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時々、いま何をしているんだろうと考えることがある。

 

 


 アイツと同じ色の青い空を見上げた時や、同じ色の夜空を見上げた時だ。またたく星なんて、アイツの肩についてた三つの勲章とそっくりで腹がたつ。高笑いまで聞こえてきそうだ。ぶっちゃけ気が散る。
 探し物に集中したいのに、弟と文献を読み漁ってる時も、泊まるホテルが見つからなくて野宿してる時も、アイツを構成する色やものが目に入ってくるとあの飄々とした顔をすぐに思い出しちまうだなんて。

 別に、アイツのことなんてどうとも思っちゃいない。ただ思い出すだけた。今何をやってるんだろうとか、何を考えているんだろうとか。
 どうせまた仕事サボって中尉に怒られてんだろうな、それとも忙しそうに軍務に追われてんのかな、どっかの女とデートでもしてんのかも、女好きだからな。小憎たらしいやつ。
 でも普段はそういうスカした面してやがるくせに、ここぞという時には体張って部下を守ろうとしたり、自分の命なんて二の次って顔して戦ってる時もあったりする。全く不器用な男だと思う。わかりにくい優しさってやつ? 青い軍服に黒いコートを翻して大真面目に敵と対峙してた時なんて結構格好いい……って違う違う。別に格好いいなんて思ってないし思ったこともない。見惚れたことなんてない。絶対ない。ちょっとあまりにもいけ好かないやつだから頭の片隅からひょっと出てきちまうだけだ。あーイライラする、アイツのことだ、まだ探し物はみつからないのか、ん? 相変わらず君ってやつは……とかオレのことバカにしてんだろうな。殴りてえ。
 どうせオレみたいに、アンタと同じ色見つけただけでしばらく動けなくなったりもしてないんだろうな。黒髪の人とすれ違ってつい目で追ったりとかも。
 でも、仕事の息抜きに窓の外を見上げた時に、一瞬だけ。ちょっとぐらいは。
 ──オレのこと、思い出してくれてないかな、なんて。


「って、だからちがう、そういうんじゃねえって!」
「何がちがうんだい?」
「わっ!」


 想像していたのと同じ声が耳元で聞こえて、思わず飛び上がる。振り向けば、そこには脳内で皮肉げに笑っていたのと同じ顔が、同じような笑みを貼り付けて立っていた。一瞬にして青ざめる。予想外過ぎた。


「なっ、なん、なんで、てめえ」
「こんなところで会えるなんてすごい偶然だな」


 からりと笑う男の後ろでは、弟が申し訳なさそうに肩をすくめていた。


「アル!」
「ごめんね、さっき駅で会ったんだ。兄さんがいるって話したらどうしても会いたいって」
「お前な、あれほど……!」
「まあそう怒ってやるな、久々の再会だ、喜んではくれないのかな?」
「けっ、だーれが」
「君は相変わらずのようだな。では改めて……鋼の、久しぶり」


 耳に馴染む低音に、胸の奥がどんどんと熱くなる。煌びやかな微笑みが耐えきれなくて、苛立たし気に髪を掻きむしる振りをして顔を背けた。どうしてさっきの今で、しかもこんな旅先で。自分を見下ろしてくる甘い顔をまともに見ることができなくて、遠い空を半目で睨みつける。今直ぐにでも逃げ出したくてたまらなかった。地面で何度もたたらを踏む。そんな子どものような態度にしょうがないなと苦笑をするくらいなら、今すぐにでも気分を害してどこかへいってくれればいいものを。
 

「なんでこんなとこに、アンタがいんだよ」
「仕事でね」


 簡潔な答えに苦虫を噛み潰す。それ以外の回答を無意識のうちに求めていた自分に気が付いて、いやになったからだ。
 

「本当に偶然だったんだ、駅でアルフォンスに会った時は驚いたよ」
「ボクも驚きました」
「オレだってまさかアンタがいるとは思わなかった。さっさと別の街に行っときゃよかったぜ」
「遠くからでも直ぐに君だと気づいたよ。相変わらず小さ」
「その先まで言ったらブン殴る!」


