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その大きな背に、祝福

(プロトタイプ版)

鐘がなる。祝福の鐘が。

 

 

「すごいね兄さん。准将、堂々としてる」

「……」

「兄さん?」

「あ?ああ、そうだな。っかー、相変わらずスカした顔しやがって」

「そんな事言わないの、せっかくのおめでたい日なんだから。ほら見てよ」

 

朗らかに笑う弟が眩しくて顔を背ける。違う、これは言い訳だ。

見たくなかった。赤い絨毯の上を歩く、白いドレスを身にまとった花嫁も。

そんな花嫁と腕を組み赤い絨毯を進んでいく新郎も。 滞りなく進んでゆく式。参列する親族、式に呼ばれた友人達。この空間の全てが彼らを祝福していた。

背筋をしゃんと伸ばして立つ軍人達もだ。一部は忌々しく顔を歪めているが、どうせ昇進できぬ奴らだろう。

 

そして、どうやら自分は友人の枠組みに入るらしい。

 

用意された場所はその席だった。

独りだった。

この明るさに満ちた澄んだ空間の中で、周りにバレぬよう目をふせ、きらびやかな足元ばかりを見つめ、全てを遮断しようとしているのは自分だけだった。

あちらこちらから湧き上がる幸せの音色たち。いくらでも耳に飛び込んでくるというのに、なぜだか心は静かだった。

 

『へえ、アンタもついに身を固めんのか、祝福するよ』

 

そう言った時に返された、くすぐったさに包まれた彼の微笑み。

冷静で、冷徹で、頭の回転がはやくて、部下思いで、いつも年上の余裕を崩さぬ彼が初めて見せた、無防備な顔。

 

最近、彼をまとう雰囲気がさらに柔らかくなったと、彼の部下の一人が言っていた。

いい相手に出会えたのだろうと、タバコの火を消しながらそう笑った部下の一人も、喜ばしそうに眦を細めていた。

彼の腹心の部下も、ようやく落ち着いてくれたわと、滅多に見せない微笑みを浮かべていた。

愛されていると思った。彼が、そして、彼が選んだ唯一の人が。

 

彼は、見つけたようだった。

これから歩んでいく道の中で、共に並び、進んで行ける誰かを。

愛情を、ひたむきに傾けることができる、誰かを。

それは全て、今、彼の隣にいる見知らぬ女性のため。

 

 

傍を通った新郎。一瞬だけ目が合う。

唇だけを祝福の形に動かして、手を叩いてやれば深まる笑み。

 

──今、彼の襟を掴み上げてキスをしてやったら、彼はどんな顔をするだろうか。

 

その、今日のために新調したであろう小奇麗なスーツを、皺になるほどきつく握りしめてやりたい。

きっと口づけた瞬間、彼の笑みは凍るだろう。

 

 

あの時、いつものように憎まれ口を叩けたのがもはや奇跡に近かった。

震えていた拳に、彼は一生気が付かないのだろう。

気づいてもらおうとは思っていない。

ただ、見えない部分の痛みと暫く付き合うことになるだろう現実があるだけだ。

 

新婦が投げたブーケ。手に取ったのは幼馴染だった。

普段はスパナを持つ手を可憐に折り曲げて花のように顔を赤らめ笑っている。

 

『ほら、次は君の番だ』

 

目の前を通り過ぎ、今はその背しか見えない彼の声が、聞こえた気がした。

 

もしも資格を返上していなければ。その他大勢の友人の中の一人ではなく、彼を支える部下の一人として在れたのかな、なんて。

 

高らかに鳴り響く祝福の鐘。上がる、高らかな歓声。

 

 

──ああ、ちくしょう。なんて、綺麗な空だ。

 

 

場違いな想いを胸に秘めたまま、顔を上げる。

教会外の空は青く澄み渡り、雲一つない快晴だった。

まるで、エドワードを嘲笑うかのように。

 

痛む胸を押さえつけて、空を漂う風船を見つめる。

漂う青色の風船に、どこからか飛んできたのか、黄色の風船がぶつかる。一瞬だけ絡まる糸。しかし、それは直ぐに離れた。

上昇を止めた黄色い風船を置き去りにして、青色の風船が、ゆったりと空へ昇っていく。離れていく、だんだんと。

 

