層臭いを堪能するように前かがみになる変態野郎を見たくなくて天井を仰ぐ。
「も、出ない、出ない……大佐ぁ」
下着はびしゃびしゃになって気持ち悪いし、濡れたズボンがペタリと張り付いたふとももだって冷たくて不快だ。ぽたぽたと聞こえてくる音はシーツから零れ落ちている液体だろう。シーツで吸いきれなかったそれが床を汚している、そんな光景もリアルに脳内再生ができてしまって半泣きだ。もうダメだ。人前で、粗相をしてしまった。強烈な尿意が少しだけ和らいだからこそ、裏でくすぶっていた羞恥が脳内をスパーク寸前にさせてゆく。
「まったく、しょうがないな」
頭上に落とされた小さなため息。許して貰えたのだろうか。見れば、マスタングはゆったりとほほ笑んでいた。ほっと、詰めていた息を吐きだす。が。
目の前から影が消えた。あっと思った瞬間にはぐるんと向きを変えられ後ろから拘束される。とんっと背に固いものがあたって、見上げれば、真上にマスタングの逆さまになった顔があった。
「なっ、なに……!」
「大丈夫だ、落ち着きなさい。直接は触れないから」
後ろからのばされた大佐の手がオレの股の間に添えられる。何をする気だ。もうこれで終わりにしてくるんじゃないのか。わけもわからず縮こまっていると、大きな手はぐしょぐしょに湿ったベルトを外し始めた。
「……な゛ッ」
躊躇なくずっとベルトを引き抜かれ、ズボンをぐいっと降ろされそうになる。
「ま、まっ、汚い、汚いから大佐!」
汚れた場所を触るなんて理解不能だ。なんとか逃れようと背後から抱きしめてくる腕を振りほどこうとしても、いつのまにか両足も大佐の足に後ろからひっかけられ、動かすことが難しい状態にされていた。あまりにも一瞬の出来事すぎて気が付かなった。さすが軍人だ……って関心してる場合じゃない!
「やっやだ、いやだ、大佐!やめて、やめっ……!」
唯一動く左手で抑えようとしても大人の手は止まらない。それどころかますます強引にズボンを降ろそうとしてくる。マスタングの濃紺のズボンに、袖に、白い手袋に、オレが吐き出した黄色い液体がじわじわと染みこんでいく。
「鋼の、前を隠してはダメといっただろう、もう忘れたのか?」
「んなこと、よりもッ……あッ」
ズボンを下げられ、ぐじゅっと湿ったパンツのゴムを中を覗き込むようにぐっと伸ばされる。途端に鼻をツンと突き抜ける異臭がずっと濃厚になって思わず目を閉じる。野宿生活が続いたあげく、昨日は宿についてからすぐに爆睡してしまったせいで今朝もお湯で体を拭いたのみだったのだ。それに、来る前は弟と手合わせ。吐き出した尿と混じった下着の中はもう、えらい臭いだった。色もすごい。思わず顔をそむけてしまうぐらいの。
「やだ、やだ大佐、見るな……ッ!」
「シャワー、浴びてこなかったのかい?パンツもこんなに汚れて……いい匂いだ」
「ひ、いやだ……もッ」
くん、と背後から臭いをかがれ、今度はパンツを降ろされる。座っている状態だったためそこまで下げることはできなかったが、小ぶりなそれを取り出すのには十分な隙間だった。ふるんと出てきたそれは下を向いていて、吐き出した液体に濡れている。もちろんそれは言うまでもなく、オレの小さな……
「や、やだ……やだ、やめろってぇッ」
「大丈夫、触らない、触らないから」
「やだ、いやだ……!」
そういう問題じゃない!叫ぶ代わりに情けない声が漏れた。もういっぱいいっぱいだ。いやだいやだと、そんな言葉しか出てこない。どうしてこんな時に、見たくもない自分の息子とご対面しなければならないんだ。上司にパンツをはぎ取られ性器をむき出しにされる部下なんて聞いたことがない。どこの喜劇だそれは。
触らないという宣言通りに、マスタングの手のひらはオレのそれの周りを囲むように添えらえている。触られてはいない。けれど、濡れた手袋でぬるぬるとそれの周りをなぞられると、直接触られるよりも不快だ。
「頼む、頼むから、し、しまって……!」
自分がどんな恥ずかしい事を言っているのかは理解しているけれど、懇願するしか他はない。なんせ、力が入らないのだ。
「そんなもったいないことできないな」
ぴったりとくっつけられている背中は離れない。むしろ、もっと近くで見たいとばかりにぐっと身を乗り出してくる。はぁ…はぁ…ッと熱い吐息が今度は耳元に注ぎ込まれる。きっと、頭上からはむき出しになったそれがよく見えるのだろう。と、ごりっと何か固いものが背中、いや臀部の少し上付近に当たった気がした。なんだ。軍服の何かだろうか。でも軍服のこの部分に固いものなんてあっただろうか。疑問に思っているとマスタングがもっと密着してきた、と、同時に、ごりっ、ごりッとさらに擦りつけられる固いもの……が……
「ひぃッ」
目に見えるくらい肌が泡立つ。か細い悲鳴が喉の奥から漏れた。オレも男だからわかる。だって、だってこれは。大佐の。
「へんたい!へ、へんたいぃ……!」」
オレがおしっこをまき散らしているのを見てこいつ―――起たせやがった!
