
「私は君を見届けるよ」
「は?」
台詞の真意を測りかねて首を捻る。ロイはいつも通りの微笑をこちらに向けた。ちょっと癖のある、エドワードがあまり得意としない軽薄そうな笑みだ。
「鋼の、君を国家錬金術師に推薦したのは私だ。けれどもこの道を選んだのは君達だ」
「んなこた、言われなくともわかってる」
ロイは片眉を吊り上げゆっくりと立ち上がった。重さを失いぎしりと軋む椅子の音。どこまでも黒い瞳がしっかりとエドワードに向けられた。
自然と背筋が伸びる。男の背負う地位、権威、過去が、窓から差し込む日の光に晒されて浮かび上がっているかのように見えた。
気押されたことを知られたくなくて、わざとソファにどっかりを背を預ける。
「本当にわかっているのかな?」
「わかってるって。オレ達が何しようがオレ達の責任ってことだろ」
先ほど、道中のいざこざについてしっぽりと絞られたばかりだ。ロイの不可思議な発言もそれに付随しているものだろうとエドワードは考えていた。
「この道はオレが……オレ達が自分で決めた道だ。責任はちゃんと自分で取る。これからはちゃんと。だからもうアンタの世話になんかなんねえからよ」
君のせいで事後処理が増えたのだがと嫌味を聞かされた手前、もっと愁傷にならなければいけないのだろうが持ち前の性格が邪魔をする。相手の視線を流したまま唇を尖らせると、違うと静かに返された。
「あん?」
「君はやはり、何もわかっていないな」
「んだとこら!」
「私は君を見届けるといっただろう」
エドワードは少し離れた位置に立つ大人を見上げた。すっと細められた黒い瞳には、見たことのない色が含まれているように感じられた。
「見届けるって」
「そのままの意味だ。私は君を軍に推薦した。だからこそ、君をこの魔窟へ招待したことの責任がある」
ロイは目を逸らさなかった。だからエドワードも逸らせなかった。
「君の責任は、自らの意志でここに来たことだ。だからこそ、君はそれ相応の覚悟を持って前に進んでいかねばらない。そして私の責任は、この世界へ引きずり込んだ君をしっかり最後まで見届けることだ。君がどんな苦難にぶつかろうと、どんな痛みを背負おうと、どんな理不尽に苛まれようと。それこそ──道半ばで君が死に絶えようともだ」
ざわりと、黒い瞳の中で燃えた焔に心を焼かれたような気がした。
「君が息耐えるその瞬間まで、一瞬たりとも私は君から目を逸らさない。たとえ君の身体が血の海に沈んでも、君の遺体が鳥につつかれようとも」
ロイは饒舌だった。だからこそわかる、彼が本気なのだと。それに呼応するようにエドワードの身体の奥底にも熱が灯り、激しい鼓動のように脈打ち始める。
「これが、私の君に対する責任だよ、鋼の」
エドワードは興奮していた。自分だけだと思っていたのだ。
自分だけが、自らの重い覚悟を背負っているのだと。
けれども違った、それは驕りだった。
目の前の大人にも覚悟があった、しかもエドワードが思っていたよりもずっと大きなものだ。
彼には背負うものが沢山ある。それなのにエドワードのことも見届けると堂々と言ってのけたのだ。
車椅子に座ったまま虚無の日々を過ごし、生きる屍だったエドワードを叱咤した時もこの男の視線は逸らされなかった。きっとあの時から彼は、エドワードから目を逸らさぬ覚悟を決めていたのだろう。
エドワードは、叩きつけられた事実に興奮していた。
「大佐」
離れた距離にいるというのに、ロイから放たれる圧倒的な熱量に言葉が出てこない。
ロイの視線とエドワードの視線が交わる。きっとエドワードが無様に死に絶える時であっても傍にはロイの目がある。それは冷たくて暖かくて、どこまでも真っ直ぐな視線であるに違いない。今と同じような。