​鐘がなる。祝福の鐘が。

 


──アンタの未来に、祝福を。それだけでいい。
 

 

 

 

宴は続く。

小奇麗に舗装された、専用の庭、道。

一人、シャンパンを片手に立っていたオレの直ぐ傍を、幸せそうな笑みを湛えたかつての上官が、すれ違った。

隣に美しい花嫁を連れて。

 

「鋼の、またいつかゆっくりと」

 

彼は?と可憐に顔をあげた花嫁に唇を寄せて、秘密ごとのように微笑んだアンタに、オレも曖昧に笑う。

いつかは、いつかだ。

いつか、彼と、彼が愛した唯一の人の前で、オレが笑えるその日まで。

 

 

彼女に、彼はなんと言ったのだろうか。鐘の音に紛れて、聞こえなくてよかった。

 

もし友達だと、彼の口が言ったのなら。

今度こそ、勢いにまかせて彼に、口づけてしまいそうだったから。

 

幸せの雑踏の中の、一瞬の邂逅。自然な動作で背けられた黒い瞳を、並んで別の人々に挨拶をしに行く二つの背中を、見送る。

 

これが、アンタとオレの距離。それなのに。

 

こんな時でさえ、目に入るのは綺麗な白いドレスをまとった曲線豊かな女性の背ではなく。

固くて大きい、アンタの背だなんて。

 

 

弟と、幼馴染の声がする。

ずっと見上げて、手を伸ばしてきたその背に、こちらから背を向けた。

数年の歳月は、大きい。

口に慣れてしまったシャンパンの味を飲みほし、静かに『家族』に向き直る。

 

「綺麗な式だったね、兄さん」

「ねえエド、みてみてこのブーケ。グレイシアさんが作ったんだって!」

「へえー。やっぱり器用だな、グレイシアさん」

「そういえばね、グレイシアさんの作ったアップルパイが……」

 

楽しそうな幼馴染と弟の会話の中に混じりながら、再び見上げた空。

上昇していった風船は、もう一つも、見当たらない。そろそろ、夕暮れ時だ。

青から朱に変わった空から視線を外し、震える手に握りしめていた招待状を、閉じる。

 

 


遠くで、夕刻の鐘が鳴った。

 

ああ、今度こそ。

 

 

 

フィナーレだ。

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「その大きな背に、祝福を」のプロトタイプ版、エドワード・エルリック視点のお話。

鐘がなる。祝福の鐘が。
 ──どうか、どうか。

あちらの彼に、祝福

 

 

 

 

 


 青い空の下、その日はやってきた。
 この異常な執着を手放すことを決めた日。身を固めると宣言した日。それを君に伝えた日。全部憶えている。
 そして、今日はそれが現実になる日。

 


 さあ、時間だ。
 姿勢を正す。君の前ではいつだって格好つけていたい。

 


 参列者席には、親族、数は少なくとも愛すべき友人たち、そして同僚。空間の全てが幸せを祝ってくれていた。
 きっとこれが『幸せ』の形なのだと思う。
 誰かの幸福を願い、祝い、そして笑う。

 


 その『幸せ』の一角に、友人というには歳の若い3人の顔があることは、だから、喜ぶべきことだった。彼の幼馴染の少女までも一緒に招待したのは彼が断る理由を先回りして潰した結果なのだけれど、それでも。
 


 皆、笑顔を浮かべていた。もちろん、エドワードも。
 私の顔を見るときの生意気な顔。悪戯な笑みは実はアルフォンスも似ているのだと知った。ウィンリィ嬢と、未来を想像したのか照れ笑いする顔。はにかむように祝いの口上を述べる顔。

 


 ああ、鋼の錬金術師がいる。
 


 弟と。幼馴染と。最後に会ったときよりも成長した姿。正装した姿は、どのアングルで切り取っても絵になるだろう。
 朗らかに笑う弟に何か言われて、唇を尖らせて。
 ドレスアップした少女につつかれて、顔を背けて。
 何を話しているのかはここまでは聞こえない。想像も、できない。
 そう、君は式典は苦手だった。少しつまらなそうに。それでも、傍を通った際には祝福の形に唇が動いた。どこでそんな気障なことを覚えたのだろう。

