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わからない。

自分が何をしたかったのか。何を得たかったのか。

 

ロイ・マスタングは暗い夜道を歩いていた。街燈もないこの薄汚れた路地を、月明かりだけがさんさんと照らす。その月明かりを一身に浴びながら、ロイ・マスタングは暗い夜道を歩いていた。

ふいに、目の前に躍り出てきた金色の目に視界を奪われる。小さく、みゃあと鳴いたそれは、暗闇の中で爛々と輝く二つの眼をマスタングに向けた。その敵意溢れる視線に射すくめられて、マスタングはしばし歩くことを忘れた。

絡み合う、金と黒。

全く動かない黒の物体に焦れたのか、黒猫はそのままさっさと暗い闇夜に消えた。その残像のように目の前を流れて行った金の流れ星に目を奪われ、マスタングはしばし呼吸をすることを忘れた。

 

夜の帳は、未だ飽きることなくマスタングを包み込んでいる。

震える吐息を吐き出しながら、彼は闇夜に吸い込まれるように足を踏み出した。

カツンカツンと、靴が鳴る。その上等な革靴の音色を聞いている人間は、マスタング以外は誰もいない。

そう、誰もいない。マスタングは、この沈んだ夜の中で独りきりだった。


 

今しがた、金色の少年を抱いてきた。

今頃あの子は、マスタングの家のベッドの上でシーツにくるまっていることだろう。

全てのものから、小さなその身を庇うように。

 

シーツに散った赤の色。それを見た瞬間は、これ以上ないほどに興奮した。

今でもその瞬間を思い出すだけで、指先が小さく震えるぐらいには。

 

抵抗は、初めだけだった。弟の名前を出した瞬間、面白いぐらいにぴたりとそれは止んだ。

頬は、何度か張った。一度目のことはよく覚えている。服を脱げと命令したのにも関わらず、硬直したかのように動かなかった時だ。二度目はたぶん、目を開けろと言ったのにも関わらず、金色のそれを瞼の裏に隠していた時だ。三度目からはもう、あまり覚えていない。

髪も、数えきれないぐらいに引っ張った、と思う。ぶちぶちと、流れるような金の糸が手のひらに絡みつく感触が未だに残っている。足で、何度か蹴ったりもした。耐えきれないと言う風に、ベッドから転がった子供を右脚で。子供のくせに、筋肉質なその肢体は結構な弾力があって、一度蹴ったぐらいではあまり堪えてなさそうだった。だから。

首も、三回程締めた。一度目は、声を聞かせろと言ったのにもかかわらず、血が滲みでる程に唇を噛みしめていた時。二度目は、口を開けと言ったのに、それをしなかった時。

そして、三度目は。


 

どん、とそれとなく大きな音がマスタングの耳に入ってきた。何事かと思って、音のしてきた方に歩みを進める。暫く歩いたところで、ふっと鼻孔を嗅ぎ慣れた臭いが掠めた。慣れたくもないその香りは、彼がかの戦場で、毎夜毎夜狂った様に肺一杯に吸い込んでいたものだ。

 

匂いと共に、身体の隅々にまで流れこんでくる地獄の日々。

救いは何であったのか。

少なくとも、さんさんと照り渡る太陽の暑さに、一時でも暗闇を忘れたことは確かであった。


 

今しがた、思う存分犯してきた彼の少年を思い出す。

シーツに散った赤、排泄器官から流れ出る赤と、その臭いにどうしようもないほどに興奮して、何度がその血を啜った。次第に流れ出る赤だけではもの足りなくなって、そこから零れ出るぐらいの白をその身体の中に注いだ。

今頃あの子は、シーツの中で、混じり合った赤と白に包まれていることだろう。

世界の全てから遮断するように、その身を隠してきたのだから。


 

道の端で、猫が息絶えていた。黒い猫だった。きっと、先ほど見かけた。

車に轢かれたのであろうか、月明かりに照らされたそれから流れ出る赤は、きらきらと光っていた。

きらきらと、光る金色。赤色の海に沈むそれは、月の明かりよりも美しく光って。



 

