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「うちに、帰りたい」
静かに落とされた言葉。
「帰りたい」
「君の家はここだ」
優しい声色でいってやったというのに、子どもはふるりと体を震わせて押し黙った。
こちらを見てほしいのに、その綺麗な瞳は長い前髪に隠されて見えない。ああ邪魔だな。今日は伸びてしまった髪を切ってあげようか。
「エドワード、顔を上げなさい」

怖がらせないように、つとめて静かに声をかける。しかし彼は顔を上げない。
いつもいつも、こちらを見なさいと命令しているのだが、エドワードが素直にそれに従った試しはない。今だって、声が聞こえていないはずがないのに、唇を噛んだままうつむいているだけだ。これはいけない。
「我が儘な子は嫌いだと言っただろう」
すっと腕を伸ばし、エドワードの乾いた唇にそっと触れる。びくりとはねあがった体は、小さく震えていた。このままでは小さく、可愛らしい唇に傷がついてしまう。

彼自身であれ、エドワードの体に傷をつけるのは許せなかった。
「噛むのは止めなさい」
目の下の隈がひどい。1日1日と、彼の体は痩せ干そっていった。エドワードの唇がゆっくりと開かれる。艶かしく可愛らしい舌が見え鼓動が高鳴った。そのまま口付けてやろうと唇を寄せた瞬間。
「……ァル」
消え入るような声で呟かれた言葉に、気がついた時には手をあげていた。
小気味良い音がして、小さな体がベッドの上を転がる。ごろりと、まるでおもちゃのように。
「っぁ……!」
「まだくだらないことを考えているのか」

「ぅぐ」
ぎりぎりと締め上げると、面白いぐらいに小さな顔は一瞬で真っ赤に染まった。
陸に打ち上げられた魚のようにはくはくと喘ぐ様が可愛らしくて、そのままぽかりと空いた口に舌を差し込む。そのまま絡めればいいものの、エドワードはそうしない。必死に歯を食いしばって侵入を拒もうとする。

そんな些細な抵抗を可愛いと思っていた時期はもう過ぎた。
いらだったようにより一層強く首を締め上げると、エドワードは震えながら口を開き舌を差し出した。どうやらこちらの真意は通じたようだ。最初から素直になれないエドワードの強情さには何度呆れた事か。

優しく薄い舌を絡めてやる。子どもは苦手だ。しかしエドワードは別だった。エドワードの吐き出したものならなんでも甘い。それが胃液の混じった唾液であっても。美味しいと、いつまでも啜っていたいとも思う。

「ん、んん」

喉に詰まったように上がる声。そんな声を聞くだけで脳髄に駆けあがってくるような悦楽が込み上げてくる。ああ、たまらない。いつまでだってこうしていたい。それでも、お互いの息の限界は直ぐに来た。ゆっくりと唇を離す。とろりと顎に零れた透明な液体を丁寧に舐めとってやる。こういう特、人間は酸素が無ければ死んでしまう生き物であることに憤りを覚える。そんな縛りが無ければいつまでだってキスできるのに。見ればエドワードの顔はさらに真っ赤になっていた。ああ、そういえば首を絞めていたんだったな。その事を思い出して、裏返った眼球を舌で湿らせ、そっと外してやる。エドワードの首は細いから、締めているのを時々忘れてしまう。

「――――げほッ」

「エドワード」

激しくむせ返り、シーツの上で自分の小さな体を守る様に丸くなる肢体にそっと言葉を落としてやる。しなる背に優しく手をそえ、優しくさする。少し汗ばんだ身体。そういえば最後にシャワーを浴びせてやったのはいつだったかな。二週間前か。そろそろ身体がかゆくてたまらなくなる頃だろう。

「エドワード」

激しい咳の中、それでも私の声は届いたらしい。揺れる視界で必死に私を捕えようとする金色。そう躾けたのだ。そうでなくては困る。名前を呼んだら必ず私を見なさいと。そんな小さな命令にすら時々反抗するのに、怒られれば私の機嫌を損ねないように従順になるその姿。私好みに作り上げられていくその過程にゾクゾクする。

「シャワー浴びたいかい?」

身体を擦り上げながら、耳元で囁いてやる。ピクリと跳ねた体を見逃しはしない。

服の中に手を差し込む。ベタベタとした素肌。軽く擦ればぽろぽろと落ちる角質。髪に顔を埋めれば酷い臭いに眩暈がした。それでも、そんな臭いですら甘い。エドワードはどこもかしこもが甘かった。零れ落ちた皮膚ですら、綿菓子のようだ。

「喉も乾いたね。水も欲しいかい」

水分は、4日前からほぼ与えていない。そろそろ、唾液や体液だけでは足りなくなっている事だろう。身体が痙攣しているのはきっと、脱水症状の表れだ。ここに連れてきてから一か月と少し。そろそろ前に進んでいく頃合いだろう。