衝撃の事実だ。変態変態だとは思っていたが、まさかここまでとは。
「当たり前だろう、君がおしっこをしている姿を見てこうならないわけがない」
どうしてそこで誇らしげに微笑むんだ!
「わー!わー!アルーー!」
「あんまり騒ぐと人が来る。君はおしっこまみれのこの姿を誰かに見せたいのかね?まあそういうプレイなら私も喜んで」
「ふざっふざけんな、てめッ……!」
「それにしてもずいぶんと小さいな。毛もまだ生えそろってなくて、剥けたばかりなのか?いい色だ……」
「いうなバカぁ!」
個人的な下半身事情も暴かれるなんて、もうオレ、お嫁さん貰えない。
「さ、出しなさい。見ていてあげるから」
「たい、大佐やめっ……どけろ!」
「ダメだ。君が全部出したなんて嘘をつくからだよ、本当に出しつくしたのかはちゃんと見てみないとわからないからね。ほら、見てごらん、まだ出したりないと先っぽがばくばくしてるじゃないか……」
おいしそうだ、なんて付け加えられた言葉は聞かなかったことにしたい。全力で。
「違う、って、もぅ出ないんだってば!」
「そんなわけないだろう、ほら」
「……ぇ」
ぐっと腹部に感じた圧。大佐の手のひらに容赦なく、下腹部を押し込まれる。
「あっやッ、おすな!」
ぴくんと小さく跳ねた先端から、ちょろっと液体がこぼれだしたのを超ド級の変態は見逃さなかった。さすがの変態力だ。ぐっぐっと連続しておされるたびに、ぴゅくっぴゅくっと、開閉する鈴口から跳ね上がるように尿が溢れ出す。
「うそ……!?うそ、なんで、や、変……!」
「まだまだ溜まってるじゃないか、鋼のはおしっこの量が多いんだな。ほら、もっとしーしーしなさい」
「や、ぁあ、やめぇっ」
「ここからだと全部丸見えだよ。ほら、君のおちんちんの先からおしっこがどんどん出てくる。噴水みたいだな」
「バカ、バカぁあッ……~~~!」
ばたばたと暴れる体は大人にとっては些細な抵抗らしい、ぐ~っとより一層強く長く押され、じょろろ~~……と、緩やかな放物線を描いた液体が垂れた先からさらに溢れ出した。みるみるうちにマスタングの手袋が、敷かれたシーツと皮張りのソファの間が汚れていく。あっという間に、小さな水たまが出来上がった。
「ひ、ぁ、あ……ッ」
「鋼の、手を」
「~~~ぅ、うぅうッ」
ぎゅっと何かに両手を握られる。見ればマスタングの手だった。濡れた手で触ってほしくなどないけれど、もうそんな事を言う余裕もない。手を振りほどこうと力を込めるが、ただでさえ力が入らないうえ大人の腕力には叶わなくて。大きな手に誘導されるように自身のそれを握ってしまった。生暖かな、ふにゃりとした触感に、ひやりとした体液の冷たさ。
「擦って、全部出しきりなさい」
耳元で囁かれた声に首を振るが、大人の手のひらにやんわりと包み込まれて強制的に上下に擦りあげられる。強くしごくたびに、じょぼッ、じょぼぼ、と勢いよくあふれる黄色い液体は一向に止まる兆しを見せない。膀胱がバカになったみたいだ。
「や、だぁぁあ、止まんなッ、とまんなぃ!おしっこ止まんない……!ぅあッ」
「うんうん、止まるまで全部吐き出しなさい」
「ぅあ、ぁああ、や、助けッ……」。
「助けてあげるから、もっと擦るんだ。一滴でも残っていたら、等価交換にはならないよ」
「なん、なんでこんな、にぃ……!ぁああぁああッ」
がっちりと足で押さえつけられたまま大佐の手を重ねられ、より一層激しく、強くごしごしと上下に動かされれば溢れ出る尿は勢いを増した。ぶしゃあっと噴水のように吹き上がるそれが口元にまでかかってしょっぱい。マスタングにもかかっただろうが、じゅるりという音がするにきっと舐めてる。変態だなんて、叫ぶ余裕ももうなかった。
最後にひときわ強く根本をぐにぐにと刺激されて、膀胱に残っていた最後の一滴まで吐き出してしまった。
「はぅ、ああ、……ッ」
ぶるぶるっと、たまらない放出感に打ち震える。仰け反った拍子にマスタングの胸元に頭を擦り付けたようになってしまった。恍惚した表情のマスタングと目があい、何を勘違いしたのか額にむちゅうと生々しく唇を押し付けられる。