最後のほうで、思い出したかのように始まった抵抗に、ふいを突かれた。

もう嫌だと、助けてと、狂ったように錯乱した彼の少年は、どこにそんな体力があるのかと驚いてしまうほど、俊敏に動いた。咄嗟に動くことができなかったのは、決して涙を流すことのなかった少年の、その瞳に揺蕩う水面に目を奪わてしまったせいだ。

彼が目指した先は、窓の外。

瞬く星。

煌めく月。

零れる涙。

流れ星。

落ちる、金色の。

 

流れ星。






 

地面に散った赤の色。それを見た瞬間は、これ以上ないほどに恐怖した。

今でもその瞬間を思い出すだけで、指先の震えが止まらなくなるほどに。


 

首は、三回締めた。一度目は、声を聞かせろと言ったのにもかかわらず、血が滲みでる程に唇を噛みしめていた時。二度目は、口を開けと言ったのに、それをしなかった時。

そして、三度目は、溢れ出る赤を止めたくて、戦場で聞き齧った医療知識に縋った時。

 

開く瞳孔。金色の瞳は、しばらくしてから濁った灰色になった。

冷たく固い地面の上に置いておきたくなくて、はやく温めてあげたくて、部屋に運び、真綿色をしたシーツでくるんで、ベッドに置いた。冷たくなった頬に、唇に、何度も口づけをしながら。

 

わからない。

自分が何をしたかったのか。何を得たかったのか。

あの子を、自分のものにしたかったのか。憎まれても怯えられてもいいから、身体だけでも手にいれたかったのか。

願い通り、身体だけは手に入れることはできたのだ。

冷たくなった小さな身体を震えるこの腕に抱きしめた時、彼は確かに自分のものだった。

しかし、今は誰のものでもない。

魂の抜けたその身体は、彼の少年、本人のものでもない。

それが、どうしようもなく。―――どうしようもないほどに、哀しくて。




 

今しがた、エドワード・エルリックだったものを置いてきた。

今頃あの子は、赤く色づいたシーツの中で、冷たく、硬くなっていることだろう。

世界の全てから遮断されたあの子は、一人シーツの中に取り残されて。

そして、全てのものから小さなその身を隠した男は、








 

一人、崖の上にたった。

はやく、一刻でもはやく、彼と同じ流れ星になりたくて。

「大佐、エドワード君が病院に運ばれました。アルフォンス君が見つけたんです。帰りが遅いと気になって大佐の家に行ってみれば、心配停止状態のエドワード君がいたそうで。ひどい有様でしたが、とりあえず、呼吸は戻りました。持ち直しましたよ。危ない状況は続いているようですが、きっと助かります。ところで大佐、どうしましょう。私としては貴方をこのまま放置して置きたい気持ちは山々なのですが。―――救護班を呼びますか」

 

打ち所が悪かったのか、崖の上から飛び降りたロイ・マスタングには息があった。

意識も、思いのほかはっきりしているようだ。虚ろな瞳で副官を見上げるその顔は、はっきりと驚愕に彩られている。

どうやら、耳も聞こえているらしい。

 

「選んでください。このまま私に見殺しにされるか、病院に運ばれた後アルフォンス君に殺されるか、容態が回復した後にエドワード君本人に殺されるか。どれがいいですか?」

 

遠くから聞こえる、救護の音。きっと、初めから選ばせる気はなかったのだろう。

冷静沈着と名高い麗しの副官は表情を変えずにマスタングを見下ろしていたが、その指先が小さく震えていることにマスタングは気が付いた。

 

流れ星になり損ねた男は、一瞬だけそのあざだらけの顔を歪めたあと。

その青ざめた唇で、同じく流れ星になりそうのない子供の名を小さく奏で。

頭上を横切った金色の小さな流れ星に向かって、祈った。






 

どうかこのまま、彼が助かりますようにと。

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