 


 間のテーブルにて、背筋をしゃんと伸ばして立つ軍人達の厳かさに、どこか救われる。場違いにも苦々しい顔をした御仁に笑いが込み上げ、慌てて堪えた。
 これが、彼と、私の距離。

 


 滞りなく進んでゆく式。雑然とした空間、たくさんの声がいくらでも耳に飛び込んでくるというのに。きちんとそれは耳に届いていて、掛けられた声には当たり障りなく返事をし、堅苦しさを極力省いた式の行程をこなしていくのに。
 この明るさに満ちた空間の中で、彼の周りだけが澄んでいるように見える。
 あぁ、実際にこの日が来たとしても、やはり何も変わらない。そう簡単にはこの感情を遮断することはできないようだった。

 


 なぜだか心は静かに凪いでいて。彼の挙動だけがよく見えた。
 


 赤い絨毯の上、腕を渡るようにして隣に並んだ女性――妻になる人と揃って歩く。
 白いドレスを身にまとった花嫁は、これが政略結婚だということを理解している賢い女性だ。自分の出自を武器として使うことも、与えられた才を磨くことにも躊躇がない、強かな女性。伴侶として選び、選ばれた。
 金の髪でないことが決め手であったことは公言しなかったけれど、訊ねられれば曖昧に躱すしかなかった。笑って、こんなところでも私はラッキーなのねと受容してくれた。二度と恋愛はする気はないという遠回しな牽制を汲み取って、大事な恋は一生に一度で十分、墓まで持っていけばいいのだと、言い聞かせるように呟いていた背中は小さくて。
 きっと、大事にできると思う。
 私の中の君を。君への許されない想いごと、何も知らないまま、そっと認めてくれた女性(ひと)だ。

 


 いい相手に出会えたのだろうと、部下たちは言う。それは否定しない。
 肩の荷が下りたように、14も年下の、もう遠く離れてしまった相手を想うことが辛くなくなった。墓までこの想いと添い遂げてよいのだと。卑怯にもその甘美な誘惑に乗った。

 


 いい相手に出会えたのだと、愛した相手を称することはできなかった。特にあの頃は。
 自分が愛した、唯一の人。
 一回りも年下で、同性の、生意気な錬金術師。色恋沙汰にはどう考えても適さない相手。
 どうして出会ってしまったのだろうと、信じていない運命とやらでさえ呪った。
 彼を愛する素晴らしさは、彼を愛せない辛さに押しつぶされてしまっていた。
 欲しくて手離したくなくて、装うことが苦しくてつらくて、それでも隠し通して手を離したのはきっと、君への愛故なのだと信じたい。それとも、結局は自分が臆病なだけだろうか。
 どちらでも結果は同じだ。エドワードは『幸せ』の中で笑っていて、私はここにいる。

 


 滞りなく進んでゆく。
 誓いのキスは頬がいいわと彼女は言った。親愛のキスがお似合いでしょうと。
 手の甲に贈らせてくれと自分が言った。貴女に敬愛を捧げると。
 形式に則り、跪く。捧げ持った手は、傷一つなく美しい。ゆっくりと、口付けた。

 


 鋼のの唇に一度だけ触れたことがある。本人は気づいていないだろう。
 私も、よく覚えていない。
 柔らかな感触と、幸福感と、それを上回る後悔。安眠のしるしに小さく開いた、小さな唇。

 


 何度も夢の中で汚した。罪悪感と付き合うことには慣れてしまっていた。
 もうやめようと決めてから、悪夢だったそれは、唯一の救いになった。
 今日立つこの場所で彼と誓いのキスを交わす夢は見たことがない。ハッピーエンドが訪れないことを理解している自分の脳内に苦笑する。
 ──ハッピーエンドとは、なんだろう。生きている限り、終われることなどないのに。

 


 滞りなく式は進む。会場中の視線を集めたまま進む。金色と目が合ったのは気のせいではないだろう。
 君は知らない。その拍手が、祝福の拍手が。君の未来を守ったことを。知らず笑みが浮かぶ。

 


 あのとき。
 『祝福するよ』と返されたとき。
 間違いなく自分は安堵したのだ。

 