 ぎゃんと吠えても、顔を崩さない。それどころか益々笑みが深まるばかりだ。


「ちっとも顔を見せてくれない君への嫌味ぐらい、素直に受け取りたまえ」
「ふざけんな」
「……こちらに戻ってきているとは知らなかったよ。元気そうで、安心した」


 からかい交じりだった口調に、僅かな安堵と喜びが含まれた。その真摯な台詞にちらりと視線を投げる。オレを見つめる漆黒の視線は、相変わらず真っすぐだった。バレないようにこみ上げてきたものごと息を吐く。いっそのこと、心ごと吐き捨ててしまいたかった。


「で、探し物は見つかったのかね?」
「アンタの方こそ、どうなんだ」
「私は相変わらずだよ。サボれば怒られるから休む暇もなく毎日働きづめだ。嫌味な連中の相手もしながらね。だから時々は、君たちにも顔を出して貰いたいものなのだが」
「ちげえよ」


 やれやれ、と多忙さを嘆いていた彼は、じとりとした視線に少し考え、ああ、と軽く肩をすくめた。胸に溜まり始めた熱が、より一層大きくなって。


 


 おかげさまでうまくいっているよ、と。
 流す様に振られた左手の薬指に、キラリと指輪が輝く。

 

 



 

 覚悟していた言葉だ。
 それなのに、極限まで張り詰めた熱に肺が溶かされ呼吸すらも痛くなった。





 

 



 

『彼女と結婚することになったよ。すまないね、彼女と先に出会ったのは私なんだ』

 唇に緩ませ、冗談も交えて笑った彼に、強張る顔の筋肉を総動員して、羨ましいと不貞腐れるふりをしたのはもう数か月も前のことだ。オレの彼への視線を、彼女への視線だと勘違いしていた彼らの誤解を解くことはしなかった。そうするのが一番だと思ったからだ。聡明な彼女本人だけは、オレが見てるのは彼女ではないということに気づいていたようだったが。

 

「いくら君でも結婚式には出てくれると思っていたのに。その前にさっさといなくなってしまうとはね」
「オレはアンタと違って忙しいんだよ。アンタを手伝ってたことがイレギュラーだっただけだ」
「一年間も共にいたというのに冷たい奴だ」
「気色悪い言い方すんな!過ぎたことを愚痴愚痴言ってると奥さんに愛想尽かされるぞ。実家に帰られちまえ」
「それは困るな。もうすぐで生まれるというのに」


 彼の左手の指輪が、がちりと視線の端に突き刺さった。
 胸に溜まっていた熱の泥が一瞬にして凍る。素早く思考を切り替えることができたのは奇跡だった。


「予定日は?」
「来月の一日だ」
「まて。ってことは結婚式あげる前には……」
「そうなるな。最初から君の入る隙間などなかったということさ」
「ああそーかよ」


 心なしか、彼の頬も緩んでいる気がする。生まれてくるであろう命を、慈しんでいる表情だ。きっと今が一番幸せなのだろう。もしかしたらどこかの親バカと同じような人間になるのかもしれない。そうだったんですか、おめでとうございます!と素直に喜ぶ弟に会話の矛先を変えた男から視線を外し、空を見上げる。雲一つさえない青が広がっていた。

 

──これからオレのこと鋼のって呼ぶなら、アンタの研究に協力してやってもいいぜ。

 

初めて会った男に妙なことを言われ、彼は、素直に怪訝そうな顔をした。それでも申し出を受けたということは、相当研究が煮詰まっていたということだろう。
 知人から紹介されたとはいえ、赤の他人の研究を手伝う気などなかった。そんなことをしている暇などなかった。けれども手を貸すことを決めてしまったのは、大学教授だという彼があまりにも、アイツに似ていたからだ。
 それは、彼の周囲を囲う人たちも同じだった。私の助手だと、一人の女性を紹介をしてくれた彼は、熱に濡れた瞳で彼女を見つめていた。どんな時でも。
 金髪で、美しくて、厳しくて、聡明で、とても優しい女性。オレたちにもよくしてくれていた。こちらの世界でも彼の側にいるなんて、絆の深さに感嘆した。入り込むつもりなどさらさらなかったが、入り込めないことなんて、二人を見た瞬間にわかっていた。わかっていたんだ。オレが彼女へ抱いているように見せかけていた仄かな恋心なるものを、彼が深く追求することなくさらりと受け流すくらいには。周囲が、勝ち目ねえから諦めなと笑いながら威勢よくオレの肩を叩くくらいには。
 彼と彼女の仲は、既に確立していた。