「……あー、ってことはあれか。オレはこれからも、アンタの事後処理が増えた~とかいう嫌味を聞かされ続けなきゃなんねえってことかよ」
「減らず口は相変わらずだな、塞ぐぞ」
「専売特許なもんで」
緩んだ男の目元には、未だ熱い焔が燻っている。その赤色にあの日の記憶が蘇る。
家を焼いて来たとロイに伝えた時、ロイは顔色を変えることなくそうか、とだけ言った。もしかしたら見ていたのかもしれない。
青い軍服が蠢くこの場所から、エドワードと弟を。そうであるならば。
「じゃあ、せいぜいオレの勇姿を見ておけよ。アンタにオレ達が元の体に戻る瞬間を見せてやる」
びしっと指を突き付けてやる。手袋で覆い隠された鋼の右手で。
「だからアンタもさっさと上に行け。この国を変えろ。オレだって目かっぽじってアンタを見ててやる、最後までな。等価交換の原則だ」
ロイは軽く目を見張った。
「それはそれは、随分と熱烈なプロポーズだな」
「は?」
硬直したエドワードを尻目に、ロイは人の悪そうな笑みを浮かべた。あっという間にいつもの飄々とした表情に戻ってしまう。ふむ、と顎に手を当てて考え込む仕草も嘘くさい。
「一生私を見ていてくれると。なるほどな。鋼のにそんな熱い一面があったなんて」
にやにやと評しても過言ではないロイの表情に、今の自分の台詞がどれほど恥ずかしいものであったのかを理解して、エドワードは真っ赤な顔で吐き捨てた。
「……ちげえよ! バカ! バーカ!」
数秒前の自分を殴ってやりたい。だが全て後の祭りだ。
しかもロイが老後は頼むなんて笑うものだから羞恥は最高潮に達した。耳まで赤くなる。
「違くないだろう?」
「うるせえ勝手に道端で野垂れ死んでろ! 放置してやる」
「できないくせに」
わかったような顔をする大人が悔しくて、勢いをつけてソファから立ち上がる。
「じゃーな、無能!」
「もう雨は上がったぞ」
捨て台詞を残して身を翻す、扉に手をかけた瞬間後ろから声がかかった。
「鋼の」
誰に命じられたわけでもないのに、ぴたりと足が止まる。ロイの声はいつだって、エドワードの耳の奥深くにまで響くのだ。
「他の誰に見捨てられようと、私は君を、君たちを見届ける。最後まで視線は外さない。だから気を付けて行っておいで、鋼の」
ふっと背後で笑んだ気配がした。それはきっと、これまでの含みある微笑とは違うもののはずだ。そんなの振り向かずともわかる。
「……またな」
送り出してくれる視線に促され一歩踏み出す。バタンと扉を閉じた。
左ポケットに手を突っ込む。丸くて固い、冷たい重みを改めて心に刻みつけ顔を上げた。
廊下の窓から見える青い空。ロイの言う通り雨は上がっていて、雲の隙間からは虹が出ていた。
これから続く未来は希望か絶望か。
錬金術師は科学者だ、非科学的なことは信じない。だから先のことはわからないけれども。
一つ一つ、乗り越えていこう。
前に進めと、背を押してくれる彼がいるのだから。
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大人と子どもの視線が重なった。
手にした硬貨を強く握りしめ、怪訝そうな顔をしたロイにくっと口の端を釣り上げる。出会ってから3年。随分とロイに笑みの形が似てきてしまった。
「んじゃそん時ゃまた小銭借りるさ、『民主制になったら返してやる』ってな」
一瞬驚きに目を見張ったロイは、思い出したらしい。
「……それはそれは、随分と熱烈なプロポーズだな」
エドワードの言葉を噛みしめ、不敵に笑った。
執務室のインクの匂い。交わる視線。窓の外から見あげた空と虹。
硬貨を強く握りしめる。身体を重ねたこともない、想いを伝え合ったこともない。
だが、たとえどんな結末になろうとも。
交わる視線だけは最後まで変わらず、互いの傍にあるのだろう。
520センズの約束