 君が、少しでも独占欲のような感情をぶつけてきたとしたら。過ぎた好意を感じたら。
 それを上回る激情できっと自分は、君を雁字搦めにしてしまっただろう。
 混乱するであろう隙を見逃さず。取り戻したばかりで細い右腕をきつく掴んで。そんなつもりではなかったという言葉に耳を塞いで。執着のすべてを以って喰らいついてもおかしくなかった。そんな狭間にいた。

 


 彼から視線を外し、目の前を通り過ぎる。背中に感じる視線。見えないのに主張する存在。心が浮き立つ。
 彼が『幸せ』の中で、私を見ている。

 


 ブーケトスというのは、幸せを繋ぐ儀式だと言う。新婦が投げたブーケが、宙に舞う。今は亡き親友の奥方がこの日のために作ってくれ、忘れ形見の娘が祭壇まで届けてくれた、心なしか赤い色が多いブーケ。鮮やかなその行先ではなく、舞い上がった花びらが散っていくのを目で追った。綺麗に舞う。人の波の間に消えていく。
 わぁっと歓声が上がる。顔を上げた先、『幸せ』のバトンを受け取った彼の幼馴染が、笑っていた。普段は工具を持つのだとは思えない細い手。彼の赤いコートの袖に絡まっていた白さを思い出す。可憐な腕がブーケを抱き締める。
 そうか。

 


 ──ほら、次は君の番だ。
 


 そう、声をかける距離を守ってくれたのだと。
 彼のことを、父親のように愛することのできた親友からの餞だと思うのは、あまりに感傷的すぎるだろうか。
 目を細めたのは、青空の下の君が眩しかったせい。黒いスーツ姿に金色が映える。どうも見慣れない。彼の表情は、よく見えなかった。

 


 高らかに鳴り響く祝福の鐘。上がる、高らかな歓声と、盛大な拍手。
 教会外の空は青く澄み渡り、式は滞りなく、色とりどりの風船がそこに浮かぶフィナーレ。

 


 鋼のの唇に一度だけ触れたことがある。穏やかな吐息を塞いでしまったのか。指先でそっと辿ったのか。私も、よく覚えていない。
 


 赤と青の風船が、一瞬だけ絡まって、また思い思いの方向に飛び去っていく。
 


 君に祝福を。それだけを願うキスを、いつか贈ることができればよかった。
 もう子供とは呼べない君に向けて、そんな機会は訪れないだろうか。だからもう、祈るだけになってしまうのだけれど

 


 黄色の風船が、風に煽られたのかいったん上昇を止め、そのあとまっすぐに昇っていった。
 


 皆が空を見上げている。
 彼の横顔は、もうすっかり青年だった。遠ざけた距離は彼の時間をあっという間に追いつけないものにしてしまった。
 恋を知ったのかもしれない。新しい道を見つけたのかもしれない。もう、知る術は少ない。

 


 君に触れたのも。手を離したのも、この間のことのようなのに。
 この感情を飼い慣らして、君をずっと手元に置いておくことができたなら――いや、彼にはそんな枷は似合わないだろう。狗の鎖で繋がれていたのがイレギュラーだっただけ。
 いや、そもそもどこまで私は彼を──いや、もう止そう。

 


 鐘がなる。祝福の鐘が。
 ──君の未来に、祝福を。それだけでいい。

 


 見えなくなった風船に、ざわざわと雑踏が戻ってくる。花嫁とふたり、礼をして。
 


 鐘がなる。君が、私の知らない『幸せ』に帰っていく、カウントダウンの鐘が。
 ──目に入った金色が眩しく反射して、ああ、きれいないろだと、少しだけ瞼を閉じた。


 


 交わした言葉は少しだけ。
 またいつかゆっくりと。そう言ったら君は曖昧に笑った。いつかは、いつかだ。
 彼と、弟と、幼馴染。
 その3つの背中を、長く伸びた影を。いつまでも見送った。

 

 

 

 

 


 遠くで鳴ったのは、夕刻の鐘。
 予定が滞ることはなく。特別な1日が、終わる音がした。

 


 

 

 

 

 

 

 


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それすさんの「その大きな背に、祝福を」のプロトタイプ版につけた、ロイ・マスタング視点のお話。

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