 

「どうかね、これから食事でも」


 弟と懐かしい話で盛り上がっていた彼が、ぽんと肩に手を置いてきた。オレに話しかける時、彼がよくしていた仕草。白い手袋はしていない。サラマンダーの模様もない。生身の手だ。擦り過ぎて節くれだってもいない、研究者の指だ。アンタとは違う、別人だ。別人だというのに。


「野郎と茶しばいて何が楽しいんだよ」
「君ならそういうと思ったよ」


 ここまで胸が苦しくなるのは、どうしてだろうか。


「思ってんだったら言うな」
「軽口を叩き合う時間くらいあってもいいだろう?」
「はいはいじゃあな、奥さんにもよろしく」
「伝えておこう。たまには私たちの家に顔を見せてくれ、あれも喜ぶ」


 これ以上話すことはない。話すべきではない。ひらひらと手を振り背を向ける。本当に忙しいであろう彼も同じように背を向けた。オレを引き留めることはしなかった。ただ、何を思いついたのか足を止め、一言だけ。


「鋼の」


 ──鋼のと、今でも律儀に約束を守ってくれている彼は、進みにくかった研究を手伝ったオレに少なからず感謝の念を抱いているらしい。それと、厳しい時期を共に過ごしたオレに対する仄かな友愛だろうか。そんなものはいらない。オレが欲しいものは彼からの感謝でも淡い友情などでもない。けれどもそれを彼に言ったとしても意味がない。オレが言いたい相手は、彼ではない。


「たまには、私のことも思い出してくれよ」


 思わず笑ってしまった。その笑みをどう捉えたのか、満足げに目を細めた彼が手をあげ、踵を返した。翻るコート。残った残像が、太陽光によってゆっくりと目に焼き付けられていく。視界に残しておきたくなくて目を細めても無意味だった。
 この世界の神様とやらも、どうやら罪を犯したものをとことん嫌うらしい。
 どんどん小さくなっていく後ろ姿を見つめながら、彼と真っすぐに繋がっている高い空を仰ぐ。

 なあ、いまアンタは何をしてるのかな。仕事サボって、中尉に怒られてんのかな。軍務に追われてんのかな。どっかの女とデートしてんのかな。わかりにくい優しさを持つ不器用なアンタのことだから、体張って部下を守ったりしてんのかな。自分の命なんて二の次って顔をして。
 本当はわかってる。どうでもいいと思ったことなんて一度もない。見惚れたことがないなんて嘘だ。いつだってアンタを見てた。格好いいと思ったことなんて、いくらでもある。殴る代わりに、手を伸ばして触れたいとさえ。
 時々なんかじゃない。オレはいつだってアンタを。ロイ・マスタングを。大佐を。

「元気だったね、ロイさん」
「相変わらずスカした面してんな」
「もう、兄さんってば」
「さっさと行くぞ、日が暮れないうちに」


 


 なあ大佐、会いたいなんて贅沢言わないから。仕事の息抜きに窓の外を見上げて、一瞬だけでも、ちょっとぐらいは。オレのこと思い出してくれてないかな、なんて。
 雲一つさえない遠い空が、眼前に広がる。いっそのこと雨が降って、この空を隠してくれれば思い出さずに済むのだろうか。あの手を、あの目を、あの声を。
 もう認めるしかない。オレの大好きなアンタの存在を。この世界に来てから自分の気持ちに気づいたオレに、アンタはなんて言うのかな。鋼のは相変わらずだなって、笑ってくれるのかな。それとも、バカだなって叱ってくれるのかな。
 アンタに似た彼に、かつての二つ銘で自分を呼ばせてしまう愚かしさを。


 青い空、夜になれば漆黒、そして黄金色にまたたく星。
 この世界の空には、こんなにも沢山の大佐がいるのに。
 この空が続く先に、大佐はいない。

 

 

 

 


 ───なあ大佐、聞こえてるか。オレはきっと、アンタが心の底から驚くくらい。

 

 

 


 

 どこにもいないアンタを、毎日想ってる。

ごがつのさみだれ

***
1925,6.1  ミュンヘンにて

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