疲れた。ものすごく疲れた、たった一度おしっこをしただけなのにこんなにも疲れた。
もう、どうでもいい。顔をそむける気力もなくて、何度も額に口づけられながら放出の余韻にひたる。全部出しきった頃には、オレの手も大佐の手も尿まみれだった。
「はぁ、はぁっ……」
「いっぱいでたね、これで尿道の中も空っぽだ……鋼の、可愛かったよ」
かわいい、こんな男に言われたってうれしくない。しかもこんな場所でそんな言葉。バカなのか。臭いはもう言わずもがなだが、視界の隅に見える床だって濡れている。シーツもぐしょぐしょで、ソファなんて水分をはじくところか存分に吸いこんでいる。手を置いたところも湿っていて、もうあたりは目も当てられない惨状だった。
「次はもっと君の役に立つ文献を用意しておくからね」
次なんてない、次なんてあったら絶対に逃げる。心の底からそう誓える。
しかし、問題は果たしてオレの想いがマスタングに届くかどうかだ。この男のことだ。きっと。
「もう君しかいらないよ鋼の。私には君だけだ。だから悪いことは言わない。私から逃げようだなんて考えないことだ」
やはり、案の定だ。どうして考えていることがばれてしまうのか。
「君の考えていることなんてお見通しだよ。何せ私は君に惚れてるからね」
ああ、アル。ごめん。兄ちゃんたぶん、間違った。
変態はただの変態じゃなく、超ド級の大変態だ。そんな男から逃げ切ることなど、きっと不可能だ。
今起こってしまった出来事を記憶から抹消しようと奮闘する中、今後襲い来るであろう恐怖の未来に向かっても想いを馳せる。だから、気が付かなかった。
「……なるほど、すごい効き目だったな」
マスタングが濡れた手袋を舐めながら小さく呟き、テーブルの上に置かれていたガラスコップに視線を移したことに。
残しかけのアイスティーの氷が、カランと音を立てて崩れた。
「あ、兄さん、はやかったね」
宿に戻ると、弟はベッドの上で本を読んでいた。
先に帰っていてほしいという伝言を弟に伝えていたというのは、どうやら本当だったらしい。
まったく、なにからなにまで用意周到だ。あんなに救いようがないほどの変態なのに。
「あれ、兄さん、なんか服綺麗になったね。髪もばさばさじゃないし。シャワーでも借りたの?」
びしりと固まったオレに、アルフォンスが怪訝そうに首を傾げた。
あの後、結局シャワー室を借りた(あたりまえ)。下半身がもう濡れまくっていたので廊下を歩けるような状態じゃなかったために、いやいや抱き抱きかかえられてシャワー室に向かったことだけでも屈辱なのに、マスタングはあろうことか私が洗ってあげようと個室に乱入してきたのだ。その時ほほを染めながら、次はこっちの中を洗おうか、なんて尻穴につっと指を這わせられて血の気が引いた。服をひったくり、逃げるように司令部を後にきたのはつい先ほどの事だ。
つい鋼の右手でマスタングの頬をぶん殴ってしまったのも、オレのせいではない。
裸のまま倒れこんだあの男は生きているだろうか、まあ変態だし、そう簡単には死なないだろうけど。
今頃、オレが汚した執務室を掃除してんのかな。きっと、気持ち悪い顔で床とか拭いてるんだろうな。
ソファとか床とか舐めてたらどうしよう、いやさすがにそんなことは、そんな、ことは……あるかもしれない。
何も、奪われてなどいない。手に持っているトランクの中には、ずっと欲していた文献と、会ってみたかった人物の住所がかかれたメモがある。そうだ、手にすることができた。
それに、直接触れられたわけでもない。そうだ、触られてはいないはずなのに。
何か大事なものを奪われた気がする、絶対。
「……アル――――――!」
「うわっ、なんだよ暑苦しい」
大きな巨体にがばりと抱き着く。ひんやりとしたオイルの匂いに安心して、オレは声を上げて喚いた。
「アル、兄ちゃんもうお嫁にいけない……!!」
「……何があったの?あんまり聞きたくないけど」
やっぱり囮にされた時に刺し殺しておけばよかったと思っても、もう後の祭りだった。