「エドワード」

ざっくばらんに軋む髪に、指を添える。油っぽい。

「私とキスしたいかい」

この一か月の間で骸骨のように窪んだ瞳が、大きく見開かれる。そして、徐々に鋭くなってゆく。

「したいね、エドワード」

エドワードは子供にしては頭の回転がはやい。唇を噛みしめ、こちらを睨み上げる目にはまだ光が宿っているということは、私の言いたいことがわかったのだろう。どろりと溶けた金。深い憎悪と、それすらも凌駕する怯えの色。そんな絶望的な状況の中で恐怖を必死に押さえつけようと虚勢をはり続けるエドワードが可愛らしくて憎らしくてたまらない。

「したいと言えば、シャワーも浴びせてあげるし、お水もあげよう」

優しく頬に両手を添える。やわらかな弾力があったそこはもう皮のようだ。そんな細い彼の身体に、ふと昔の童話を思い出した。親に置き去りにされ腹を空かせた兄妹がお菓子の家に侵入し、魔女に食い殺されそうになる話だ。

兄は魔女に捕えられるが妹の機転によって食われずに難を逃れ、家にも帰ることができて物語はハッピーエンド。私はここでいうところの魔女だろうが、目は見えるしまだまだ元気だ。自分の焔に焼かれるようなヘマはしないし、ここにはエドワードの唯一の家族もいない。まさに私の城だ。

何も言わず、ただじっとプライドと欲望と恐怖の狭間で揺れる金色を見つめ、その乾いた肌を撫で続ける。もちろん手も上げない。今まで通り力づくで口を割らせても意味がないのだ。エドワードが自発的に、自分から口を開かなければ。そうするために、一か月根気強く可愛がったのだから。限界まで耐えさせてから自分で自分を堕とさせる。​魔女は兄を食うために餌を与え続けたが、私はエドワードの全てを奪うために餌は与えない。やり方は違えど、これも美味しくいただくための一つのやり方だ。

「アンタと……」

長い時間。それでも、血を吐き出すように零された言葉。みれば本当に唇から血が滴っている。よほど悔しいのだろう。力が入らないだろうに指が白くなるまでシーツを握りしめるその姿に、本日何度目かになる快感が込み上げてきた。

「キス、したい……」

ああ、可愛い、可愛い。たまらず、その唇に噛み付く。

このまま順調にいけば、エドワードはいつかは自分から体を開くだろう。従順に。

ここに連れてきた時は恐怖で支配するために抱いたが、それ以降は手を出していない(そういった意味では)。またいつあの苦痛を味わうのかとビクビクする小動物のような姿が愛しくて、何度も好き勝手に犯してしまおうとも思ったが耐えてきた。その忍耐が実を結ぶ瞬間は、きっともうすぐ。

深く深く、差し込む。エドワードの中に自分を刻み付けるように。その浅い奥を堪能する。もうずっと洗ってないためか恐ろしいほどにねばついた口内。そこから香るのはわずかな鉄の味。その血を啜りながらそっと目を開くと、ぎゅうと閉ざされた瞼が見えた。皮一枚隔てたそこには、きっと悔しそうに昏く震える金色の瞳があるのだろう。それでも涙を零さないエドワードの強さに脱帽する。そうだ、こうでなくては。

自分から堕ちてきた瞬間の彼を、もっと美味しく味わえない。

ヘンゼルとグレーテルよ、絵本の住人でなければ、お前たちにも教えてやりたい。

私のエドワードはどこもかしこも甘いぞ。

お前たちが必死になって貪ったお菓子の家なんかよりもずっとだ。

例え甘すぎて何度胸焼けしたとしても、止めることなどできやしない。

嗚呼、兄のために、骨を魔女に差し出す妹はここにはいない。

彼にとっての家はここで、私にとっての居場所は彼。

どんなにお菓子をつまされたって、エドワードには適いやしない。

口の中でとろけるような極上の砂糖菓子は、彼だけだ。

お菓子の家なんて目じゃない。

甘い甘い君を、さらに美味しく調理してから食べられるように。

私は彼の首を再び絞めた。死ぬまで彼を貪ぼれる幸せを、噛みしめながら。

「という夢をみたんだ」

「うわぁ……」

「引かないでくれ」

「無理だろ、っていうかアルはどこにいったんだよ」

「いないことになっていた」

「うわぁ」

「引かないでくれ、私だってどうしてこんな夢を見たのかわからないんだ」

「アンタの深層心理じゃね」

「……本気で、言ってるのか?」

「え、うん。なんで」

「私は別に、君をそういう目でみたことはないぞ」

「だからだよ、アンタ甘いの嫌いだろ」

「え」

「え?」

「……」

「え、なんだよ」

「いや」

「なんだよ?」

「ああ、苦手なんだが……」

「だろ」

「……」

「……」

「鋼の」

「あんだよ」

「私と、つきあってみ」

「冗談いうな、お菓子の家つまされたってお断りだ」

素直になれないお年頃の二人。

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